第3話 クラウディウス
クラウディウス帝暗殺を決行に移す日がやってきた。
その日の酒宴に私は給仕の一人として潜入していた。
クラウディウス帝を上座に、大貴族たちは寝台に横たわって帝国各地からもたらされる山海の珍味に舌鼓を打っていた。
皇后アグリッピーナも列席し、事態の推移を見守っていた。
クラウディウス帝は陰気な顔をした老人だった。
口の端が垂れていて、時おり涎が溢れるし、喋るとどもりがあった。
不気味であった。
今になってネロ様よりクラウディウス帝のほうが優れていたとか、偉大な皇帝だったと言う人は多いが、当時そのようにクラウディウス帝を称揚する人はいなかった。
それほどまでに陰々滅々とした薄暗い印象の人物であったのだ。
その日の主餐はいわゆる“トロイアの豚"であった。
吊るされた豚の丸焼きに刃を入れると、その腹から大量の
トロイアの木馬から兵士が出てくる様子になぞらえて、トロイアの豚と呼ぶのである。
その様子に貴族たちは手を打っていたが、クラウディウスは陰気なままであった。
トロイアの豚はどうでもいい。
毒を仕込んだのは食後の甘味だ。
甘味を選んだ一つの理由は、毒味係の宦官は主餐や茸料理は警戒するが甘味の点検は雑、という情報を得ていたこと。
もう一つの理由は、甘味として供される料理に付け入る隙があったことである。
遂に甘味としてティロパティナンと呼ばれる菓子が運ばれてきた。
鶏卵に牛乳と蜂蜜を混ぜて固め、胡椒を振りかけた料理だ。
ただ単に貴重だという理由で、豪華さの演出のために胡椒がむせるほどかかっている。
当然、甘味なのに辛く、老人であるクラウディウスにはきつい。
そこで料理人は
胡椒を除けろよ、とは思うが、そうなった。
私はその黒酸塊のジャムを、黒酸塊に似て毒性を持つ
クラウディウス帝は吐き気を訴えて、もがき始めた。
目を大きく見開き、その瞳は不自然に大きくなっていた。
嘔吐と散瞳は別剌敦那の毒の特徴である。
確実に効いている。
ーーそれだけで、殺害に至るかしらーー
ーーご安心を。もう一段、仕掛けがございますーー
そんなアグリッピーナとの会話を思い出しながら、事態を眺める。
「大変だ!料理に毒が入っていたんだ!」
「早く吐き出させろ!」
典医が、長椅子の傍に置かれた嘔吐用の鳥の羽をつかみ、皇帝の口に持っていった。
ローマ貴族は食べ過ぎると、鳥の羽を使って嘔吐し、再び食べ続ける。
そのために個々人が吐くための鳥の羽を持っているのである。
鳥の羽が皇帝の喉に突っ込まれる。
「あ、が」
典医が羽を引き抜いても、クラウディウスは嘔吐できないばかりか呼吸も出来ないようになり、身体を捻るようにのたうって、そして、死んだ。
私が鳥の羽に塗っていた鳥兜(アコニチウム)の毒が、皇帝の命を奪った。
典医もアグリッピーナが買収していた刺客の一人であった。
やった!
これ以上ない鮮やかな毒殺。
私は快感に身を震わせていた。
貴族たちが混乱と喧騒に包まれる中、アグリッピーナがつかつかと私の前にやってきた。
アグリッピーナは私の耳元で囁いた。
「ご苦労様。これであなたは、用済みね」
学習能力のない私は、またしても捕縛され、牢に放り込まれてしまった。
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