領主の跡目争いをリタイアするつもりが、突然やってきた悪魔のせいで参加せざる得なくなりました

廿楽 亜久

ハローレディ

 領主が死んだ。


 その報せを聞いた時、数少ない最後まで私に付き合ってくれた使用人たちは、目を伏せた。


「お嬢様。本当に、よろしいのですね?」

「えぇ。みんなをお願いね」

「…………承知致しました」


 領主の子供は、姉である私、ミュラー・アルカードと弟のフランク・アルカードの二人。

 そうなれば、どちらが領主を継ぐかという跡目争いの問題が起きるのは必然だ。


 自分としては、弟のフランクに領主を継いでもらって構わなかったのだが、どうやらフランクは随分と用心深く、私との信頼関係は気づけていなかったらしい。

 父が病に伏せてからというもの、弟は私を亡き者にしようと、いくつもの計画を立てた。

 実際に事故に見舞われたり、毒を盛られれば、弟が自分のことをどのように思っているかなど、疑いようがなかった。

 それを見かねた母と使用人たちが、領主の座を諦める条件で、私を離れの別邸に逃がしてくれた。


 領地の外れで、片手で数えられる程度の使用人と共に別邸へ逃げ、母たちから次期領主は弟であることを伝えてもらった。

 それでも、弟は信じられなかったらしい。


 父が死んだ今、ついに弟はアルカード家の騎士たちを使って、本格的に私を殺しに来る。

 自分の立場を絶対のものにするために。


「コノエも逃げてよかったのよ?」


 最後まで、私に仕えてくれた使用人たちを見送り、たったひとり残ると言って聞かなかった幼い時からの世話係であるコノエに、もう一度だけ問いかけた。

 死にたくはない。けれど、自分の死が回避できなくて、誰かを巻き込んでしまうのなら、それは避けたい。


「お断りします! コノエは最後まで、ミュラー様のお傍にいます!」


 真っ直ぐと見つめるきれいな目に、これ以上聞くのは無粋というものだ。


 この街並みを見るのも、きっと最後になる。

 そう思うと、首にかけられたアルカード家の紋章が彫られたシナバーの首飾りに、無性に腹が立って、力いっぱい放り投げた。


「ミュラー様!?」

「あーっ! もうイヤになる! 今度はもっと平凡な家に生まれることにするわ!」


 もしくは、もっと家族と仲良くなれるような世界に。


「そしたら、コノエともただの友達になれるかな?」


 コノエに振り返れば、コノエは伏しがちだった耳を立てて、何度も頷いた。


「もちろんです! コノエは”お隣さん”っていうものになってみたいです」

「いい響きね。”お隣さん”」


 何年後かもわからない先の未来を語り合いながら、屋敷へ歩を進めていく。


 ミュラーたちが去った見晴らしの良い路地の下で、鼻歌を遮られた赤い燕尾服の男は、原因であるシナバーの首飾りを拾い上げていた。


「んん~~……?」


 目を細め、人差し指で顎のあたりを軽く叩きながら、じっと首飾りを見つめる様子に、周りで見ていた人々は、慌てたようにその場から逃げ出す。

 そして、笑みを深め、ステッキと帽子を現すと、また歩き出すのだった。


*****


 意外なもので、バルコニーの柵に腰掛け、目の前に顔なじみの騎士たちが剣を構えていても、心臓の鼓動が速くなることはなかった。

 隣で手を繋いでくれているコノエのおかげだろうか。


「ミュラー様。申し訳ありません。ですが、これもフランク様のため」


 ほんの数年、早く生まれたというだけ。

 たったそれだけで、命を狙われる。

 それをどうして受け入れろというのか。到底、受け入れられるはずがない。


「ただ、嫌いで、恨んでくれた方が、ずっとマシね」


 政治の一部として、粛々と殺されるなんて、道具と変わらない。生きていたと言えるのだろうか。

 それでも、受け入れるのが、貴族に生まれた者の役目というのか。


「ごめんね。コノエ。付き合ってくれて、ありがとう」


 小さな体に寄りかかり、彼女にだけ聞こえる声で謝罪と礼を伝える。

 耳元に微かに聞こえた息遣いと少しだけ強く握られる手。


 本当に、一緒にいてくれてよかった。

 でなければ、きっと子供のように泣いてしまっていた。


 強く握られる手を、同じように握り返した、その時だ。


「あぶなーいっ!!」


 静寂を切り裂くような声と共に、強く押される肩。その勢いで、私とコノエの体は柵の外へ放り出されていた。

 直後、腕を掴まれたと思えば、強く引かれ、ふたり揃ってたたらを踏みながら、バルコニーへ引き戻される。


「レディたちが自殺だなんて、実に美しくない」

「今、あなたが押しましたよね?」

