第4話

「まゆつば?」

 銀髪の少女は、こくんと頷いてみせた。

「人間は自分たちが狐に騙されぬための術と勘違いしているようだが、それは、間違いだ」

「そうなの?」

 幾分、年上らしい少女が驚く。

「私、てっきり、そういうものだとばかり思っていたわ」

 ちっちっと人差し指を振ったかと思いきや、今度は小さな入れ物を取り出す。

「お化粧するの?」

「そう、これはとっておきのべに。これを眉に塗ることで、あるものを封じる」

「何かな、何かな」

 はりきって、短い髪が揺れる。

「これは、人から騙されないためのまじないだよ」

 思えば、あれ以来、私は文字というものが、ほとんど読み書きできなくなってしまった。まさに、五里霧中。いつも、ぼんやりとしたイメージの中、童話よろしく、微かな手がかりを拾い集めている。それでも、狐にしてみれば、本来の目的はまるで違うらしい。それは、「術」の使い方を思い出させる鍵のようなものだったらしい。確かに、文字を捨てた私の脳は、別の扉を開いたのだった。

 たとえば、白昼夢を視ること。

 あるとき、狐の神様が逢いに来た。

 そなたは、将来、座敷童子と夫婦になるであろう。しかし、夫が神ならば、そなたも同様なのだ。神同士の婚姻を我ら狐は「重陽婚ちょうようこん」と呼んでおる。これは、神々の世界ではよくあること。しかし、現世での重陽婚は災いを産む。結婚生活は、十年と続かないであろう。

 瞬間、私は座敷童子を脳裏に思い描いたのだった。

 はい。かまいません。あの人と私が、子供を作るのがいけないことなのですね。

 狐の神様は、しんみりとして、私をぎゅっと抱き締める。

「どうか、そなたの父上と母上を恨まないように」

 これから先、白いたてものに連れて行かれる。そこでされることを、私は知っていた。それから、予定通り、座敷童子に会って、恋をした。あの人は、ずっと、自分の子供を欲しがっていたから、私は彼の願いを受け容れた。そうして、出会った我が息子。私が産んだ、血の繋がらない赤の他人。

 ちりちりと音を立てて燃えるよう。どうしてか、みんな、そのことを口走る。それは、重い澱となって、最後にはヘドロになって、足にからみつく。

 解っている。これは、重陽婚だから。こうなることが決まっていた。それでも、私は、恋をしたのだ。このことだけは、曲げられない。私の宝物。


 *


「だからね、みつくんには、ちゃんと恋をしてほしいの」

 静保しずほは、言う。

 清澄な空気、池の前のベンチ。膝の上には、毛玉。

「どうしたの?」

 静保が、首を傾げる。

「いやあ、静保って、本当に狐になったんだなあと思って」

 まじまじと見つめる。静保は、おかしそうに笑う。

「そうだよ。私は、死んで、この子の身体をもらったの。どう、可愛いでしょう」

 うりうりとなでてやる。おほんと神主の咳。

「あ」

 振り返る。

「ご説明を」

「あ、はい」

 静保が、姿勢を正す。真剣なまなざしを向けてくる。

「つまり、これは」

 ごくりと唾を飲む。

「お見合い、ですね」

「そう」

 こくんと頷く。

「で、どう? あのは?」

 寂しげな姿。どこか、家族の面々が重なる。それは、静保や父、帯解おびとけなど。……。白いワンピース。確か、半袖には校章らしきものが…。

「ちょっと待って。あの娘、高校生なのでは?」

「大丈夫。死んでいるから。そう言うの、関係なし」

 なし、なしかあ~と、一人、もにょもにょする。

「ちなみに、お見合い不成立ならば、今日のこれはただの夢と消える」

「え、ええ~…」

 静保が、前足でちょんちょんする。

「でもね、見事夫婦となれば、七夕の度に、妻子に会えます!」

 はしゃぐ子狐。可愛い。

「はい? 妻子?」

 神主に、目を遣る。

「この世界で、結婚と言えば、通い婚のことだからな」

「はあ!」

 変な声が出る。

「蜜くん、別に初めてって訳でもないでしょうに」

「いや、うん…」

 母親から、目を逸らす。

「女学生みたいだな…」

 神主が、ぽつりと呟く。

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