頭中花葬 3
「それじゃあ、お話できませんよ」
首を絞めていた力が緩んで、私は床に投げ出される。地面に覆い被さった幾多の本の陰に隠れて、酸素を求めて嗚咽する。荒い呼吸で積もった埃が舞い上がり、一層塵を吸い込んでむせ返る。爪が食い込んでいた喉は琥珀色の涙を流して助けを乞うていた。
花陀は冷え切った双眸で私を見下す。深咲が身体の制御を取り戻してくれたおかげで解放されたようだ。私が息を整える間にも、ふたりは身体の支配権を争い合っているらしく、指先が不規則に痙攣する。
「誓って、私の物じゃない」
すぐさま頭を下げて弁明した。花陀があれほど感情をむき出しにするなんて思ってもみなかった。機嫌が悪かったり、好奇に酔ったり、それらは他人にみせる姿勢。その実飄々として、本心や目的を韜晦する抜け目なさがあると思っていた。研究に対する表面的な快楽の仕草とも一線を画する、芯を食った憎しみだった。
「桂花の持ち物だったの。桂花が枯れた原因を知りたくて。頼みの手掛かりは、これだけなの。なにか知っているなら、どうか教えて」
額を床に擦りつけて頼み込む。
沈黙の間。花陀は私の真意を測りかねているようだった。
私はもうひと押し、花人として真実を付け足す。
「私は花人だもの、恋に嘘を吐けない。桂花を助けたいの、そこに嘘はない」
私は身の潔白と恋への献身を示すために、上体を起こして白百合の花を、その花びらに灯る恋の色艶をみせつけた。花人にとって、花は裸の心そのもの。
花は心と直結している。発色、瑞々しさ、香り。同じ花人ならば自ずと察する。言葉は容易に形を変え、自由自在に事物を歪曲して物語る。けれども、言葉の裏に隠れた心はひとつだ。花は私たちの精神、魂に根を張る。言葉以上の雄弁さと正確さをもって、赤裸々に心を吐露する写し鏡なのだ。
「本当に口ではどうとも騙れるな。助けるだけなら、顔の見えない誰かを探す必要はなかろう。君の花は敵意に満ち満ちているようだが? もう少々、花の香にも慎みを覚えたまえ。太夫ほども恋を経験すれば、心を装うことも、自身を偽ることもこなすだろうよ」
室内に張りつめていた緊張が解け、私と深咲は大きく息を吐き出した。少なくとも私のことは信じてもらえたようだ。しかし、ここまでの反応が返ってくるとなると、尚更聞かない訳にはいかなくなった。瓶に詰められた無色透明の秘密は、私の想像をはるかに超えた毒性を孕んでいるのだろうか。
「一体なに? その瓶の中身は」
「君が知る必要のないものだ。白百合の子」
机に置かれた瓶へと伸ばした手は、途中ではたき落とされる。
「ここまでしておいて、それはないでしょう! 桂花と関係があるに違いないのに!」
落胆を声に出して主張するが、花陀は取り合う気もなく、すげなくあしらわれる。それどころか、瓶の中身を捨てるよう深咲に指示する。
「やめて、大切な手掛かりなのにっ」
「花陀様、あまりいじめては可哀想ではありませんか? 教えてあげればよろしいじゃありませんか。桂花さんが持っていたのなら、きっと悪いことに使われたのではありませんよ」
深咲が説得しようとするが、彼女の手はその内に瓶を仕舞い込み、私を寄せ付けようとない。おそらく深咲も中身がなにかを知っているのだ。知ったうえで、私から遠ざけようとしている。花陀を頼ったのは失敗だったか。
「桂花が悪用できずとも、この子が悪用するかもしれない」
「月華がこのまま嗅ぎ回ればいつか分かることですよ。そのときに自分自身の身を守るための知識が必要ではありませんか? この子の安全のために、どうか」
花陀は再び勘案のために押し黙る。私はふたつの顔の間で視線を行き来させ、途方に暮れていた。まさか、捜査の出だしから躓くと思っていなかった。私は悔しさに歯噛みする。
「条件がある。呑むかどうかをまず決めろ。拒否するなら譲歩はなしだ」
彼女の申し出の狡いところは、事情を知っているもうひとりに、あとでこっそり聞くことができないことだ。元より条件を呑む以外に、情報を得る手段が存在していない。私は頷くしかない。