「あぁ! 一体何がそこまで君たちを追い詰めたというんだい?」


 コノエの言葉を無視して、派手な赤い燕尾服の男は、大袈裟に腕を広げると、私とコノエの肩を組み、遠慮なく体重をかけてきた。

 だが、すぐにコノエの方へ視線を落とすと、解放された。


「言葉にするというのは、実に大切なことだ。相互理解にも、心の整理にも。さぁ、聴衆たちはお手を拝借。彼女たちの言葉に、盛大な拍手を」


 ひとり、舞台にでも立っているつもりか、距離を取る騎士たちにも遠慮なく近づいている。


「演者と聴衆の距離というのは大切だが、離れすぎは良くない。彼女たちの言葉が聞こえなくては、意味がないからね」


 一瞬の内に、燕尾服の男の歩幅に合わせて下がる騎士たちの背後に移動した男は、笑顔のまま、騎士と肩を組みながら、こちらへ歩み寄ってくる。

 兜の下からもわかるほど、騎士たちはその燕尾服の男を見て、恐怖に顔を歪めていた。

 それほどまでに、前触れもなく、突然現れた燕尾服の男は、有名な男であった。


「”ボーシットデーモン”」


 悪魔族の中でも、特に注意する必要のある悪魔の一人。

 不敵な笑みを絶やすことなく、残虐で、傍若無人。

 自然の驚異が悪意を持って歩いている称される、ボーシットデーモンの行動を理解できる者は存在しない。


 それでも、今ここで尋ねるべきは自分であろうと、彼の名前を口にすれば、彼はこちらに視線を向けた。


「何故、貴方がここにいるの?」


 少しだけ目を大きく開いたが、すぐに目を細め、ステッキで背中を叩きながら、こちらへ足音を立てながら近づいてくる。

 そして、内ポケットから取り出したのは、先程捨てたはずの首飾り。


「落とし物を届けに」


 それだけ?

 拍子抜けしそうな返答に、礼を言いながら、首飾りを受け取ろうとすれば、手を伸ばした途端、首飾りは離れて行った。

 ボーシットデーモンが、手が届かないように腕を上げたからだ。


「君はこれを落とした。そして、私がこれを拾った。つまり、私が所有者だ」

「えぇ。そうですね。貴方が欲しいと言うなら差し上げます。ですが、それなら、どうしてここに?」


 本当に、意味が分からない。

 首飾りを見上げながら、目を細めていた彼は、ただでさえ持ち上がっている口端をより持ち上げた。


 その様子に動いたのは、騎士たちの方だった。


「悪魔に魂を売ってでも、領主の座が欲しかったのか!?」

「えっ、ちがっ……!!」


 とんでもない誤解をしていると、否定しようにも、騎士たちはすっかりそう思い込んでしまっているようだ。

 私自身、向こうの立場であれば、命を狙われたからと逃げた長女が領主になるため、一発逆転を狙い、アルカード家の証である首飾りと魂を売り、ボーシットデーモンと契約したと考える。

 例え、それが間違っていても、それが一番最悪な可能性だから。


 なんというか、そう、跡目争いどころか、領地の危機。


「フランク様にこのことをお伝えするんだ!!」


 ボーシットデーモンと対峙するには、小娘ひとりを殺しに来る程度の戦力では足りない。

 素早く撤退を判断し、屋敷から出て行った彼らは、本当に優秀だと思う。


 広い屋敷に残されたのは、コノエとボーシットデーモンと私の三人。


「ど、どどどどうするんですか!? これ……!?」


 コノエの動揺は最もだ。

 このまま弟たちに勘違いされたまま、ボーシットデーモンを放置というわけにはいかない。

 どうしたものかと、彼に目をやれば、彼もまたこちらを見ていた。


「このシナバーの細工は素晴らしい。親友への土産を探していたが、候補のひとつだ」

「そうですか。それはよかったです」

「となれば、やはり土産も必要だとは思わないかい?」

「!」


 土産話。

 それは、つまりこの領地で虐殺をするという宣言だろうか。


「領主の座を掛けた戦いを間近で観た詩なんていうのは、実に心躍る」


 自画自賛している彼に、コノエが耳を立てては、伏せて、濁った声ばかり漏らす。


 そりゃそうだ。

 彼が見たいと言っている戦いは、つい先ほど終わる予定だったものだし、この先だって存在しない。


「…………」


 そのことを正直に話せば、彼はステッキで肩を叩きながら考えるように、眉を潜めると、思いついたように目を見開いた。


「では、私が手を貸そう」


 最悪の手段を思いついてしまったらしい。


「待って。待ってください! 私は領主になるつもりはなくて、弟に任せるつもりです。なんか、色々有耶無耶になっていますが、このまま穏便に領民の方々にも迷惑を掛けずに、跡目争いは終わりにします」

