第24話 襲撃1


 翌日、後宮内は不穏な空気に包まれていた。

 カーサがそれをはっきりと認識したのは朝早くのことだった。

 ……なんだろ。

 カーサは食堂で疑問を抱いていた。まず感じたのは雰囲気が悪いということだった。積極的に目を合わせようとせず、会話も最低限。誰かとすれ違っても軽く会釈をするだけで足早にその場を離れていた。

 活気がなくなり、空気が鉛を含んだように重苦しくなる。その原因が主上――ソウタ――の予想通りならばこれは根深い問題だった。

 臨戦態勢。小康状態ではなく一発触発。きっかけがあればパンパンに詰まった風船は簡単に割れてしまう。千年戦争の名残が色濃く残っている証拠だった。

 ……大変ねぇ。

 よそよそしい人々を眺めながら、カーサは一人食事をしていた。細かく刻んだ干し果物を混ぜ込んだパンに拳ほどあるチーズを交互に口に運ぶ。こんな状況でも食事の味だけは変わらないのが救いだった。

 それは皆が表面上だけはどうにか取り繕っているからに過ぎない。本能を理性が押さえているうちはまだ大丈夫。だからまだ危惧する状況ではないとカーサは感じていた。

 必要なのはガス抜きだ。千年続けた命のやり取り、溜まった怨恨を別の機会で発散する。やり方を知らないからこうなってしまっているだけであって、それを用意すればいくらか溜飲が下がるはずだった。

 ではだれがその音頭をとるか。それはソウタしかいない。それまでカーサは動く気はなかった。

 乾いた食事を終えて、流し込むように薄めたエールビールを飲み干す。他人の思惑が渦巻く中、カーサはお勤めへと向かっていた。






「夜伽番の降格?」


「えぇ、やりすぎたってことなんでしょうね」


 紫鬼はそういいながらも笑みを作っていた。肌は血色がよくなり、赤みがさすようになっている。片時も離さなかった酒器は今は片付けられ、代わりに甘い焼き菓子が皿の上におかれていた。

 知らずのうちにためていたストレスを酒で代用していた。それが一時的にでもなくなれば頼る必要もない。以前よりも生き生きと話す様子に、本来はもっと明るい性格だったことがうかがえる。

 部屋の中は物がずいぶんと少なくなっていた。昨日のうちに紫鬼が一人で片づけをしたからだった。夜伽番でなくなればこの部屋にはいられない。ほかの女衆と同じように相部屋になるしかなかった。

 ……むう。

 カーサは唇を尖らせて考えていた。昨日本格的にやりあったのは紫鬼とエメリアだ。しかしその前に火種を作ったのは自分だった。そのことについてまだなんのお咎めもない。これから通達されるというならまだ我慢できるが、特例のような扱いをされると苛立ってしまう。

 あんたの特別じゃないんだけど。カーサはソウタのいるだろう部屋の方向をにらみつける。罰というならどんな事でもやってやろう。だから変な手心を加えるつもりならその横っ面を張っ倒すつもりでいた。


「怪我は大丈夫なんですか?」


 備え付けの椅子に座るアポロが紫鬼に問いかける。焼き菓子を一つほおばり、その味に頬を緩ませる姿は無垢な子供のようでとても愛らしい。

 すっと伸びた手は紫鬼のものだった。彼女は近くにあった本を一冊手に取ると、そのまま指に力を込めて握りつぶす。

 みしみしと聞き覚えのない音を立てて本が激しくゆがんでいく。一度握りなおすとそのまま拳は完全に閉じていった。


「……絶好調かしら」


 ぽいっと放り投げた本のなれの果てが床に当たる。ゴンっと音を立てた、もはや原型が想像できない塊は小さなカーサの手にも収まるほど圧縮されていた。

 ……こわっ!

 小石のようなそれを懐にしまいながらカーサは思う。これが鬼種のスタンダード。比類なき力は戦闘によって磨き上げられ受け継がれていったもの。千年の研鑽をふいにされたら誰だって不調になるだろう。

 ただそれに勝るとも劣らないエメリアは何者なのか。ただのハーフに純粋な鬼の力を真正面から受けることは不可能なはず。経験、技術だけでその差を埋めたとしたら驚愕を通り越してもはや恐怖だった。

 ……ん?

 ふと視線に気づいてカーサは顔を上げる。

 紫鬼だ。彼女は印象の違う笑みを浮かべてカーサを見つめていた。煙管をふかして、お気に入りのおもちゃを見つけた子供のような目つきに寒気を覚える。


「そういえばだけど、知ってるかしら?」


「な、なにを……」


「あなたが壊した衣装。あれは私の一族に代々伝わる花嫁衣裳なのよ。主上に嫁ぐからってわざわざ受け継いだものなんだけど……ねぇ、どうすればいいと思う?」


 ……やっぱり。

 カーサはうなだれて、息を漏らす。素材から製法まで並み大抵の事では手に入らない一品だ。使い勝手が悪いのはその分歴史が詰まっているということで、金額にはできない価値がある。

 当然、同じものを用意しろと言われてすぐに調達できるわけもない。仮に側だけ用意できたとしてもそこに込められた思いまでは再現できないのだから。

 紫鬼は怒っている、というようには見えず、意地の悪い質問にどう返答するかを楽しんでいるようだった。煙を食み、余裕ぶった姿は絵になる。

 沈黙。カーサは答えることが出来なかった。否、答えてはいけなかった。事は当人同士の範疇を越え、種族間での問題と言っても過言ではない。安易な返答のつけを払うことになるのはカーサではなく、長老含めた小人族全員になってしまうからだ。

 装いを正して、土下座をする。許しすら乞えない状況では相手の言葉を待つしかなかった。

 カーン。

 煙管に溜まった灰を落とす音が響く。葉を詰め直し火を点けて、一息ゆったりと吸った紫鬼は、


「……弁償しろなんて言わないわ。私が受け継いだものなんだからどう使おうと、駄目にしても私が文句を言われて終わり。それ以上の問題にはさせないわ」


「ありがとうございます」


 口にして、なおもカーサは冷や汗を滝のように流していた。

 ろくでもないことが起こる。そんな予感に毛先が持ち上がる。

 弁償しなくていいなら、話がそこで終わっているなら、わざわざ話題にする必要がない。衣装を駄目にしたことを口実に何かさせたいと思っているのがまるわかりだった。

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