第6話


「少し、いいかしら。話があるのだけれど」

 話しかける私に、栗花落が穏やかに微笑んだ。

 私にとっては二度目の、九月初めの月曜日。始業式を終え教室へと戻った私は、真っ先に栗花落に話しかけた。教室内が軽くざわついたのを肌で感じる。もっとも、私自身は表情筋を強張らせないことに全神経を張り巡らせていたが。

「ええ、私は構いませんわ」

 栗花落の芝居掛かった口調に苛立ちを覚える。だが、ここでそれを表にだしてはいけないと、理性がブレーキをかけた。

「そう、よかったわ。では、放課後に体育館の裏手に来て」

「わかりました」

 踵を返し、栗花落から距離を取る。伝えるべき要件は伝えた。これ以上会話する理由はない。

 教室内のクラスメイトが何人か私を見ている。正確には『栗花落に話しかけた私』に注目しているのだ。夏休みを挟んでもなお、栗花落がクラスメイトに与えた印象は強烈なものらしい。そして、かなえたちも例に漏れず私を見ている。

「蓮美ちゃん、どうしたの?」

 近づいた私に、かなえがストレートな質問をぶつけた。『どうしたの?』とは、もちろん私が栗花落に話しかけたことだ。

「えぇ、少し用があって」

 はぐらかすように曖昧に微笑む。私の真意を告げたところで理解できないだろう。

「なんだ? 喧嘩か?」

 茶化すように菱子が言った。

「違うわ。喧嘩っ早いあなたと一緒にしないで」

「そうだよなー。蓮美はあたしと違って我慢できるから……って、どういう意味だ!」

「そのままの意味よ」

「上等だ! その喧嘩買ってやるから表に出ろ!」

「そろそろホームルーム始まるし、落ち着きなよー」

 瑠璃があくびしながら言う。そして、私を見据えて訊ねた。

「でも、あんまり穏やかな雰囲気じゃないねー。何かあったの?」

 言葉は穏やかだが、眼は真剣だ。

「えぇ、少しね。大したことじゃないわ」

 言いながら自分に言い聞かせた。そう、大したことじゃない。ほんの少しの時間であっという間に終わるはずだ。

「ふーん」

 露骨にはぐらかされたのを感じ取ったのだろう。三人ともそれ以上追及しなかった。そして、話題は夏休みに何をやり残しただの、今年も彼氏が出来なかっただの、進路をまだ決めかねているだの、他愛もない話になり、私の話は流れた。

 やがて、チャイムと共に気怠げな担任が教室に入ってきた。

 簡単に連絡事項が伝えられ、その場で解散となった。それまで静かだったクラスメイトたちが一様に席を立ち、話を作って午後の予定を立てている。

 誰にも気づかれないよう、静かに深呼吸した。

 大丈夫。私なら出来る。

 教室に残って話し込んでいるかなえたちに背を向け、カバンを手に取って教室を出た。


 体育館の裏手で待つこと数分。栗花落が悠々とした足取りでやってきた。

「あら、お待たせしてしまいましたかしら?」

 いつも通りの余裕ある微笑を浮かべながら栗花落が尋ねた。

「大丈夫。私も今来たところよ」

「まぁ! そんな台詞をあなたから聞くなんて。まるで逢引のようですわね」

 何が面白いのか、栗花落がクスクスと笑う。屈託のない笑顔はまるで、どこにでもいる少女のようだ。

 だが、彼女がそんな生易しい存在でないことはとうに把握している。

「それで、どのようなご用件ですの?」

 かなえたちは確かこの後カラオケに行くと言っていた。私も行きたい。手早く済ませ、合流しよう。

「単刀直入に言うわ。あなた、私に殺されてちょうだい」

 告げると同時に、擬似神代領域へと接続する。そして、即座に得物を手に、栗花落に斬りかかった。

 栗花落は慌てる様子もなく、私の一撃を手にした長鉾で防ぎ、受け流した。

「あら、随分と不作法ですわね。一度キチンとお話しませんこと?」

「必要ないわ」

 今更話し合う余地などない。こいつは一度ならず二度までも私の友人に手をかけた。私がこいつを殺す動機はそれで十分だ。

 相手の得物も長物である以上、斬り伏せるのは難しいか。持ち方を変え、先端のニードルを突き出す。

「ふふふ。お可愛いこと」

 栗花落は微笑を崩さない。ニードルの鋒に長鉾の刃を当て、突きの軌道を難なく逸らした。

 ならば手数で攻める。速度を上げて絶え間なく繰り出す刺突の連撃。だが、栗花落は私の速度に難なく合わせ、その全てを長鉾で防いだ。

 やはり、強い。私の攻撃を瞬時に見極める動体視力、私の速度についてくる身体能力、何より私の攻撃を読み切る思考力。どれをとっても私が見た【ゴッズ・ホルダー】の中で最上位に位置している。そして、初対面の時にも感じていたことだが、こいつには圧倒的な戦闘経験がある。それはもちらん、悪魔ではなく対人だ。一体どれだけの【ゴッズ・ホルダー】をその手にかけたのか。

