第4話 王子の気持ち(侑李視点)

「おはよう、飯田いいださん。朝練お疲れ様」


 朝。俺は珍しく女子に話しかけた。

 斜め前に座る彼女は、俺の好きなあの子の親友だ。今後のためにも好印象を与えておかないと、という少しずるい考えで飯田いいださんに笑顔を向けた。


「……おはよう、佐藤さとうくん。私にまで気使わなくていいよ」

「あ、そっか。有沢ありさわさんが俺のこと何か言ってなかったかな? と思って……」


 飯田いいださんは少し面倒そうに息を吐いた。彼女が俺とあまり関わりたくないと思っているのは以前からわかっていた。


「一通り聞いたよ。けど、他の人に言うつもりはないから。大会も近いし、あまり目立たないようにだけはお願いね」

「はい……」


 そう言い放って、飯田いいださんは僕に背を向けた。

 う〜ん。これって嫌われてる?

 まあ、バスケ命の彼女は、部活さえ邪魔しなければいいだろう。

 俺は深く考えないことにした。


 気がつくと、僕の席の横に数名の女子が立っている。いつものことだ。


「王子、今日の昼休み時間ある?」


 この前なんか他の学年の人が勝手に教室で待ってて、ちょっとした恐怖だった。


「何か用?」

「は、話があって……」


 俺は真っ赤になって声を絞り出すその子に、にっこりと、彼女たちが言う「王子様スマイル」で返事をした。


「告白と連絡先教えてと放課後や休日にどこか行こうっていう話以外なら聞くけど、どんな話かな?」

「ごめん……っ」


 目に涙を浮かべて、彼女たちは立ち去っていった。最初は罪悪感もあったけど、はっきり言わないと収拾がつかないから、この手の話は割り切って考えることにしている。


 今、俺の中にはお菓子作りと彼女のことしかない。

 有沢ありさわあさひちゃん。

 彼女を見つけたのは四月中旬。偶然、母さんにおつかいを頼まれて店に行ったときだった。

 父さんが作ったバナナロールを食べて「おいしい」と今にもとろけそうな、幸せそうな顔をしていたのが印象的で。可愛らしくって……一目惚れだった。

 そして昨日、やっと彼女を口説き落とした。試食役を頼んで逃げられたときはどうしようかと思ったけど、押せばいけるはずという自分の直感を信じてよかった。

 連絡先も交換したし、今日は帰りに来てくれる約束だし、放課後が楽しみで仕方ない。


 放課後。俺は自宅でケーキの準備をしながら、あさひちゃんを待った。

 ローテーション的にそろそろチョコ味の何かが食べたいはず。

 昨日の夜のうちに焼いたガトーショコラが食べ頃だ。もう少ししたら一緒に添える生クリームの準備をしよう。

 数時間後。俺は時計を見てそろそろかなと立ち上がる。

 ピーンポーン——!


「あ、来た!」


 インターホンのモニターには、あさひちゃんが映っていた。

 急いで玄関に走って、彼女を出迎える。


「部活お疲れ様! さあ、入って!」

「おじゃまします……」


 あれ? なんか元気がない?

 黙って俺の後をついてきてるけど、緊張しているというよりは落ち込んでいるようだ。どうしたんだろう?


「今日は来てくれてありがとう。好きなとこ座って待ってて」

「うん」


 ……やっぱり。

 椅子に座ったあさひちゃんは、背中が少し丸くなって肩を落としている。いつも歩いたり頷いたりするたびに揺れ動くポニーテールも、なんだかしょんぼりとしているように見えた。


「お待たせ。今日はガトーショコラだよ」

「わあ、おいしそう。ちょうどチョコ系が食べたかったんだ」


 予想は的中。あさひちゃんの表情が少しだけ明るくなった。


「いただきます!」

「はい、どうぞ」


 あさひちゃんは、まず生クリームをフォークで掬って、ケーキの上に乗せた。それをフォークでうまく切ってから、口の中に運ぶ。彼女は味わいながら、ふわりと笑顔を溢した。


「おいしい……」


 いつもの幸せそうな顔じゃない。味見はしたからおいしくないってことはなさそうだけど、ちょっとつり目の彼女の目尻が、とろけそうなほどに下がるのを予想していたのに。


 あさひちゃんは、俺の大好きなあの表情を浮かべることはなかった。


有沢ありさわさん、もしかして口に合わなかったかな?」

「え……、そんなことない、おいしかったよ?」

「そう? なんだか元気がない気がして。体調でも悪かった?」

「…………」


 俺は向かいに座っているあさひちゃんの顔を覗き込んだ。

 すると、彼女はポロポロと涙を流しながら、静かに泣き始めてしまった。


「あ、有沢ありさわさん、どうしたの?」

「……っ……ひっく……」


 今までに、俺に振られて泣いている女の子を放置して立ち去ったことは何度もある。けど、恥かしい話、俺は女の子を慰める方法なんて知らなかった。


 好きな子が泣いているのに、どうしたらいいかわからないなんて。


 こんなに自分が情けないと思ったことも、なんとかしなきゃと焦ったことも、生まれて初めてだった。

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