第26話 青き炎

「うふふ。お別れは済んだかしら?」


 花の少女は優雅にほほ笑む。

 りんごはその言葉には反応せずに、手にした刀へじっと視線を送る。


「まぁあんな狸さんなんてどうでもいいわ。さっ、息も整ったでしょうりんご、また二人で遊びましょう」


 花の少女はそう宣言する、それと同時に彼女の周囲へ無数の刃が姿を現した。


「うふふ。行くわよりんご」


 ドンドンと空気の壁を切り裂き殺到する刃たち。

 それに対してりんごは――


「――」


 無言のまま、素早くその身を翻し、一目散に逃げ去った。



 ★



「うふふ。いいわ、次は追いかけっこね」


 遠くから楽し気な声が聞こえて来るのをよそに、りんごは急ぎビル内を駆け抜ける。


『……見てたんでしょ、アンタ』


 りんごは内なる妖へと語り掛ける。


『くくく。ああもちろん』


 聞こえてくるのはしわがれた男の声。


『まぁいいわ、それで? あの時アンタを完膚なきまでに叩きのめした相手よ? 当然対策の一つや二つ考えてあるんでしょうね?』


 5年前のあの日、彼女の内に宿る妖は、抵抗することすら出来ずあの化け物に敗れ去った。

 だが、それでもその存在は消滅しなかった。

 りんごの魂へと刻まれた因果はゆっくりと時間をかけて再生したのだ。


『かかか。勿論だ、我を誰だと思っている? およそ我ほど妖を断ち切った存在はおらんじゃろうて』

『それは重畳、で? とっとと教えなさい』


 りんごはふてくされたようにそう言った。

 ご丁寧な長話に付き合っている暇はない。あの化け物は動く災厄だ、他人が何人巻き込まれようが知ったことではないが、それに足を取られるのは面倒くさい。


『かかか。自分は仇を譲らんが、他人には譲れというのか、全く我儘な娘よ』

『そんなの今更の話でしょ。いいからとっとと話しなさい』


 極めて平坦にそう言い切ったりんごへ、内なる妖は愉快そうにこう言った。


『まぁよい。我の興味は我が剣理がどこまで届くか、その手が我の手であろうと、貴様の手であろうが興味はない』

『あっそ、それはなにより。で? 結論は?』


 そう話をせかすりんごに、内なる妖は苦笑いを浮かべるようにこう言った。


『そう急かすでない。あの娘へ貴様の刃が届かぬわけは、あの娘が纏っておる結界にある』

『結界?』

『そうじゃ、あの娘の周囲には薄皮一枚の結界が張ってある。

 単なる結界であれば、我が剣術の前には紙切れ同然。

 じゃが、あの娘が纏う結界は我も初見の物』

『いいから、結論』


『むぅ』と明らかに不満げな声を漏らす内なる妖へ、こいつ意外とオタク体質かもねとりんごが思っていると、内なる妖は言葉を続けた。


『よいかりんご、あの娘が纏いし結界は薄皮一枚に見えて無限の奥行きを持つものじゃ』

『無限の奥行?』

『そうとも。あの娘は空間を制御する能力を持つ、これは妖怪を超えた神の権能じゃ』

『空間制御……ね』


 なるほど、そんなことが可能であれば、アレが突然室内に姿を見せたのも納得がいく。

 隠神刑部の切り札も一見は似たものに見えるが、あくまでアレは幻術の応用。齢数千を経て半ば神として扱われる大妖怪と言えども踏み込めない神の領域である。


『で? 結論は?』


 理屈は分かってもそれを打ち破れなければ意味はない。りんごはそう問い詰める。


『奴の結界は無限の空間を内包し、その内に無限の結界を重ねておる。

 じゃが、それを包むのは結局は結界に過ぎぬ』


 内なる妖の説明に、りんごは玉ねぎを包むラッピングを想像した。

 剥いても剥いても存在する皮と、それを包む包装。それがあの化け物の結界とやら何だろう。


『大外の結界を破壊すれば術式は崩れ奴の結界は霧散する』

『けど、それが無理だったからこのありさまなのよ』


 斬撃なら初手で数えきれないほど撃ち込んだ。

 だが、そのどれ一つさえ奴の結界にヒビ一つすら入れることはできなかった。


『そうじゃな。じゃが先と今では違うものがあるであろう?』


 内なる妖の声に、りんごは手にした刀へと視線を向ける。


『そうじゃ。隠神刑部は結界術の大名手。最盛期の奴は四国丸ごと結界内に封じ込める事すら可能であった』

『……けど』

『うむ。それは奴の最盛期の話。年老い衰えたあ奴の、それも死にかけのあ奴の力を汲んだとて、それがどれほどの力になるかは分からん』


 そもそもが100万の妖で作られた妖刀に、いくら力持つ妖が一体加わったところで力の増加量としては誤差の範囲。


『けど……』


 りんごは静かに柄を握りしめる。


『うむ。けど、じゃ』


 極限まで紅く、自身を焼き尽くすほどに燃え盛っていた殺意は、隠神刑部の覚悟をくべられ青く静かに燃える闘気へと変化していた。


『ふっ、さんざんと勿体付けた結論が「気合入れて頑張る」って最高に頭悪くて素敵じゃない?』


 りんごはそう言って皮肉気な笑みを浮かべる。


『ふっ、なら諦めるか?』

『冗談。それだけはあり得ないわ』


 りんごがそう答えた直後、天上が崩壊し、そこから花の少女が姿を見せる。


「うふふふ。鬼ごっこはもうおわりかしら? りんご?」

「……前々から言おうと思ってたけど」

「あら? なにかしらりんご? ワタシあなたのいう事なら何でも聞くわ」


 そう言って慈愛の笑みを浮かべる花の少女へ、りんごはこう言い切った。


「赤の他人が気軽に私の名前を呼ばないで」


 その言葉を残し、りんごは花の少女へと疾走する。

 優雅な笑みと共に放たれる地獄の攻撃。

 炎の花弁が舞い、氷の雨が降り、足元で雷が破裂する。


『右1歩半、左3歩――』


 内なる妖の声に従い、冷静に距離を詰める。

 むろんすべてをかわすことなど不可能。

 その身を削り、精神をすりつぶし、血の跡を残しながら突き進む。


「うふふふ。いいわ! いいわりんご!」


 刻々と迫る殺意の刃を前にしても、花の少女の優雅な笑みは変わらない。否、近づくにつれその笑みは大きく花開く。


『そこ』


 その一言に、りんごは答えを刃へと変えた。


 その一刀は静寂の中に振るわれた。

 今まで培ってきた術理の全て、力の全て、気持ちの全て、そして、あのおせっかいな妖の覚悟も載せ――


 ――斬――


 針の穴を通すように振るわれたその一刀は、花の少女を脳天から一刀両断したのだった。

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