第8話

「もう心の準備は出来たの?」

 瑠璃が私に訊ねた。先程の私の様子が気になるのだろう。瑠璃の目から見ても、私が驚きのあまり狼狽えていたことは明らかだったはずだ。

「正直に言えば、まだ受け入れられないわ」

 そう返答すると、瑠璃は何かを言いたそうな顔のまま押し黙った。

 彼女の発言を疑っているわけではない。むしろ、彼女が言ったことが真実であると信じている。だが、だからこそ受け入れられない。言ってみれば、これはただの八つ当たり。だって、彼女の言ったことが全て正しいのならば、私たちの運命はあまりにも残酷で、救いがない。神々は、決して私たちを救ってなどいなかった。

「でも、私たちに残された時間は少ない。だから、今はただ行動するしかない。そうでしょう?」

 私が言うと、瑠璃がゆっくりと頷いた。

 夜の帳に包み込まれたこの病院の屋上で、月明りだけが私たちを照らす。まだまだ熱帯夜が続いているはずなのに、夜風が冷たい。

 時間は着実に進んでいる。時の流れは万物を流転させる、大いなる流れ。こうしている間にも、刻一刻と状況は変化する。私たちに残された時間は、あまりにもわずかだ。

「本当にいいんだね?」

 瑠璃が恐る恐る私に問いかけた。こんなに弱気になっている彼女は初めてだ。

「ええ。あの〝悪魔〟はここで倒す」

「わかった。じゃあ、もう一度確認するよ?」

 無言のまま頷いた。瑠璃が言葉を続ける。

「アイツは現世には侵攻できない。そう言う風に、制限をかけられて産まれたから」

 一度現世に出現してしまえば、それは間違いなく何らかの現象を起こす。ただ存在するだけで通常を異常へと変化させ、災いをもたらす。それが【上級悪魔】。アイツは、間違いなくその次元の存在だ。

「だから、普段は現世と〝世界の裏側〟の境目、つまり【擬似神代領域】に潜んでいる」

【擬似神代領域】とは、私たちが〝悪魔〟と戦うための舞台だ。私たちは悪魔と思しき存在を発見次第、【擬似神代領域】へと接続しているが、正確に言えばこの世界に展開しているのではなく、この世界とは異なる次元に接続し、悪魔と共にその次元へ移動している。言ってみれば、【擬似神代領域】とは地球と宇宙の狭間に存在する大気圏の様なもので、私たちは大気圏へと通じる道を作りだし、悪魔ごと引きずり込んでいるだけに過ぎない。

 そして、瑠璃と瓜二つの姿をしたあの悪魔は、私たちが利用している【擬似神代領域】の空間に潜伏しているのだという。

 だから、あの悪魔からの接触は【擬似神代領域】にいる時のみだった。

「だけど、それも終わり。蓮美を殺すことに失敗したアイツは、そろそろ本体の元へと帰還する」

 私の事情を報告するために。瑠璃の裏切りを知らせるために。

 そこから先は、私でも想像に容易い。瑠璃の言葉の先を、私が紡いだ。

「そうなれば、あなたの本体は現世へ侵攻するための準備を始める。そして、一年後か十年後か、はたまたそれ以上先か。いつかはわからないけど、確実に戦争がはじまる」

 戦争。それは、秩序を破壊し、世に混沌を齎さんとする悪魔たちと、その身に神々を宿した人間たちの代理戦争。すなわち、【最終戦争ラグナロク】の再来。想像しただけで身震いする、あの戦場地獄。絶対に、繰り返してはならない。

「何としても、あいつはここで排除するわ」

 瑠璃が頷いた。そして、躊躇いがちに私に訊ねる。

「勝算はあるの? アイツは現世への侵食も、【権能】も許されていないけど、悪魔としては間違いなく【上級悪魔】に分類されるよ?」

 瑠璃の不安も当然だ。【上級悪魔】と、それ以外の悪魔では存在の次元が違う。

【下級悪魔】と【中級悪魔】がそれぞれの知性によって区別されるのに対し、【中級悪魔】と【上級悪魔】の区別は〝現世への影響力〟で行われる。【中級悪魔】が人類に与える影響は、どれだけ規模が大きくても精々紛争や戦争の引き金になる程度。結果的に大勢の人々が命を落とすことになるが、それはあくまで人間の行いであり、その殺戮自体に【中級悪魔】は直接関与していない。だが、【上級悪魔】はたった一度、ほんの一瞬でも現世に顕現するだけで、何百万、何千万という数の人間を、生命を破壊する。それは地震や嵐といった自然災害であったり、未知の病原体であったり、様々な現象として現れる。だが、いずれの場合においても根底で共通するのは、世界を脅かす強大な存在の顕現。実体を持たない彼らは人々に認識されず、こう呼ばれる。

