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 千葉は恋する男子高校生よろしく、深遠なる溜息を吐き、テーブルに伏せて顔を横向けた状態で電子タバコに三本目のカートリッジを装着した。

「吸いすぎだろ……」

「うるさい。俺の勝手やろ……」

 俺が決定的な言葉を発してしまったせいで、千葉は完全に不貞腐れていた。

 千葉の発言や態度はまるで目も眩むほどの輝きを持つ一輪の花を目の前に、指先で触れるのすら躊躇うようなものだった。

「……そんなに相手のことを大事に思っているならいっそのこと付き合ってしまえばよかっただろ。既成事実はあるわけだから……」

「ちゃうねん。別に俺はその人とそういう仲になろうとか思ってたわけちゃうから」

「なんだコイツ……」

 思わず本音が漏れる。

 千葉が己の稼業や(俺もよく知らない)生い立ちに引け目を感じているような素振りは何度か感じていたし、女共との関係が大体遊びで終わるのは千葉なりの保険であるというのも薄々勘づいていた。幸せに飛び込みたくないらしい。悪く言えば臆病で自罰的な男だ。

「そもそも真剣交際とか無理やし、俺」

 無理という割には断言するような声色ではなく、またもや口内でもごもご言うような口調だ。千葉の葛藤が伝わってくる。

 コイツは多分、自分が相手に近づくのは良くないことだと思い込んでいる。その美しい花弁に触れてしまえば散ってしまうとか色褪せるとか、そんな風に思っているのだろうか。

 千葉の気持ちはわからないわけでもない。相手を危険に晒してしまう可能性がある現職で、人並みの幸せを掴もうとは思えない。

 だが、俺は平凡な男だ。数少ない友人に、ほんのひとときの小さなものであっても幸せをつかんで欲しいと思うのは、自然なことではないか。ならば俺ができることはひとつしかない。

 テーブルに伏せたままタバコを咥えてだらしなく煙を吐き出している。お行儀の良いとは言い難い千葉の姿を見て、女共が千葉を構いたくなる気持ちが少しだけわかった。この男の言動はいちいちいじらしく感じる。

「……お前らしくもないな、千葉」

「うっさいな……」

「そういう仲になろうと思ってなかったと言うが、いつものお前なら相手が誰であれ、一度寝たくらいなら気にしないだろう。開き直って『そういうはつもりなかった』と言ってしまえば終わりだからな。そもそも相手も遊び人で、かつ、お前の気質を知っている人間なんだろう。何も心配する要素はない」

「……理詰めにすんのやめてくれ……」

 千葉は横に向けていた顔もとうとうテーブルの天板に押しつけて現実から逃れる素振りを見せる。

「いいや、やめるもんか――では何故お前がそこまでいじいじしているのか、そこを考える必要がある。さっきから聞いていれば、お前は相手を傷つけたことやこれから傷つけるかもしれないことを恐れている。芯の強いはずの相手に『良心が痛む』という発言までしているな。結局のところお前自身の事象の捉え方に問題があるんじゃないか……お前が相手を大切にしたいから、今朝の態度を大いに反省しているんじゃないか。記憶がないからある程度不可抗力とはいえ、傷つけたくない相手を傷つけた自分の発言に嫌気が差しているんだよ。相手がどの程度傷ついているかなんて所詮他人にはわからないだろうに、そこを気にしているんだ。お前が落ち込んでいるのはお前自身の問題だ」

「……こういう時のツナ、嫌い」

「そりゃどうも。だがな、千葉。お前の認めるフィジカルの強さ・芯の強さを持つ相手なら、何を躊躇う必要があるんだ? 傷つけたかもしれないし、傷つけるかもしれない。でもそれをお互いに受け止め切れる関係を築ける可能性があるなら……あとはお前が腹を括るだけの話だろ」

 千葉は顔面をテーブルに押しつけたまま、微動だにしない。

 結局、結論を出すのは千葉自身で、相手との関係を進展させるかどうかは俺が手出しできるところではない。

 それにしても、千葉がここまで人との会話を後悔するのは珍しかった。ましてや今回は記憶がないのだからそれを理由にいくらでも開き直れただろう――「記憶がない」という虚言を用いて昨晩の出来事をなかったことにした、そしてその選択を後悔している、ように見えるほどの落ち込み具合。そもそも記憶をなくすなんてこと自体、千葉にとってほとんど有り得ない出来事だ。「記憶がない」というのは虚言である、という方が筋が通っているように見えるが。

 ――なんて、まさかな。

 席についてから千葉にずっと独占されていた灰皿を引き寄せて、持参のタバコに火をつける。惰性で吸い込むタバコは特に美味くもなく不味くもなく、煙と灰だけがみるみるうちに量産されていく。

 千葉は沈黙を保ったままだ。それであるならば俺も話すことは特になく、店の壁を眺めてぼんやりとタバコを吸うのみ。

 仮に、千葉が「記憶がない」と嘘をついていたとして、千葉らしさのない、スマートさに欠けたコミュニケーションだ。目覚めた時によほど頭が働いていなかったか、その状況に追い詰められたか。遊び慣れてないのならいざ知らず、重度の遊び人である千葉が一度寝ただけでここまで余裕を失くすのは本当に一体どんな相手なのか。

 ――あくまですべて、仮定の話だが。

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