頭中花葬 2
花陀の首は、深咲の胎の虚で根を張っていた。主根たる頸動脈が頸の切り口から四方に広がり、枝分かれして細分化した毛細血管が繭玉のように頸を包み込んでいる。肋骨から覗いた心臓が収縮すると、毛細血管の繭が脈動して頸に血を送り、寄せては返す波のごとく伝播して、肺から深咲の鼻へと呼気が抜ける。
そして、頸の肉に覆われるように、丸い肉の膨らみ――胚種の存在が確認できる。
深咲の呼吸に合わせて伸縮する肺腑の傘蓋に覆われた頭。不穏に小首を傾げた姿勢で、視るものを胎から嘲笑う。彼女の不気味な不安定さが相対した私を落ち着かなくさせた。私は無意識に目線で波の往来をなぞっていた。他人の腹のなかなんて不気味で醜怪なはずなのに、目を惹き付けて離せない。ひとの奥にある薄暗い好奇を煽りたてる。
「そんなに見つめられたら恥ずかしいわ」
深咲にやんわりと窘められ、慌てて視線を外した。
「気にすることはない。好奇心も花を咲かせる精神の養分だからな。大抵の奴は聞きたくてしょうがないのさ。どうやって生きているのですか、とね。いやはや、恋は盲目とは言うが、探求の目まで腐らせることはない。花人は自身のことに頓着しなさすぎだ。構造への理解が足りないから、その可能性に気が付かない。惚れた腫れたで、積極的に心は解体したがるくせに、肉体は開いてみない。なんと惜しいことか!」
呵々、と腹腔内に響く笑い。
「君は私の授業を受けた生徒だったかな? いつぞや親切で、時間を割いて講義してやったというのに、誰一人として二回目に出席しなかった。あれはあまりにも腹立たしい出来事だった。あの頃はまだ立つ腹もあった分、尚のこと気分が悪かった。頭にも、腹にも、来た、だ。さぁ、聞いていけ。今日は特別講義をしてやろう」
私の知っている花陀はすでに首だけの存在だった。首以下の彼女を知る深咲に言わせると、身体がなくなった分、前より口が回るようになって随分お喋りになったそうだ。花陀自身、意識すべてを頭に割けるから、むしろ理想的な環境だとか。
「花陀様がしゃべりたいだけじゃありませんか」
「白百合の子にとっても他人事じゃないのだから、知っておいて損はない」
話の筋が横道に逸れていく。ふたりが間断なく会話を続けるせいで、軌道修正のために口を挟む隙もない。あれよと言う間に、彼女の花人の身体についての講釈がはじまる。
「花人の肉体とは、いわば装飾花だ。外見上は人間の少女に類似しているが、人間の雌としての生殖機能はもっていない。それどころか、肉体として機能している内臓や脳までもが、花人の生存のみに焦点を当てたとき不要な飾りとなる。花人が肉体の欠損に対して強く、生命力があると誤解されている大きな理由だ。麗しい容貌と花弁は対象の五感を揺さぶる。脳は言葉と仕草から精神を惑乱させる。花人の肉体は、蜂を誘う機能に特化しているのだ」
花陀は「つまり」と溜めを作って、深咲に空っぽの胎を指示させる。
「頭と胴が泣き別れようが、内臓を掻きだされようが、花人は死なない。死んだことにはならない。核である胚種さえ無事ならの話だが」
「はい、素人質問で大変恐縮なのですが、ひとつよろしいでしょうか?」
深咲が挙手して、生徒の真似をする。二人羽織の講義劇場は傍から見ると、随分滑稽な情景だ。
「死なないというお話でしたが、肉体なしで胚種は生存できるのでしょうか? また、胚種から肉体は再生するのでしょうか? その再生の際に、以前までの容姿や記憶はどうなってしまうのでしょうか?」
「良い質問だ。結論から言うと、胚種のみでも生存は可能だ。ただし、その場合花人としてではなく、休眠状態の種子として生存することになる。肉体の再生はない。
我々花人は親である母胎樹から切り離された、繁殖のための種子なのだ。発芽の条件が整えば、芽を出して樹状の成体となる。成体化の条件に肉体の有無は関係しない。これは実際に条件を整えた種子のみの発芽を確認したから間違いない。『花園』から持ち帰り直々に植えた、私の古い友人だ。図書館の外に生えていただろう、みなかったか?」
「初耳です。お庭の手入れをしていたのに気が付きませんでした」
「そうだろう。ただの樹になってしまったからな。彼女は子を産まない」
興味深い結果だ、と花陀は友人だったはずの樹について語る。弾みがちな口調は研究への好奇心から出たもので、思い出話の感慨にふける気配は微塵もない。冷徹な経過観察の報告を楽しそうに語る花陀。そして、楽しそうな彼女を胎に抱えて微笑む深咲。花陀は花人を研究対象としかみないし、深咲は花陀のやることなすことすべてに好意的だ。
「花人の肉体を作り出すためには、やはり肉体が必要になるというわけだ。母胎樹の樹には複製機能が備わっているが、その素体となる花人の肉体がばければ、子である花人を生み出すことができないようだ。本来生物は遺伝子という設計図をもとに形成されるが、その遺伝子は花人の肉体に依存しているのかもしれない。母胎樹はあくまで肉体の製造施設。また記憶も肉体依存であるために、脳を失えば、同様に記憶も失われる」
「それじゃあやっぱり、身体がなくなると死んじゃう、という解釈は間違ってないじゃないですか?」
「それに関しては花人の死の定義から考えねばならないだろうな。そこで、面白い実験体を紹介させてくれ。なにを隠そう、御存じ我々だ」