〝天災〟と。

 だからこそ、人類を滅ぼしかねない【上級悪魔】の存在は、世界の裏側で神々によって厳重に監視され、行動を制限されている。

 そんな相手に、再び戦いを挑む。瑠璃の心配も至極当然だ。だが、

「大丈夫よ。勝つわ」

 断言して、瑠璃を真っ直ぐに見据えた。覗き込んだ瞳の奥に入り混じる、不安と期待。

 本気を出した栗花落でさえ、傷一つつけられなかったあの悪魔。ある程度傷が癒えたとはいえ、勝てる見込みはほとんどない。万全の状態で挑んだとしても、私の実力ではかすり傷を負わせることさえ難しいだろう。

 けれど、私の中には〝予感〟があった。瑠璃の話を全て聞いて、信じている今だからこそわかること。私の命を賭けるには十分だ。

「……わかった。行こう。私も力になる」

 瑠璃が頷くと同時に、接続を開始する。


【擬似神代領域限定接続──クロノス、承認】

 幾度となく口にした文言を、決意を込めて高らかに唄う。

 刹那、私たちの周囲が切り取られ、異なる次元へと接続される。視界が、騒音が、匂いが、ありとあらゆる感覚が遮断される。それは、現世を離れ、神々の領域へと至る旅路。一切の感覚を隔絶されたこの暗黒の中では、コンマ〇一秒にも満たないこのごくわずかな時間が、永遠のように感じられて――私たちは、灰色の大地へと降り立った。

 十メートルほど先に立つのは、傍らの少女と瓜二つの姿をした〝悪魔〟。辺りを見回していた悪魔が、数瞬遅れて私たちに気付いた。

「やーっときたー。待ちくたびれたよー。首尾よく誘導してくれたみたいだねー?」

 悪魔が邪悪な笑みを浮かべ、私ではなく瑠璃に向かって嘯く。

「黙りなさい」

 私の言葉を無視して、悪魔が饒舌に語る。

「ちゃんと信用してもらえたみたいで何よりだ! しかし上手いこと騙したものだねぇ。穂村蓮美はキミのことを完全に信用している。流石、人間に生まれ変わっただけのことはあるね! ねぇ、一体どうやって騙し――」

「黙れ!」

 考えるより先に言葉が口をついて出た。意識するよりも先に握っていた斧槍を悪魔に突き付ける。

 出自がどうであれ、瑠璃は私の友人だ。その友人を信頼すると決めた私に、妙な揺さぶりは通用しない。悪魔の戯言は、最早ただの侮蔑でしかない。

「それ以上、私の友人を侮辱することは許さない」

 悪魔を見据え、斧槍を突き付ける。向かい合った双眸の奥で、黒い何かがどろりと蠢いたのを見た。

「そっかー。もう揺さぶっても意味がないんだね。残念だー」

 悪魔が邪悪な笑みを浮かべたまま、さして惜しむような様子もなく言い放った。

 次の瞬間、私は地を蹴り、凄まじい速度で悪魔との距離を詰めた。悪魔の眼前に迫り、横一閃。斧槍を振るう。しかし、手応えはない。私の斧槍は空を斬った。

「それで? 君たちの考えることはわかっている。ボクを倒すと言うんだろう? キミたち程度で、出来るかな?」

 背後から聞こえる卑しい笑い。振り向くと同時に、薙ぎ払う。しかし、それもまた手応えはなく、悪魔は斧槍の切先に触れるかどうかの距離で、私を嘲笑う。

「はっきり言うけれど、キミは単純な戦闘力だけなら、あの栗花落小雪より遥かに劣っている。そして、栗花落小雪はボクにかすり傷一つさえ与えられなかった。であるならば、キミがボクに勝てないのは明らかだろう? キミたち人間が愚かなことは知っているけれど、まさかここまで救い難いとはねぇ」

 斧槍を突き出す。ひらりと躱した悪魔を追って、刃が宙を滑る。だが、悪魔はそれさえもぬるりと音もなく躱した。その動きは余りにも流動的で、スライムを思わせる。ぬるぬると不規則に躱す悪魔を、鉛色の刃で追いかける。

