第25話 松山申女
壊滅的なダメージを受けつつも、なぜか崩壊していない不可思議な空間の片隅に捨て置かれたものが一つ。
「く……かか……」
松山は、多量の出血に紛れるように静かに笑いを漏らした。
(やれやれ、儂も衰えたものじゃ)
瀕死の重傷を負った大妖怪は、皮肉気な笑みと共にわずかに体を動かす。
(まったく、こんなことならりんごの話をよく聞いておくんじゃったわい)
ずるりとずるりと、崩壊しかけた体にむち打ち、よろよろと立ち上がる。
その際に思い浮かべたのは、少女との出会いの時だった。
★
それは5年前、土砂降りの夜だった。
自らの占いによって彼女の仇敵を討つ鍵があるとでた松山は、人里離れたとある森へとやって来ていた。
目当てのものは直ぐに見つかった。
少し前に響いてきた破壊音。
その後をたどればそこにあったのは、一見ゴミと見間違うような傷だらけ泥だらけの少女だった。
その少女は瀕死の重傷を負いつつも、決して折れない強い光を目に秘めていた。
『関係ない。あの女は私が殺す』
魂の奥底までしみ込んだ憎しみの炎。
それを見た松山は、それを良しとした。
『それで? 主の仇とはどのような奴なのじゃ?』
松山は少女へ尋ねる。
『奴の名前は青山かりん、かつて私の姉と名乗っていた女よ』
傷だらけの少女はそう答える。
なるほど、この娘の姉という事は、人間が何らかの方法で妖へと変化したものであろう。
松山がそう判断したのは無理もない。
人間が妖へと変化する、それは数は多くないが昔から無かった話ではない。
現にこの娘も人間と妖が混じった存在である。
松山が見る限り、この娘は現時点でも中位の妖程度なら互角に戦える程度の力はある。
その娘がこれほど手ひどくやられたという事は、その姉だったと言う娘もまぁそれなりの力はあるだろう。
松山はそう判断した。
そう判断した結果がこの有様だった。
★
「か……かか……」
松山はよろよろと立ち上がる。
胸に宿るのは、平坦で冷静な感情だった。
彼女の目的は目の前の
(本来ならば、こ奴は無視して逃げの一手が正しいのじゃろうが……)
目の前には優雅に微笑み暴威を振るう花の少女と、怒りに我を忘れ必死の抵抗を続けるもう一人の少女。
(無理じゃな)
と、松山はその考えを切り捨てる。
なんとか即死は避けられたものの、自分は今にも消えかねない瀕死の身。
協力者である少女は、己の仇しか目に入っておらず、それは花の少女も同じこと。
(なんとしても、この場を切り抜けねばな)
とうに決まっていた覚悟を確認する。
いかに老いたとはいえ、自分の
あの少女は彼女の目的を果たすのに必要な鍵だ。
「かか……かかかか」
力ない笑みは、いつもの不敵な角度を取り戻していく。
「かかかかかかかか」
多量の血を流し凄惨な笑みを浮かべる大妖怪の姿がそこにあった。
★
「くッ!」
間一髪の攻防、否、回避行動は時を待たずして破綻を迎えた。
豪雨の如き攻撃の一つをくらったりんごは壁面へと叩きつけられる。
「あら? もうおわりなの? りんご」
花の少女は優雅にほほ笑む。
そこへ、横から声がかけられた。
「かかか。そうじゃのりんごは少し休憩じゃ」
その声に、花の少女は振り返ることなくこう言った。
「あら? まだいたのね狸さん」
「かかか、そうじゃな小娘」
腹に大穴の空いた瀕死の妖は不敵に笑う。
「邪魔しないで下さらない? ワタシはりんご以外に興味はないの」
「かかかかか。そう言うでない、少し儂に付き合ってもらうぞ?」
優雅に笑う花の少女へ、瀕死の妖はそう宣言する。
「困った狸さんねぇ」
そうほほ笑む花の少女へ、瀕死の妖はニヤリと嗤う。
「かかか。うぬぼれるなよ小娘?」
嗤う妖から膨大な妖気が噴き出し、崩壊しかけたビルの壁を吹き飛ばした。
「我は松山申女、我が真の名は
松山――隠神刑部がそう叫ぶと、世界は一瞬で変化する。
廃墟と化していた一室は、見渡す限り広大な暗く奥深い山中へ。
「かかかかか。これこそは我が妖術の真髄、これより貴様を襲うのは八百八の我が分け身」
木々の間より姿を現すのは、紅き目をらんらんと燃やす無数の影、その全てが爪と牙を光らせる隠神刑部の姿だった。
「
果ての見えない森の中に無数に蠢く爪と牙、それらは全て隠神刑部本体と全く同じ力を持った分身だった。
その総数は宣言通りの808、一つの町すら喰らいつくしてしまうほどの大戦力が一斉に花の少女へと襲い掛かった。
それに対して花の少女は優雅に微笑み――
「まったく、困った狸さんね」
柔らかく突き出した右手を握りしめた。
「⁉」
ピキリと世界にひびが入る。
現実世界――ビルの一室の上に張られた、隠神刑部の虚構の世界。
最古の妖の一人である隠神刑部が作り出した堅牢無比な結界は、花の少女のたったそれだけの動作でもろくも崩壊していった。
「ぐ……う……」
自らが作り出した結界は自らの器そのものに等しい。それを力ずくで打ち破られるという事は、自らの体を内から食い破られると同意だった。
(これ以上は……やはりこ奴は……)
決定的な敗北を悟った隠神刑部は、これ以上の消耗を避けるため、自ら結界を解除した。
「あらあらうふふ。ええ、聞き分けのいい子はワタシ好きよ」
瀕死の妖を前にして優雅に微笑む花の少女。
それに対して隠神刑部はくるりと背を向け、壁際にて苦痛に顔をゆがめるりんごへ柔らかく語り掛ける。
「かかか。さんざん大口叩いておきながら我ながらざまあないわい」
「……松山、アンタ」
腹に空いた大穴は痛々しいをはるかに通り越した異形の光景。
体のあちこちはひび割れ、黒い粒子となって世界の闇へと回帰していた。
「まぁ儂はこの有様じゃ。じゃがそんな儂にでも最後にお前にやれるものがある」
苦笑いを浮かべた妖は、少女の手を取り――
「⁉」
サクリと、その胸へ、少女が手にした日本刀を突き刺した。
「ま――⁉」
驚愕に目を開く少女へ、妖は優しく微笑みこう語る。
「よいなりんご。この刀――蒼月は100万の妖によって作られた文字通りの妖刀じゃ。
100万の妖では彼奴に通じんかった。
じゃが、100万と1では、あるいは――」
その言葉と笑みを残し、最古の妖の一つはこの世界から消滅した。
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