花陀はひと際大きな声で注意をひく。
深咲は一度立ち上がって、くるりと美しくターンして、ワンピースの裾を広げて一礼する。
「ご覧ください、です」
今強烈に私のなかで疑問なのは、首だけの花陀がどうやって声を出しているのか、ということだった。長引く講釈に割り込む隙を伺ってはいるが、彼女たちは抜け目ない質疑で間を埋め、口を挟ませてくれない。話を遮られることに慣れ過ぎて、強制的に聞かせるいやらしい技術が身についている。ほんとうに困ったひとたちだ。
「胚種を失った肉体に、別の花人の胚種を移植するとどうなるのか。その際に肉体や人格はどう影響されるのか。花人の肉体がどの程度まで核である胚種の影響下にあるのか。興味深いテーマだと思わないか?」
「私の身体には、花陀様の胚種が移植されているのです。死に瀕していた私を救ってくださったの。とても優しくて慈悲深い行いですわ」
「単なる胚種の移植実験だ。しかし、私自身の頭脳が失われたのでは結果が確認できないと思ったのでな、空いていた隙間に、私の頭をねじ込んでみたのだ。そしたらどうだ、想定以上に上手くいったものだ!」
深咲はこれを美談として、花陀は興味深い事例として話す。どちらにせよ、正気の沙汰ではない。自ら頭を切って、あろうことか他人にくっつけるなんて。それを平然と受け入れるなんて。
「誰が、どうやって移植したの? 私たちは刃物なんか使えないでしょうに」
私は常々疑問に思っていたことを口にする。私たちに扱える道具や施設はない。図書館にも大仰な実験を行えそうな設備は見当たらない。
「誘惑したんだよ、
彼らが私たち花人に積極的に干渉してくるなんてことがあるのか。ここにきて意外な事実を聞かされた。
「実験で得た重要な発見は二点。胚種を移植しても肉体側の記憶と人格は保全されるということ。もう一点は核である胚種は徐々に肉体を浸食していく、ということ。浸食が顕著に現れる例は花弁だ。ご存知の通り、花人の花弁は生まれつき固有の一種のみで、後天的に変化することはない。だが、胚種を移植した以後、深咲から咲いた花は紫陽花。つまり、私の固有花だったのだ。花弁はより強く胚種に依存している」
「すごいのはそれだけじゃなくってね? この沢山の紫陽花は、私の花陀様への親愛の証として芽吹いたものなのよ」
「それはつまり?」
「我々の身体と魂はひとつになりつつある、ということだ」
今では身体の操作を花陀が主導することもできるらしく、右手を挙げてみせた。
「で、それが私となんの関係が?」
話が一息ついた所で、ついこぼしてしまう。初めて聞くこともあったが、あまりに長い脇道だったものであえて気に障る言い方をしてしまった。
「なんだと?」
深咲が驚いた口元を抑え、花陀は眉を吊り上げる。
彼女はこれが大嫌いなのだ。自身の研究に対して「で、なんの意味があるの?」だとか、「ふぅん、で、どう役に立つの?」だとか。凄まじくない腹が立つらしい。身体の構造など知っても色恋には役に立たない、と多くの花人に捨て置かれてしまったことが、授業をやめた一番の原因らしい。
「月華ちゃんは花人一の賢人でいらっしゃる花陀様のお知恵をお借りしたくていらっしゃったのですよ、ね? 気が急いているだけで、すこし言い間違えてしまったのですよね?」
縦に深い皺を刻んだ花陀の眉間。怒りに口を開きかけた彼女の唇が不自然に縫い合わされた。紫陽花から放たれる、青褪めた冷たい香気が辺りに満ちる。花人の放つ、沈静の香りだ。深咲が必死で私の失言を補って、なんとかとりなそうとしてくれる。
数分間、ふたりで花陀を讃える詩を謳い、功績をあげなだめた結果、なんとか溜息ひとつで怒りを収めてくれた。
「まあ、いい。言ってみろ」
私はできるだけ彼女の癪に障らないよう、腰と頭を彼女より低い位置に置いて話を切り出す。
「これが何か、心当たりはありませんか?」
懐から取り出したのは、昨日庭師から渡された透明な液体の入った小瓶。
「深咲、蓋を」
指示された通りに小瓶の蓋が開かれる。
先ほどまでのふざけた態度とは一変して、水を打ったように表情が消えた。鋭い一瞥が私を射殺そうと突き刺さる。
「お前、どこで製法を知った」
空間を支配する香りの情景が一息に切り替わる。喉を焼けただれさせる憎悪を嗅ぎ取った。
深咲の手が私の首を絞める。彼女の身体が完全に花陀に支配されていた。
「答えろ。お前を生かしてやったのは私の間違いだったのか」
質問の意味がわからなかった。彼女が突然激高した理由も。首が抑えられ声をあげることも、首を振ることもできない。
瞼の裏が白んでいく。
花人の身体は容易に死なない。しかし、苦痛は感じる。この脳がある限り、神経が通っている限り。肺の空気が締め出され、息が途切れて、内側から張り裂けそうになる。食い込んだ爪が、握力が、頸椎を軋ませる。なによりも、花陀から発せられる殺意の純粋さが、私を激しく傷つけた。
殺される。
思考が霞んでいく。
肉体が死んで胚種だけになったら、魂はどうなるのだろう。
瀬戸際の頭をかすめたのは、そんな思考だった。
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