 突いて、薙いで、斬り払って、また突いて。一向に当たる気配がない。

 得物を持たない、徒手空拳の人間。一瞬、菱子の姿が頭を過ぎった。だが、目の前で自在に躱す悪魔の姿は、とても人間とは思えない動きをする。関節なんてものが始めから存在していないかのような変幻自在の動き。

 それも当然か。相手は人間の姿をしているだけの悪魔。その構造まで人体と同じである保証なんて、どこにも無い。この悪魔の肉体には骨格なんてものないのかもしれない。

 だが、瑠璃と髪の毛一本違わぬその姿と、人体では到底あり得ない軟体動物の様な動きが、私の違和感を強烈なものにする。こんなに戦いにくい相手は初めてだ。

 ――それでも、こいつはここで倒さなければ!

 悪魔は不気味な笑顔を崩さず、ただ私の攻撃をひらひらと躱し続けている。明らかに私を舐めている。だが、これはチャンスだ。悪魔がまだ私を侮っているうちに、一撃でも与えられたら――

 間髪入れずに攻撃し続けながら、視界の端で気配を殺しながら動く瑠璃を捉えた。限りなく姿勢を低く保ち、私たちの視界に入らないよう動いている。

 不意打ちをする気か? だが、それはもう――まさか――いや、私は瑠璃を信じると決めた。なら、私の役目は悪魔の注意を引き付けることだ。

 私が悪魔に斧槍を振り下ろした。悪魔がわずかに後退し、躱す。そして、その悪魔を背後に回った瑠璃が――

「――なんてね」

 刹那、悪魔は振り向きざまにその右腕で瑠璃の胴体を貫いた。瑠璃の口から大量の血液が吐き出される。

「瑠璃ッ!」

「まったく。ちょっとがっかりだよー。殺意の籠っていない攻撃に、ボクが気付かないと本当に思っていたのかい? 狙いが見え見えなんだよねー。これだから人間は浅はかだ。お前もお前だよ。このボクに――」

 悪魔が腕を上げ、瑠璃の身体を持ち上げた。瑠璃の腹部から噴き出る鮮血が、腕を伝って悪魔に流れる。

「ボクに二度も不意打ちが通じるなんて、本気で考えていたのか? だったら、やっぱりボクたちは別物だ。元が一緒でも、キミは浅慮で愚かな人間に成り下がってしまった。丁度いい。このままここで始末しておこうか」

「させないッ!」

 斧槍を構え直し、悪魔へと突撃する。私の全膂力を斧槍に預け、その勢いのまま切先を悪魔へと向ける。しかし、悪魔は残った左腕で、斧槍の切先を軽くはたいた。たったそれだけで、私はバランスを失い、悪魔の足元へと倒れ込む。私の眼前に瑠璃の血が滴り落ちた。

「順番だよー。キミは後。今はこいつが先だ」

 悪魔が左腕を構え、瑠璃にとどめを刺そうとする。瑠璃の嗚咽が漏れた。

 思わず叫んだ。

「やめて! 瑠璃に手を出さないで!」

「あはははは! 無様だねぇ、穂村蓮実。倒すべき敵に命乞いだなんて。そこで見ていなよ、君が無力なせいでこいつが惨たらしく死ぬ様を!」

 悪魔が瑠璃の体ごと右腕を持ち上げた。瑠璃の表情が苦痛に歪む。

「瑠璃!」

 叫ぶことしかできない私を嘲笑う悪魔。その悪魔によって、今にも殺されそうな瑠璃。そして、どうすることもできないただの私。

 見上げながら、私は思う。

 どうして、私は彼女を助けられない。どうして、私には彼女を護るための力がない。どうして、どうして、どうして!