花陀は動かない首の代わりに瞼を伏せて首肯とする。
「瓶の中身の正体と効能を教える。代わりに中身は破棄する。質問はなし、以後これと同様のものを発見しても手出しをしないこと。いいな? 私は実に、親切心から言っているのだ」
わかったな、と再度念押しされる。
「うん、できる限り守るよ」
中途半端な返事に不満そうだったが、彼女は重い口を渋りながら開く。
「これは『蜜造酒』と呼ばれる酒だ。ほんの数滴で花人を狂わせる、強力な媚薬効果がある。愛への妙薬だ」
「媚薬って……もしかして相手の感情を捻じ曲げて、花を咲かせることができるの?」
「質問はなしと言ったはずだ。とにかく、怪しげな飲み物、特に祝祭の間に供される酒は気を付けることだ。まず『庭園』でみかけるものではないがな」
言うが早いか、深咲は『蜜造酒』の入った瓶を持ち去り屋外へ。さっと中身を傾け花壇の上に撒いてしまった。
「さぁ、もう気は済んだろう。桂花のことは余計な詮索をせず、大人しくしておくことだ。死んではいないのだから、放っておけば勝手に恢復する」
花陀は大層不機嫌に言い捨てると、幕を下ろさせて顔を隠してしまう。ちらりと覗いた虚内に咲いたカスミソウが彼女の機嫌に呼応して、騒めき花柄を揺らしていた。何故か、その光景が頭に残り引っ掛かった。
「あら、不貞腐れてしまったみたい。ごめんなさいね、大した力になれなくって」
「深咲さんがいなかったら、叩き出されていましたから」
深咲は別れを惜しんで私の頭を抱き寄せる。体中が紫陽花の青い香りに包まれて、にわかに緊張が走る。
紫陽花とカスミソウ。花陀の話では花は胚種由来のもので、徐々に胚種が肉体を浸食している証として、本来深咲の花ではない紫陽花が身体に花開いた、と。花陀の花が紫陽花で、深咲の花がカスミソウ。深咲の肉体に咲いた紫陽花は、彼女の花陀への恋心から咲いたものだと誇らしげに言い切った。
それは小さく口を継いで出た疑問だった。
「カスミソウはお腹のなかに、いつ咲いたの?」
深咲が健康であったとき、胎のなかに咲くことがあるだろうか。そこには内臓が詰まっていたはずで、花は基本的に体内から体外へ向かって咲くものだ。大抵は皮膚から芽を出す。肉体の奥深くへ花柄が根付くことはあっても、体内へ逆向きに生えるという話は聞いたことがない。それが花であるからには、体表に出なければ花としての役割を果たせないから、内に生えないのは道理だ。しかし、彼女のカスミソウは明らかに内に生えていた。彼女の胎が開かれて、内から外になったのは、胚種を移植した以後のはず。
私は抱き締める力を強めた彼女の表情を、恐々と見上げた。
私は首だけになる前の花陀を知らない。それはつまり、全盛期の花陀の姿を知らないということでもある。
一度掘り出すと、ひとつの疑念が呼び水となって、次から次へと湧いてくる。
図書館で何度か実際に会い言葉を交わした花陀と、皆の話のなかで登場する冷徹な賢人としての花陀。語られる印象は会った彼女よりも無機質で、体温を感じない探求者。他人や物事への感情は薄く、怒りだとか心配だとか、そんな人情からは程遠い人物として語られた。
「あの……ちっとも関係ない質問なんだけど、最後にひとつだけいいかな?」
「もちろんよ。さっきの埋め合わせに、今ならなんでも答えてあげるわ」
ひとつ、息を吸って吐き出した。
「どっち、なんですか」
息を呑んだ。私はなんて間抜けなんだ。
気付けば、彼女の腕は私を強固に束縛し、とても抜け出せる状態じゃなくなっていた。
考えられるのは、彼女らの立場がすっかり入れ替わっている可能性。話の内容を意図的に改変し、事実を隠して私に聞かせたのだ。胎に咲いたカスミソウの花がそれを示している。そもそも成功するかわからない状態で、自分の首を切って移植するなんて賭けにしても分が悪すぎる。探求心からでた行動だったとしても、研究の成果を確認できなければ意味がない。
つまり、逆なのではないか。
