彼女からの罰

三鹿ショート

彼女からの罰

 私と彼女は、愛し合っていた。

 無機物や人間以外の動物に対して恋愛感情や性的感情を抱く人間に比べれば、彼女が新たな生命を宿す時期が未だに訪れていないような年齢だとしても、遥かに生産的だといえよう。

 だが、世間の目が厳しいということは、理解している。

 だからこそ、私と彼女は他者に関係を明かすことなく、逢瀬を重ねていた。

 秘密を共有しているためか、私と彼女の関係は深くなっていく一方で、このまま成長すれば、いずれは結婚するということは、疑いようがなかった。

 しかし、私は別の女性と結婚することになってしまった。

 相手は父親の取引先の娘であり、この結婚がうまくいけば、これからも取引を続けてくれるという条件だったらしい。

 会社の存続のためにと、父親は私に頭を下げてきた。

 私は父親の会社で勤務しているわけではないが、普段は明るく振る舞っている父親の真剣な様子に気圧され、結婚を受け入れることにしてしまった。

 当然ながら、私は彼女に事情を話した。

 話せば分かってくれると考えていたが、彼女は泣き叫び、私を罵倒し続けた。

 家から追い出されてしまったため、私は仕方なく自宅へと戻ることにした。

 だが、その選択は間違っていた。

 その日の夜、彼女は自らの喉に刃物を突き刺し、この世を去ってしまったのだ。

 あのまま彼女の家に残り、説得を続けていれば、結果は変化していた可能性があるだろうが、何もかもが手遅れだった。


***


 彼女を失って以来、私は彼女の兄から呼び出されることが多くなった。

 私と彼女が恋人関係にあったということを死の間際に彼女から聞かされていたらしく、その件について話があるのだろうと考えていた。

 しかし、彼女の兄は、傍若無人に振る舞うようなことはせず、私を責めるばかりで、それ以上のことをすることはなかった。

 然るべき機関に通報されることもなく、また、金銭を要求されなかったことは助かったが、彼女の件でとにかく責め続けられるという時間は、なかなかに辛いものがあった。

 だが、私は被害者のような顔をすることはない。

 全ては、私が悪いのだ。


***


 やがて、私と妻の間に娘が誕生したのだが、成長していく娘の姿を見ているうちに、私は恐怖を覚えるようになった。

 何故なら、娘の顔が、彼女に瓜二つだったからだ。

 彼女に対する罪悪感が強いあまりに、子どもたちの顔がそのように見えてしまうのではないかと思ったが、他の子どもたちは、彼女と同じ顔ではなかった。

 つまり、愛する娘の顔を見る度に、私は己の罪を思い出さなければならないのである。

 もちろん、彼女に対する愛情や申し訳なさを一秒たりとも忘れたことはなかったが、それでもこのようなことが起こることを考えると、私の罪深さを再認識する必要があるのだろう。

 ゆえに、私は彼女に対する罪滅ぼしのように、娘を愛し続けた。

 いくら彼女と顔が似ているとはいえ、実の娘に対して悪しき欲望を抱くことはなく、娘は順調に成長していった。

 やがて、二人目の娘が誕生した。

 私の罪滅ぼしの相手がさらに増えることになるが、一人の人間を死に追いやったことを考えれば、これでも足りないほどだろう。

 しかし、現実は異なっていた。

 二人目の娘の顔は、彼女と同様ではなかったのだ。

 一人目の娘の顔が彼女に似ていたことは、偶然ということになるのだろうか。

 私は、即座にその思考を打ち消した。

 原因は、彼女に対する罪悪感などではない。

 それは、とある男女の罪の結晶に違いなかった。


***


「説明してもらおうか」

 一人目の娘の遺伝子を検査した結果を突きつけると、彼女の兄は悪びれた様子を見せることなく、

「あの子は、きみの娘ではなく、私ときみの妻との子どもだということだ」

 それほど怒りを抱かなかった理由は、己の妻をそれほど愛していなかったためだろうか。

 だが、不貞行為を見逃すほど、私は心優しき人間ではない。

「弁解は無いのか」

「私は自分を擁護するつもりはない。しかし、あえて言うのならば、これは妹のためである」

「己の不貞行為に彼女が関わってくる理由が、私には想像することができないのだが」

「兄である私の子どもならば、妹に似る可能性もあるだろう。それを期待したのだ。そうなれば、きみは自身の子どもの顔を見る度に妹を思い出し、罪の意識に苛まれるだろうと考えたというわけだ」

 眼前の男性には、他者の妻を寝取ったという罪悪感は存在していないらしい。

 彼が抱いているのは、妹を死に追いやった私に対する恨みだけだった。

 私は、彼女の兄に同情した。

 彼は大切な妹を失ってしまったことが原因で、思考回路に異常を来してしまったのだろう。

 その原因を作り出した人間は、私に他ならない。

 だからこそ、彼を責める気にはならなかった。

 私は大きく息を吐くと、彼女の兄を真っ直ぐに見据えながら、

「ならば、彼女に訪れることがなかった成長を、存分に観察するがいい。私はきみがどのような行為に走ろうとも、否定するつもりはない」

 彼女の兄を置いて、私は喫茶店を後にした。

 自宅へと向かう足取りは重いが、歩みを止めることはない。

 二人の人間の人生を壊してしまった私の罪滅ぼしは、始まったばかりだからだ。

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