 気が付けば私は、自身の奥深くに存在するモノへと問いかけていた。

 時間神クロノスよ。私は昔、あなたに願いを叶えてもらった。それは、『かなえを護る力が欲しい』という余りにも傲慢で、矮小な、けれども私にとって命にも代えがたい願い。

 けれど、今は違う。私はかなえだけじゃなくて、菱子も、椿も、瑠璃も。みんなを護りたい。みんなと共にこの現在を生きて、〝未来〟へと進みたい。

 だから、お願い。私に力をちょうだい。

 あなたが私の願いによって生まれた存在だというのなら、

 どうか、応えて――

 そう祈った瞬間、凄まじい熱量を持った何かが全身を駆け巡るのを感じた。それはまるで、全身に火が付いたのではないかと錯覚するほどの熱量。

 身体が熱い。だが、これは異常ではない。私の奥底にある漲る力が、徐々に変容していくのを感じる。

 今なら、今の私になら出来る。頭に浮かんだ言葉を、そのまま口にした。

「――【極限時流制御・発散加速ダイバージェンス】!」

 そして、私は斧槍を手に再び立ち上がり、そのまま瑠璃を貫く悪魔の腕を切り裂いた。

 驚愕の表情を浮かべる悪魔を前に、落ちゆく瑠璃を受け止めてそのまま地を蹴り、距離をとる。瑠璃を地面に寝かせ、傷口を見た。胴体に突き刺さった悪魔の腕はすでに消滅していて、瑠璃の腹部には大きな穴が開いている。

 想像以上に傷口が大きい。これは早く手当てをしないと――

「あたしは、大丈夫、だか、ら」

 瑠璃が囁くように言った。一言話す度に口から血液が漏れ出している。

「瑠璃! 静かにして! 出血が酷い。話さなくていいから!」

「これが、きっと、あたし、の、罰、なんだ」

「ふざけないで! さっき話したばかりでしょう。あなたの罰は私たちと一緒に生きていくことよ! このまま死ぬなんて私が許さないわ」

 瑠璃の制服を剥ぎ取り、それを腹部にぐるぐると何重にも巻いた。真っ白だったカッターシャツがあっという間に赤く染め上げられていく。

「今はこれで我慢して。すぐに決着をつけるから!」

「――それはどうかな?」

 耳元で囁くような声。瞬時に振り向くと同時に、斧槍で薙ぎ払う。だが、当然のように躱された。跳躍した悪魔は私の十メートルほど前方に降り立った。

「うん。キミの戦闘力が向上したわけじゃなさそうだ。かと言って、キミの【権能】はただ時間を戻すだけのはず。さっきのは、一体どんなトリックを使ったんだい?」

「私がそれを素直に教えると思う?」

「思わないさ。けど、言ってくれたらこのまま退却してもいいのになー、なんて。どうだい? 教える気になったかい?」

 私は無言のまま悪魔を睨み付ける。少しして、悪魔が肩を竦め、諦めたように言った。

「仕方ないなぁ。『穂村蓮美について詳細を調査し、報告する』っていうのが、ボクの使命だしね。力ずくで教えてもらうしか、なさそうだ!」

 悪魔が地を蹴り、凄まじい殺気をもって突進してきた。

「――【極限時流制御・発散加速ダイバージェンス】!」

 私も、悪魔に向かって斧槍を構え迎え撃つ。

 再度、私に降り注ぐ拳の暴風雨。悪魔は得物を持たず徒手空拳で襲い来る。だが、その動きはやはり人体の構造を無視した曲芸のような動き。蛇のように蛇行しながら私の首元を狙う腕に、鞭のようにしなりながら腹部を狙う脚。

 そして、瑠璃を一瞬にして貫いたあの腕。いや、腕だけじゃなく脚も。人間のように見えるのはおそらく外見だけ。悪魔の身体は、常識はずれの軟性と恐ろしいほどの硬度を持ち合わせているに違いない。一撃でも受けてしまえば必ず致命傷になる。

 だけど、今の私なら――

「ほっ、はっ、よっ!」

 ふざけた掛け声と共に繰り出される、恐るべき速度の拳や脚。一呼吸で十、瞬きする間三度は襲い来る。おそらく、その全てがありとあらゆる人間を凌駕する威力。その拳は一撃で森羅万象を粉砕し、その脚は一蹴りで万物を破壊するだろう。これこそが、〝魔なるもの〟。世界を滅ぼさんとするものの斥候たる存在。

 だが、今の私にはそれら全てを躱し、逸らし、捌くことが出来る。

 攻撃が百を超えたあたりで、悪魔の顔色が曇り始めた。悪魔もようやく気付き始めたのだ。

 どれほどの数を打っても、どれほどの速度で放っても、すべてが致命傷足り得る一撃だったとしても、私はその全てを凌駕する。

 かなえが命を落とした〝あの日〟。私が願ったのは、『生きている彼女を護ること』だった。その願いが聞き届けられた結果、私には一定の時を巻き戻す権能、【時間跳躍ジャンプ】が授けられた。そして、私は彼女が命を落とす半年前の時間に舞い戻り、彼女の命だけでなく、世界の命運さえも救ってみせた。