「あなたのような方は、たまにいらっしゃいますの。私のことを通り魔か何かと勘違いしていらっしゃる方が」

 栗花落が大げさに首を振って悲しむ素振りを見せた。それでも長鉾を操る手には何の狂いもない。

「似た様なものでしょ」

 再度、斧槍を突き出す。

「あなたにとっては、そうかもしれませんわね」

 栗花落が小さく笑い、突きだした切先に刃をぶつけた。斧槍が弾かれる。

 ここだっ!

「ええ、そうなのよ。私にとって、あなたはただの人殺し。私の友人を二度も殺そうとした、理解不能な殺人鬼。だから、死んで、ちょうだい!」

 弾かれた勢いを殺さず、そのままその場で一回転。速度を増した三日月状の刃で、栗花落に斬りかかる――

 だが、そこに栗花落の姿はなく、私の刃は空を斬った。

 バカな! ここに隠れる場所なんてない。一体どこに――

「それは出来ません。だって、私があなたを殺してしまいますもの」

 上から声がした。刹那、空を見上げる。そこには、私の遥か頭上で長鉾を大きく振りかぶり、私目掛けて自由落下する栗花落が!

 気付くのが遅れた! 全体重が乗った攻撃を防御することは難しい。早く回避を――

「遅すぎます」

 回避も間に合わない。攻撃の直前、咄嗟に斧槍を上段に構えた。だが、栗花落の一撃は想像を絶するほど重かった。直接負傷することこそなかったものの、その衝撃で私はゆうに四、五メートルほど後方へ吹き飛ばされた。

 なんて凄まじい破壊力だ。まともに受けたら間違いなく、致命傷を負うだろう。

 だが、私はまだ戦える。

 素早く立ち上がり、斧槍がないことに気が付いた。辺りを見回し、二メートルほど右方にあるのを見つけ、駆け寄ろうとした矢先、左脇腹に衝撃を感じた。

「うぶぅッ」

 情けない呻き声と共に、肺の中の空気が全て放出され、私は再度吹き飛ばされた。

「はい。これにて終了です」

 栗花落が地面に転がった私を踏みつけ、喉元に長鉾の切先を当てながら告げる。

「頭と胴体がお別れする前に、何か言い残すことはありまして? ねぇ、穂村さん」

「……さようなら」

 私が絞り出した言葉を苦し紛れの一言だと思ったのか、栗花落がケラケラと小気味よく笑った。

「えぇ、そうですわ。これでお別れ、ですものねぇ?」

「あなたが何を勘違いしているのかはわからないけど 次に私とあなたが会う時、私はあなたを殺すのよ」

「――は?」

 栗花落が笑うことを止めた。

 やはり、栗花落は気付いていなかった。私がここまでの肉弾戦において、【権能】を行使する素振りさえ見せなかったことに。

 それこそ私の狙い通り。そして、私の仕込みは既に終わっている。

「あなた……もしかして、この状況から私を殺すおつもりですの?」

「いいえ、違うわ。私が殺すのは、今のあなたじゃない」

「一体、何を――」

「――【時間跳躍ジャンプ】!」

 叫んだ途端、地面に押さえつけらているはずの身体が宙に浮くような浮遊感。

 栗花落が一瞬硬直し、しかし私が何か企んでいることに気付いたようだった。

 だが、もう遅い。

「一手、私が早かったわ。改めてさようなら、人殺しのあなた」

 栗花落が長鉾で私の首に刃を押し当て――


 回転して速度を保ったまま栗花落に斬りかかる――が、私の刃は空を切った。当然だ。なぜなら――

「それは出来ません。だって、私があなたを殺してしまいますもの」

 栗花落は私の遥か頭上に跳躍している。そして、長鉾を上段に構え、そのまま私に振り下ろそうとしている。

 これを待っていた! 私は斧槍を振り回しながら、その場でさらにもう一回転し、その速度を殺さず、上方に構えた。

「なっ……!」

 たとえ、どれだけ強くて戦い慣れていようとも、所詮は同じ人間だ。だったら、こいつを殺すのにはたった一撃の致命傷で事足りる。そして、その一撃を与える隙を私は待っていた。