「任せたまえ。私も平和主義だ」


 嘘つけ。


「なにより、私の親友は、そういったことが得意だ!」


 本日、何度目かもわからないコミュニケーションエラーが起きている気がするが、こちらが質問や否定をする前に、彼は広間の鏡にノックする。

 すると、鏡が波紋を広げ、映していたはずの室内が消え、白む。


 転移魔法の起点に鏡を使うことは多い。だが、それはあくまで、その用途に作った鏡の話だ。

 広間に置いてある鏡は、ただの鏡。魔力の魔の字も存在しない。

 それをただノックしただけで、転移魔法の起点にしてしまうボーシットデーモンの力に恐怖はあるが、笑顔のまま、明らかに眉を潜めて、不快そうな表情をしている辺り、彼にとって不都合な何かが起きているのだろう。

 癇癪を起さないでもらうことだけを祈りながら、様子を伺っていれば、鏡を数度撫でると、中に入っていった。


「本当に、消えちゃいましたよ……?」

「う、うん」


 ただ鏡の光は相変わらずのため、彼は戻ってくるつもりなのだろう。


 コノエと顔を合わせ、数分待っていれば、鏡が波紋を立て始め、現れたボーシットデーモンと彼に襟を掴まれている縄で拘束されている悪魔。

 その拘束されている悪魔を引きずりながら、広間まで戻ってくると、ボーシットデーモンはにっこりと笑みを深めた。


「私の親友、フロネーシスだ」


 記憶違いだと思いたかったが、ボーシットデーモンに紹介されては、本物なのだろう。


 ”フロネーシス”

 ボーシットデーモンと同様、悪魔族の中で特に注意する必要のある悪魔の一人。

 ただ、知恵の悪魔フロネーシスと称されるだけあり、多くの人や国からその知識を求められ、国の危機を救った実績もある。

 その後、ほぼ確実に国土が焼けるなどの大きすぎる不利益は存在するが、そこまでは利益をもたらしている。


「あ、そうだ。これ、お土産」


 フロネーシスを床に転がしながら、思い出したように、例の首飾りを見せる彼に、半ば予想していたとはいえ、言葉を失う。

 土産を渡す相手を、その現場に連れてきて、その上で土産を渡すというのは、本当に、全く意味が分からない。


 しかも、首飾りはフロネーシスの顔の上に落とす様子は、仲がいいのかもわからない。


「臨場感というのは、現場でこそ味わえるというものだからね。では、私は部屋を拝借してくる」


 言いたいことだけ言って、拘束したままのフロネーシスを放置し、屋敷の奥へ向かうボーシットデーモンに、コノエも私も二人の悪魔を見比べた後、フロネーシスの縄を解くことにした。

 どちらも関わりたくない悪魔ではあるが、どちらかを選ばなければいけないのなら、どう考えてもフロネーシスだ。


「助かったよ。解けないわけじゃないんだが、どうにも転移は苦手でな。特に、アイツは嫌がらせに多段転移しやがるから……」


 予想通り、フロネーシスの方が、会話が成立する。

 というより、フロネーシスは、彼の被害者なのではないだろうか。

 ならばと、今までの経緯を説明すれば、呆れたような視線を向けられた。


「彼から、どのような説明をされたかは存じませんが、これが真実です」

「心配するな。アイツの言葉を、まともに信じるやつはいない」

「そ、そうですよね」


 仮にも”親友”と呼んでいる相手から、この評価をされているというのは、さすがに同情してしまう。


「とにかく、オレは帰る」

「はい。ご迷惑をおかけしました」


 本当に話の分かる人だ。

 無事に帰ってくれるらしいフロネーシスは、大きな羽のようなマントの中で、何かを探るような動きをすると、眉を潜めた。


「…………」


 廊下の向こうで、ボーシットデーモンがフロネーシスのことを見つめながら、ニヒルに嗤い、手に持った美しい白銀の羽を振っているのは、気のせいだと信じたい。

 しかし、まぁ、うん。きっと、気のせいじゃない。絶対に。


「――――■■■■■■■■ッッ!!!!」


 聞き取れなかった早口の大声に、隣にいたコノエの耳と尻尾の毛が一斉に逆立った。

 先程まで、苛立ちながらも穏やかであったフロネーシスが、嗤う彼の元へ荒々しく駆け出し、息もできないような強風が襲う。


 舞い上がった髪が下りてくるには、廊下の向こうから、楽し気に笑うボーシットデーモンの声だけが木霊していた。


「…………ねぇ、コノエ。さっきの」

「言えないです!!」

「だよね」


 青い顔をしながら、首を横に振るコノエに、それ以上聞くのはやめた。

 ぷつりと途絶えた笑い声に、自然とため息が出てしまう。


「ミュラー様? 一度、お部屋に戻られては? お茶をお持ちします」

「そうね。正直、すごく気が重いけれど、これからのことを考えないといけないし」


 そのためには、廊下の向こうにいるふたりとも話し合わなければいけないのだろう。

 考えれば考える程、父の死を聞いた時以上に、気が重くなってきた。

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領主の跡目争いをリタイアするつもりが、突然やってきた悪魔のせいで参加せざる得なくなりました 廿楽 亜久 @tudura

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