7
テーブルに踵を返した東雲は入店時にドリンクの注文をしていたらしく、バーカウンターへ立ち寄り、そこへ置かれていたグラスにたっぷり入ったカクテル――おそらくいつものジントニックだ――を一気に飲み干した。そしてカウンター内にいるマスターに会計を頼んでいる。いつもの調子でいつもの笑顔。
一方、隣で黙ったままの千葉を横目で確認すると、そこには苦々しげな表情で額をさすっている男の姿があった。その顔を見ると心臓がぎゅうっと力強く握り締められたような気がした。
――俺は数少ない友人らに、ほんの小さな幸せでも掴んでほしいんだ。
「……一晩の過ちを過ちのままにしてしまって笑い過ごせばいいのに、それができないから困っているんだろ」
「…………」
「お前がどうしたいか、何をするべきか。本当はわかっているんじゃないのか」
「……うっさいわ」
「小うるさくて悪かったな……説教臭くなってしまって、俺も歳かな」
「まだ二十代のくせにおっさんじみてんの、先が思いやられるなあ」
憎まれ口を叩くのは得意な千葉がいつものように嫌味を言うが、その表情だけは曇ったままだ。何を話しているのか聞こえないがマスターと談笑する東雲をしきりに気にしている。テーブルの中央に置かれたアトマイザーと東雲を交互に見ながら、まだ額をさすっていた。もしかしたら千葉の視線に気づいているかもしれないが、東雲はチラリともこちらを見ない。見ないようにしているのだろう。
好きな子に話しかけられない小学生男子を見守っている気持ちで、しかし実際はもういい歳をした成人男性が目の前にいるため、思わず笑いがこみ上げそうになるのを溜息を吐き出すことによって誤魔化した。
「はあ……千葉。お前の背中をどのくらい押せば、諦めて一歩踏み出せるんだ?」
「……今日、何回ツナにうるさいって言ったと思う?」
「さあな。数えてるかよ、そんなの……もう何も言わねえから、数える必要もなくなる。今後どうするかなんて、結局お前の決めることだからな」
千葉が着席してから三本目のタバコに火を着ける。
本当にあとはもう見守るしかない。ふたりの関係性がどう転ぼうが、俺は変わらない。千葉とは変わらずバカをやる友人であり続けるし、東雲は変わらずいけ好かねえ友人であり続ける。
千葉の落ち着きのなさが顕著になってきた。視線を二方向へ行き来させながら、右足で貧乏揺すりをする始末だ。そうこうしている内に会話を終えたらしい東雲はとうとう店を出ようと扉の方へ向かっている。こちらへは一切視線を向けず、歌劇団のスターの如く颯爽と歩き出す。東雲の長い足ではあっという間に扉の外へ辿り着いてしまうだろう。
真隣で椅子の脚が床に勢いよく擦れる音がした。千葉は香水のアトマイザーを手に取ると東雲の背中を追う。大概ガタイのある男が慌てて走っていくものだから、揺り動かされた空気が風となり、俺の吐き出した煙も千葉を追って漂う。
今までまともに知覚できなかった煙の味がやっと口内へ広がった、気がする。適度に乾いたタバコの葉の味と匂いにやっと旨みを感じられた。
「……まったく……世話の焼ける……」
追いついた千葉が手に握っていたアトマイザーを東雲へ押し付けながら、ふたり揃って店の外へ出て行こうとしていた。
ふたりから視線を外し、背もたれに体重を預けて天井を見上げた。落ち着いた色をした木製シーリングファンがタバコの煙を巻き取っていくのを眺めていると自然と全身の力が抜けて、ホッと穏やかな気持ちに心が満たされる。まばらにいる他の客がゲームに興じている声も程良いBGMに思えた。
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