第22話 仄暗い海底にて

 ズゾゾゾゾと、うっすらとしか光が届かない海底に、無数の灯火が動き出す。

 それらは全て平家蟹の群れであった。

 甲幅はおよそ1m、鋏を広げればその3倍はありそうな巨体。

 それらが海底中に蠢いており、まるで炎の海の様相を呈していた。


「そんじゃ~、適当にすりつぶされてくださいっす~」


 その言葉を残しなつめは背後の暗闇へと姿をくらます。


「くッ⁉ 待ちなさいッ!」


 りんごはそう叫び追いすがろうとしたが、行く手はあっという間に無数の鋏によって閉ざされる。


「ちッ! うっとおしいッ!」


 鎧袖一触なれど、敵は無数。

 果てさえ見えない蟹の群れが我先にと襲い掛かってくる。


「よい。ここは儂に任せて先に進め」


 海底にもかかわらず優雅にキセルを吹かす松山がそう言うと、ぷうと噴き出された煙が無数の槍へと変化して敵陣に大穴を開ける。


「!」


 一瞬の好機。

 わずかに開いた隙間へりんごは矢のような速度で突っ込んでいった。



 ★



 焔の海底が遠ざかるにつれ、視界は劇的に暗くなる。

 人間のレベルをはるかに凌駕したりんごの視力でも、深海の闇は深かった。


(チッ、妖気を探るとか苦手なのよね)


 りんごは舌打ちをしつつ周囲を探る。

 そして、違和感に気が付く。


(背後から感じる莫大な妖気はいい。それは蟹とあの狸婆だ)


 だが、それ以外。

 自らの周囲に薄く広がる不快な気配。


「チッ!」


 りんごが刀を一閃すると、暗闇の中にいくつもの火花が散った。


「うにゃ~。なかなか鋭いっすね~」


 間の抜けた声とともに、闇の中にいくつもの人影が揺らめく。

 その中心にいるのはやる気のなさ気に薙刀を構えるなつめ。

 そして、その周囲に立つのは――


「河童……ね、まぁ海御前にはつきものよね」


 りんごを取り囲むのは様々な武器を手にした女形の河童であった。


「うひひひひ~。まぁそうっすよ~。海御前は平家の女が河童に変じた妖。蟹さんだけ出して河童を無視したら手落ちってもんですよ~」


 そう言ってなつめはへらへら笑う。


「はっ、百体二って話はどうしたの?」

「あっれ~? りんごさん、数数えるの苦手っすか~?

 蟹さんたちは合計90体。そして、ここに居る皆さん足すとちょうど100体じゃないっすか~」


 へらへらと肩をすくめるなつめに対し、りんごはチラリと周囲を確認してからこう言った。


「河童どもは12匹いるみたいだけど?」

「んも~、細かいっすね~りんごさんは。

 あれっすよ、サ~ビスっすサ~ビス。

 どうっすか? 円卓の騎士になぞらえた選りすぐりの河童の騎士たち、河童・オブ・ザ・ラウンドってのは?」

「笑えない……冗談だわッ!」


 こうして戦いの火ぶたは切って落とされた。


 ★



 キキキンと深海に剣戟の音が木霊する。

 総勢12体の河童たちによる連携攻撃。

 その一体一体は単独で戦えば難なく倒せる程度の相手ではあったが、彼女たちは引き際を心得ており、なかなか決定打を撃ち込む隙を与えてくれない。


(おまけに、この環境)


 視界は劣悪であり、足場と言えば砂地かと思えばごつごつした岩石が転がっていたりする。それよりなりより最悪なのは海流だ。

 寄せては返す細かな流れは明らかに何らかの意図を感じさせるものであり――


(まぁ、どう考えてもアイツよね)


 包囲網から一歩離れた位置でへらへら笑ってこちらを見続ける眼鏡女。

 そして、りんごが敵のパターンを解析しているその時だ。


「右ッ!」

「⁉」


 突然かけられた声に、りんごは思わず反応してしまう。


「くッ!」


 だが、切りつけられたのは左。


「左!」

「チッ!」


 こんどは宣言通り左。

 ランダムに挟まれる予告に、りんごの集中力はかき乱されていく。


(くそっ、あの蜘蛛女とは別ベクトルでむかつく女ね)


 と、りんごが攻めあぐねていると、その元凶なつめが喋りかけて来た。


「いや~、もうやめません? りんごさん」

「は? ギブアップするっての?」

「あっはっは~。御冗談を、有利なのはこっちですよ? けどボク、めんどくさいの嫌いなんっすよね~」


 なつめはそう言ってあくびをかみ殺す。


「大体、何をそんなに張り切ってるんすか? まぁりんござんの過去になんか興味なかったから知りませんけど――

 もう、いいじゃないっすか?」


 なつめはへらへらと語り続ける。


「どうせアナタもこんなところで傷だらけになって刀を振るような人生だ。今までろくな目にあってこなかったんすよね?」


 だから、もういいじゃないか、となつめは言う。


「ボクらみたいな出来損ないに、光あふれる未来なんて用意されちゃいないんすよ。

 だったら、無駄なあがきは止めて、長いものに巻かれちゃいません?

 いいっすよ~こっちは。

 そりゃ~ボスはおっかないけど。適当にへらへら言うこと聞いてりゃ何不自由なく暮らせるんです。

 いつまでも怒りや憎しみなんて重苦しいもの抱え続けてもしんどいだけっすよね?」


 だから、楽になってもいいのでは、となつめは言う。


「力抜いて行きましょうよ、りんごさん。

 アナタのお姉さんですかね? 確かにウチのボスとは懇意ですよ。

 けど、端から見たって、アレが異常な存在だって事ぐらいわかるっす。

 同盟関係なんてアナタのお姉さんの気分次第。何時壊れてもおかしくない薄氷の関係って奴っす。

 だったら、とりあえず形だけでもウチに来て、それが壊れた時に寝首をかくってのはどうっすか?

 まぁボクはそんな器じゃないけど、きっと誰かが助けてくれるっすよ」


 なつめはそうへらへらと笑――

 ぞわりと、なつめの背筋が泡立った。


「あの女と……手を結ぶ?」

「あ~、いや、手を結ぶのは、ウチのボス……とですね?」

「同じことよ。アンタのボスとやらは、あの女と協力関係にあるんでしょ?」


 どろりと、深海の闇より濃い殺気がりんごより漏れる。


(やっば⁉ 地雷ふんだッ⁉)


 なつめはそう焦るが、一度出た言葉は海流に流されることなく、静かにりんごに溜まっていた。

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