花陀の肉体に、深咲の胚種と首を移植したのではないか。もしかしたら、花陀は胚種の移植が可能であることを事前に知っていて、本来の目的は深咲の首だったのではなかろうか。もしその通りだとすれば、ふたりはお互いに人格が入れ替わった状態で私と相対していたことになる。
なんのために、と疑問が重なる。
浮かんでは消える思考。胎のなかに咲くカスミソウだけが、私の猜疑心に拍車をかける。
「その質問は意味を為さないよ、月華。今ではどちらでも同じことだから」
「本当の真実はどこなの? 深咲の怪我、胚種の移植、肉体の浸食。あなたたちの話は何処が真実で、どこが嘘なの?」
「悪ふざけがすぎたね。昔の私たちを知っているひとには通用しない悪戯だから」
彼女の身にまとっていた雰囲気が一変する。嗤う口の角度から、私を見下げる視線まで。深咲だと思っていた彼女がまるで別人に感じられる。まるで花陀みたいに。
「深咲が死にかけたとき、彼女の身体はほとんど残っていなかった。食い散らかされていたのさ、例の擬人花によって。幸い、まだ手慣れていなかったお陰か、胚種と頭は無事だった。それは私にとっても都合のよいもので、持ち帰って私の一部に迎え入れた」
「ど、どうして、そんなこと……」
「長く生きるというのは案外大変でね。私たちの肉体が人間と同じ造りなのは話したね。一点、寿命が彼らより長いという例外を除いて。私たちの肉体は長い間、老いることなく少女の姿を保つ。しかし、一方で脳だけは時間を蓄積してしまう。なにか、わかるか?」
私は後悔し始めていた。思い付きのままに口を滑らせた、と。
知らない方がいいこともある。好奇心だけが、その自制を振り切って危険を犯そうとする。彼女は私を放そうとしない。私は首を振って、怖れと抵抗を力なく表した。
「それは記憶だよ。記憶ばかりは蓄積から逃れえない。忘却という手段もあるだろうが、貴重な研究や思索の数々を失うわけにはいかない。残念なことに、脳の記憶の容量は限られており、肉体の生きる速度と食い違うのだ。長く生きれば生きるほど、その差は大きく開いてゆく。忘却を恐れた私は、策を思いついた。足りないならば、新しく増設すればいい、とね
ただ問題もあって、私たちは一つになろうとしている最中なのだ。それは記憶や人格も同様で、花陀と深咲が管を通じてふたつの頭を行き来するようになってしまったのさ。深咲が混ざった結果、感情の抑揚が大きくなってしまって困ったものだ。だが、そんなことはどうでもいい。今ではどちらも私になったのだから」
冷たく明かされた彼女の研究発表に私は震えた。
改めて花陀が太夫であったことを思い知らされた。太夫は有象無象の花人とは一線を画する、狂おしい魅力を備えている。宵藤太夫が色艶の権化だとすれば、花陀は知性と好奇が濃縮された美。はたと、今私は彼女から誘惑されているのだと気が付いた。明かされる秘密と知識は、私を花陀という深みに沈めるための撒き餌だ。罠だ。
「さぁ、君は他に何が知りたい?」
私も彼女の新しい部品にされるのだろうか。
花陀に誘惑される、とはそういうことだ。
「桂花のことを知りたいのだろう? 教えてあげよう。私の元にくるならば。知っていることをすべて、尋ねずとも知ることになる。私の持つ知識と記憶はすべて君のものだ。鍵は掛かっていない。好きなだけ知るといい。好きなだけ溺れるといい。桂花を救う方法も、貶めた原因もわかるかもしれない。さぁ、秘密が君を待ちわびている」
「い、嫌だッ」
力任せに花陀の身体を引き離した。嫌な感触がして、花陀の指が千切れた。私を握り締めたままの指を投げ捨て、全速力で駆けだした。一度も振り返らず、脇目もふらず。少しでも早く彼女から距離を取りたかった。
「藤姫に伝えておけ、森は広がっているとな!」
背中に浴びせられた台詞にも目をつぶり、枝に引っ掛かれるのも無視して駆けた。
懸命に駆け抜けた。桂花の名前を、呪文のように唱え続けながら。
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