 栗花落が自らに向けられた切先を凝視し、眼を瞠った。その表情を見て私は、ああ、こんな表情もするのか、と頭の片隅でなぜか安堵した。だが、そんなことも最早どうでもいい。

「空中なら身動きが取れないでしょう? 今度こそお別れよ」

 さようなら。胸の内で呟き、斧槍を突き出した。

 やっと終わる――その時だった。

「――【我、幾千を殺す者也黄泉津大神】」

 栗花落が呟いた。

 刹那、落下する栗花落に向けていたニードルの先端が、栗花落に触れた瞬間に彼女を貫くことなく恐ろしいまでの速度で灰と化していく。私の斧槍が破壊されている!

 椿の〝糸〟だけでなく、私の武器をも破壊して見せたあの【権能】は。栗花落の武器である長鉾。そして、たったいま栗花落が言ってみせた『名前』。

 まさか、栗花落に宿る神は――

 次の瞬間、額に強い衝撃を受け、私は吹き飛ばされ、地に伏せた。体勢を立て直そうとするが、身体が上手く動かせない。

「驚きましたわ。まさか、私があなたごときに【神通力】を使わされるだなんて」

 コツ、コツ、と栗花落の足音が響く。

 まさか、あの一撃を躱されるなんて。身体に残ったダメージは大きい。まだ戦えるが、万全の状態でも栗花落に押されていた。今の状態では五分と持たないだろう。そして、私の権能は一度使用した後三十分ほどインターバルが必要だ。つまり、もう私に打つ手は、ない。

 全身の筋肉が弛緩し、鉛のように重く雨雲のようにどす黒い感情が、胸中を満たしていく。絶望。万事休す、か。

「さて、と」

 栗花落が私の首を掴み、片手で持ち上げた。気道を塞がれ呼吸が出来ないばかりか、高く持ち上げられ足がつかない。足をばたつかせて私の身体ごと揺さぶるが、首元を抑える栗花落の手は揺るがない。

 次の瞬間、栗花落の顔からわざとらしい作り笑いが消えた。目をカッと見開き、私を凝視している。

「あなたはっ……! あなたに聞きたいことがあります」

 意識が朦朧とする中、栗花落の言葉に違和感を覚えた。つい先ほど【時間跳躍】する前に私が追い詰められたとき、栗花落は何も訊ねず私を殺そうとしていたはずだ。

 今更私に何を聞く?

「……ぅ、ぁっ……」

 言葉が出ない。喉元を掴まれているのだから当然か。

「あら、いけない。私としたことが」

 栗花落が私の首を離した。力なく尻餅をついて地面に横たわり、激しく咳込む。

「さあ、答えていただきますわ」

 言いながら、栗花落が長鉾の刃を私の首元に軽く押しあてた。刃の当たっている場所が熱を帯びていく。

「あなたは一体――」

 そこまで言って、栗花落は言葉を止めた。見上げると、栗花落の視線は私にはなく、私の背後へ注がれている。直後、何者かの侵入を感知した。そして、脳内に直接響く、頭が割れたかのような激しく鋭い痛み。

 そして、

「お楽しみ中のところ、ちょーっと失礼するよー」

 背後から聞こえたのは、軽薄な調子で、けれど聞いた者を威圧する声。それは、少し前に一度聞いたことがあるだけの、しかし決して忘れがたい声だった。

『いつでも見守ってるからねー』

 最悪だ。最悪のタイミングで、アイツが姿を現した。

「あなたは……」

 栗花落が私の遥か後方を茫然と見つめている。つられて私も振り返り、視界に飛び込んできたその姿を目の当たりにして、我が目を疑った。

「やっほー、穂村蓮美。実際に会うのは初めてだねー」

 作り笑いを浮かべ、私に向かって陽気に手を振るその姿は、私のクラスメイトであり友人の、瑠璃そのものだった。

「な…………」

「いやー、お取込み中のところごめんねー? ボクも邪魔したくなかったんだけどさぁ」

 目の前の光景に、理解が追い付かない。姿形はどこをどう見ても制服に身を包んだ瑠璃そのものだ。だが、軽薄な語り口も、気配も、私に向けられた殺意も、その全てがあの時の悪魔であることを雄弁に語っている。何より、私の中の神が、私に語り掛けてくる。それは本能。神々に反旗を翻した、人ならざる者たちに向けられる殺意。