 だが、今の私が切望するのは、『かなえたちと共に、今を生き、未来を歩むこと』だ。過去ではなく、現在と未来。その望みを私に宿る一柱の神、【時間神クロノス】は聞き届けてくれた。その結果、私の権能【時間跳躍ジャンプ】は変貌を遂げ、【極限時流制御】と相成った。

 それは、私だけが辿り着いた境地。現在への執着と、未来への渇望。ありとあらゆるものに等しく流れる時間を、私だけが制御できる【権能】。命を賭してまで未来を欲した私だけが、何よりも早く渇望する未来へと至ることが出来る神の御業。

 よって、悪魔の攻撃がどれほどの速度を誇ろうとも、時間の理から外れた私には決して及ばない。私だけが、加速する。

「どうしてッ! どうして当たらない! どうしてボクの攻撃が、お前程度に――」

「あなたの敗因。それは、私たち人間を見下していたことよ」

 この【権能】もあまり使いたくない。そろそろ、この悪魔に止めを――

 悪魔の連撃を捌きながら、手にした斧槍にぐっと力を込め、悪魔が私に回し蹴りを放った瞬間、

「そこッ!」

 渾身の一撃をもって、斧槍を振り下ろした。

 だが、

「……なんてね」

 悪魔はひらりと身を躱し、そのまま私から逃げるように走り出した。

「ははははははっ! やっぱりキミたちは愚かだ! 焦ったふりをすれば、必ず決着をつけるだろうと思っていたさ。ただの人間から逃げる、なんて癪だけど背に腹は代えられない。ボクは本体の元へ戻ることにするよ。準備が整ったら、真っ先にキミとそこの裏切り者を始末してやる。絶対に覚えておけよー! はははははっ!」

 悪魔の勝ち誇った笑顔に、疳高い勝利宣言。

 だから言ったというのに。

「聞こえていなかったようだから、もう一度言ってあげるわ。あなたの敗因。それは、私たち人間を見下していたことよ」

「ははははっ! キミはもうボクを捉えられない! この状況で今更何を――」

 悪魔が驚きのあまり声を失ったのと、悪魔の両足が切断されたのは全くの同時だった。

「ご機嫌よう。見るも汚らわしい邪悪なるもの」

 突然視界に現れた人物――栗花落が、地面に転がる悪魔に長鉾を突き付けた。悪魔が、栗花落と私を交互に見上げながら、問う。

「なっ、なんで、いや、いつから栗花落小雪がここに?」

 そして、『なぜお前はそれを知っていた』と言わんばかりの驚きの表情を私に向ける。

 栗花落がいつからここにいるのか。私は知っている。

それは、昨日からだ。

 昨日、悪魔と戦闘して以後、私は栗花落の姿を見ていなかった。ここに来るまでは傷を癒やしているのだろう、とも考えていた。

 だが、ここに来て再び悪魔に戦いを挑んだ際の瑠璃の行動。自身の存在を悪魔が認知していると承知しているはずなのに、それでいてなお彼女は愚直に不意打ちを仕掛けた。それはつまり、自身の不意打ちによって悪魔の注意を逸らし、不意打ちをかけようとするもう一人の人物の存在を勘付かせないためだ。瑠璃は知っていたのだ。栗花落が既に【擬似神代領域】に潜み、悪魔の隙を伺っていたことを。

 そして、一昼夜にわたって悪魔の視界から逃れ、自らの気配を隠し通せたのも、栗花落の【権能】によるものだろう。

 だが。私は当然そんなことをこの憐れな悪魔に教えてやるつもりは毛頭なく、それは栗花落も同じようだった。

「一片の塵さえ残らず消滅する貴方に、それを尋ねる権利があると思いまして?」

 栗花落が長鉾を上段に構えた。悪魔は身じろぐが、既に奴の両足はもがれており、当然逃げ切れるはずがない。

「ま、待て! 穂村蓮美の秘密を教えてあげよう! ほら、栗花落小雪は知りたがっていただろう? ボクが今すぐ教えて――あぁぁぁぁぁ!」

「では、さようなら。――【我、幾千を殺す者也黄泉津大神】!」

 刹那、悪魔は文字通り両断され、その存在を抹消された。

 不快な断末魔の残響だけが、灰色の世界に空しくこだまする。

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