 アレを排除せよ、と。

「いやぁ、『穂村蓮美の事情は全て理解しましたよー』って上に報告したら、始末して来いって言われちゃってさ。『放っておいても殺されますよー』って言ったんだけど、自分たちで直接を手を下さないと信用できないんだってー。全く、悪魔遣いが荒いよね。そんなわけで、殺されそうになってるところ悪いんだけど、ちょっと殺すね!」

 瑠璃の姿をした何者かが私に語り掛けながら、ゆっくりと、けれど確かな足取りで近づいてくる。

「大丈夫だよ。ボクなら死んだことにさえ気付かせないほど、一瞬で終わらせてあげられるから。そこの人間にいたぶられながら殺されるよりは、ずっといいだろう?」

 一歩、また一歩。灰色の大地に響く足音。それは、比喩でなく〝死〟の足音に他ならない。

「さぁ、ほら。怯えなくていい。怖がらなくていい。大丈夫だから」

 私との距離が一メートルほどのところまで来たとき、悪魔が足を止めた。眉間に皺をよせ、私の後方を睨みつけている。

「どういうつもり? キミに用はないんだけど」

 振り返れば、私に刃を向けていた栗花落が、長鉾の切先を悪魔に向けている。

「ええ、もちろん承知していますわ。あなたに用がないことは、私も同じですの。……けれど」

 栗花落が地面をけって私を跳び越し、私と悪魔の間に割って入った。

「私はまだ彼女に用がある。彼女には聞かなければならないことがありますの」

「ああ、知ってるよ。栗花落小雪」

 悪魔が栗花落の名を呼んだ。栗花落がピクリと眉を動かした。

「ボク、こう見えて結構何でも知ってるんだよねー。例えば、キミが両親を殺したこととか?」

 悪魔の発言に耳を疑った。栗花落が両親を殺した? 初耳だ。一体、彼女の身に何があったのか。

「もちろん、キミが知りたがってる穂村蓮美のことも知ってるよ。それを教えてあげるから、彼女を――おっと!」

 悪魔が喋り終わる前に栗花落が斬りかかった。ちらりと見えた栗花落の表情に思わずギョッとした。目をカッと見開き、血走った瞳で悪魔から一瞬たりとも視線を逸らさない。まるで、獲物を前にした獣のようだ。

 栗花落が手馴れた鉾捌きで、悪魔に向かって突く、斬る、薙ぐ。だが、悪魔は軽やかにアクロバティックな動きで軽快に躱す。

「危ない危ない。いくらボクでも、キミの【権能】をまともに受けたら流石にキツイからねぇ」

 悪魔がケタケタと笑う。その様子を見た栗花落が、更に怒りを迸らせる。

「黙りなさい! この世に混沌と破壊をもたらす不浄め! 貴様のような者が存在するから、人々は信仰を見失う! 今ここで、私が邪悪を絶つ!」

「おお、怖い怖い。でも、ボクがいなくてもキミの両親は変わらなかったよ? 自分たちの行動が正しいものだと信じて疑わず、一切疑問を持つこともなく破滅へと突き進んでいた筈さ」

「黙れぇぇぇぇ!」

 栗花落の雄叫びが灰色の世界に響き渡る。直後、栗花落の長鉾が一段と速度を増した。変幻自在な軌道を描いて、空間を縦横無尽に飛び回る鉛色の刃は、人の身でありながら神にも劣らぬ速度を以てして、目の前の怨敵を屠らんとする、銀色の暴風雨。まさに、〝神速〟。速過ぎて、とても私の眼では捉えきれない。

 あれが、栗花落の本気――!

 だとすれば、彼女は私相手に全く本気ではなかったというのか。一体、どうして――。

 刹那に何十、何百と繰り出される攻撃。だが、悪魔は顔色一つ変えず、その全てを軽快に躱していく。

 一瞬、また一瞬とわずかな時を重ねるごとに、栗花落の顔に焦りが浮かび始めた。

「おお、すごいすごい! まさか、ここまでやるなんて! いやー、キミも中々やるもんだね。正直侮ってたよ」

 一貫して飄々とした態度を崩さない悪魔が、軽やかな口調で高らかに笑う。

 そして、

「やっぱり――キミも殺しておこうか」

 悪魔が口角を吊り上げ、にたりと笑った。刹那、栗花落が動きを止めた。

 いや、違う。あれは動きを止められている。

 栗花落が自由自在に振り回していた長鉾は、栗花落自身とともに完全に停止していた。切先を摘んだ悪魔のたった二本の指によって。

 困惑、焦燥、憎悪、憤怒。様々な感情で栗花落の表情が塗りつぶされていく。

「キミたちの力ってさぁ、所詮紛い物なんだよねー。オリジナルの【権能】を人間でも扱えるように縮小して、その上でセーフティをかけてるんだ。本物が打ち上げ花火百発分の熱量だとしたら、キミたちのは精々線香花火一本分ぐらい? ボクからすればオモチャみたいなものだよね」

 悪魔がケタケタと笑う。その屈託のない笑顔は、子どもと見紛うほど無邪気だ。

 そして、悪魔がほんの少し指先に力を加えた。瞬間、栗花落の長鉾がバキバキと音を立てて、先端から崩れ落ちた。

 足元に広がった残骸を茫然と眺めることしか出来ない栗花落。悪魔が言う。

「とは言っても、キミの【権能】が危険だったのは本当だよ? キミがもう少し冷静にだったらボクも負けてたかもしれないね。いやー、キミが人間で助かった」

 栗花落が愕然とした表情のまま、膝から崩れ落ちた。

「じゃあ、さよならだ」

 そう告げると、悪魔が自らの腕を栗花落の首に伸ばし、そして――

 次の瞬間、

「させないっ!」

 突如として、悪魔の背後に現れた何者か。その人物は目にも留まらぬ速度で、悪魔を背後から素手で貫いた。

「……驚いたよ。まさか、邪魔しに来るなんて。裏切ったのかい?」

 悪魔が動じることなく呟いた。乱入者はその問いに応えることなく、腕を素早く引き抜き、そのまま悪魔を蹴り飛ばす。悪魔の身体が一瞬にして地平線まで吹き飛ばされた。

 悪魔が吹き飛んだことによって、私の位置からもその人物の顔が見えて――驚愕した。

「――――瑠璃!」

 悪魔を不意打ちし、彼方へと弾き飛ばした人物。その姿もまた、紛れもなく私のクラスメイト、瑠璃だった。

「一体、何がどうなっているの! 何故あの悪魔はあなたの姿をしていて、何故あなたがここにいるの! あなたは何者なの!」

「蓮美、今は説明してる暇がない! ひとまずここから出るよ!」

 いつになく緊迫した様子の瑠璃。こんな彼女は初めて見た。

「でも、あの悪魔は――」

「吹き飛ばしただけ! あたしじゃアイツを倒せない! ほら、早く!」

 瑠璃に急かさるまま慌てて立ち上がり、

「――【切断】」

 と告げた。直後、辺りの景色が溶ける様に消えていき、私たちは見慣れた体育館裏に戻った。

 辺りには私と目の前の瑠璃、そして、少し離れた場所でへたり込んでいる栗花落しかいない。

 あの悪魔を捜して周囲を見回していると、瑠璃が言った。

「大丈夫だよ。アイツは、【擬似神代領域】にしか、現れない」

 瑠璃が息を切らしながら言った。私は未だに目の前の彼女に対して理解が追い付かないでいる。一体、なぜそんなことを知っているのか。

 聞きたいことが山ほどある。

「瑠璃! あなたはどうして――」

 問いかけて、気付いた。生気の失せた土色の肌。大量の汗。肩でしている呼吸に、焦点の定まらない虚ろな瞳。

 見るからに消耗し、衰弱している。

「あなた、大丈夫なの?」

「ああ、大丈夫だよ。ちょっと疲れただけ。……いや、ごめん。やっぱり無理をし過ぎたみたい」

 そう言うと、彼女はその場に座り込んでしまった。力なく笑う彼女からは、いつもの余裕が感じられない。

「色々、あとで話すからさー。先に行っといてくれない? あたしは、しばらく動けそうにない」

「行くって、どこに?」

「病院」

「病院? どうして私が――」

「さっき、かなえが倒れた。意識不明で、救急車を呼んだよ」

 かなえが倒れた。意識不明で、救急車を――

 瑠璃の言葉を口の中で反芻する。

 理解が追いついた途端、目の前が真っ暗になった。



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