第肆章 開戦
第20話 前哨
「ええ、あの子がやられたことはこちらでも把握していますわ。
ええ、次の職員の準備も滞りなく。
いやいや、こちらにもこちらの都合がございます、それを考えていただければ幸いですわ」
厚生労働省事務次官室。その主である女、玉汐前は滑らかな口調で電話対応を終えると、静かに受話器を置いた。
美しい女であった、年齢は公開されているプロフィールによれば39歳だが、とても40手前とは思えない若々しく瑞々しい美貌を備えていた。
優雅にウエーブを描く少し桃色がかった髪を腰のあたりまで緩やかに伸ばし、目元にはメタルフレームのスクエアタイプが掛けられており知的でシャープな印象を際立たせている。
身に着けているのはきっちりとした紺のビジネススーツで活動的な印象を与えるタイトなパンツタイプ。
アクセサリーの類はあまり身に着けておらず、両耳に翡翠の勾玉がかすかに揺れるのみだった。
「ふぅ。これでよかったでしょうか? かりんさん?」
玉汐はわざとらしくため息を吐きつつ室内の異物へと語りかける。
ここは事務方の頂点である事務次官室、そんなキャリア官僚たちの終着点である場所のソファーにちょこんと可愛らしく腰掛ける10代半ばの少女。
勿論それは玉汐の子供という訳ではない、その異物の名は青山かりんと言った。
かりんは優雅にティーカップを傾けた後、花の様な笑顔を浮かべてこう言った。
「ええ、満足ですわ玉汐さん。あの子はまだよちよち歩きの子供ですもの、甘やかせず、さりとて追い込みすぎず、適度な刺激を与えて育ててあげなくちゃいけないわ」
コロコロと笑みをこぼす花の少女。
りんごとあけびの戦いの一部始終を花の少女は観戦していた。
採点は60点、ギリギリ合格ラインと言った感じだ。
生かさず殺さずギリギリのラインを攻めて妹を育て上げる。
なによりも愛しい妹が自分にふさわしい敵になるその日まで。
そんな上機嫌の化け物を見ながら玉汐は心の中で本気のため息を吐く。
(ふぅ。まったく厄介なものになつかれましたわね)
実力で排除するにはちと荷が重い。
敵にならないだけ御の字としておくしかないが、安全装置がついていない核兵器が転がっているようなものだ。
(今はまだあの子の興味は妹さん以外に向いていないですけど)
データにあった少女の顔が思い浮かぶ、まさしく死神に魅入られた哀れな少女と言うより他はない。
(まぁ、お陰様でこっちは助かりますけどね)
この暇を持て余した化け物の興味がこちらへと向くにはまだもう少し時間が欲しい。
準備は着々と進んでいる。
今はまだ、この化け物と事を構えるべきではない。
(そう、今はまだ……)
そんなことを考えている玉汐へ花の少女はふわりとした笑みを咲かせる。
玉汐はそれと同じ笑みを返した。
★
深夜の新宿路地裏。遠くから酔客の声が聞こえる街の片隅に二つの影があった。
「それで? あの子は結局どうなの?」
ぶっきらぼうそう尋ねるりんご。その手には抜き身の日本刀があり、彼女の足元には消滅しかかっている妖の骸があった。
「かかか。気になるなら顔を見せてやるがよかろう? むさくるしい犬小屋じみた事務所じゃが、儂好みの玉露を買わせたったからの」
そう言ってカラカラと笑う松山。
「はっ、慣れあうのは好みじゃないのよ」
りんごはそう吐き捨てると血振りをしてから納刀する。
「かかか。相変わらず素直でないのう」
「お陰様で、そんな素直な人生送ってないので」
りんごは誰に言うでもなくそうむくれる。
その様子に、松山はやれやれと肩をすくめてこう言った。
「あの小娘なら、今は小僧の手伝いの隙間を縫って必至にプログラミングの勉強中じゃ」
「ん? プログラミング?」
「ん、機械音痴のお主に言っても詮無きことじゃから詳細は省くが、あの小娘はあの小娘で自分の戦いを始めたという事じゃな」
松山はそう言って愉快そうに目を細める。
江崎の事務所へ張った松山の結界を通して、彼女の気が向いたときに内部の様子は探れる。
江崎が帰宅した後の事務所には夜遅くまで灯りがともっている。もちろん外部からは確認できないように追加の細工は施してあるが、そこには教科書片手に必至になって画面に向かい続けている一人の少女の姿がある。
松山は古くから存在する妖だ、それも人とかかわることを好んだタイプ。
そんな彼女故、古来から今まで様々な人間を観察してきた。
(だから人間と言うのは好ましい)
ふわりと笑みがこぼれる。
妖怪は基本的には変化しない存在だ。
もちろんその時代その時代に即した新種が生まれることはある、だが個体としての変化はそう劇的なものはない。
だが、人間は成長する生き物だ、種としても個人としても。
様々な技術、様々な思想が生まれて来た。
人間社会はそれによって良くも悪くも変化してきた。
それが変化しない自分たちと比べてかけがえのない宝物のような気持ちになる。
(それ故に……じゃ)
松山は敵の顔を思い浮かべる。
敵は、人間を餌としか思っていない。良くて使い捨ての遊び道具だ。
古来より妖怪と人間は、互いに恐れ敬い、時には協力し時に敵対し、着かず離れずの曖昧な関係で付き合ってきた。
松山はそんな関係が好きだった。
(要するに、これは儂の我がままじゃ)
自分が好む環境を維持するために、別の考えを持つ敵をうち滅ぼす。
他のものがどう言おうが関係ない。
自分の意見を力づくで押し通さんとする唯の我儘。
だが、敵の強大さは誰よりも彼女がよく知っている。
およそ900年前の人妖を巻き込んだ大決戦。
この国を滅亡の淵まで追い込んだ憎き大化生。
(そのためには……じゃ)
チラリと戦闘の後片付けをしている少女へ視線を向ける。
松山の得意技の一つに占いがある。
それによれば敵を打つための鍵であるのはあの少女。
それ故に、松山はあの少女へ様々な手助けをしてきた。
それは戦闘訓練に始まり、生活費を稼ぐのための裏仕事であったり、最高峰の護りを誇る火鼠の皮衣だったり、先の戦いの決定打の一つとなった100万の妖で作られた妖刀蒼月だったりする。
などと松山が考えていると、片付けを終えたりんごが舌打ちしつつこう言った。
「ったく、なんなのよアンタは、全部私に任せて突っ立ったまま」
「かかか。あの程度の相手儂の出るまでもないという事じゃよ」
「んなことどうでもいいっていうの、片付け手伝いなさいって言ってんの」
りんごはぶつくさと文句を言いつつ、刀袋を背負いなおす。
「それで? 行くのか?」
「ええ、いい加減待つのは飽きた。証拠とやらが必要なら直接家探ししに行くわ」
そう言うりんごの視線の先にはコペラの事務所が入っているビルがあった。
「かかか。良いのか? あそこは小娘の狙いじゃなかったのか?」
「知らない、早い者勝ちよ」
りんごはそう言ってすたすたと歩き出す。
松山はその後を肩をすくめながらついていく。
松山申女、彼女は数千の齢を重ねた力ある大妖である。
そして彼女の敵もまた何より強い存在であった。
己の強さと敵の強さ、そして彼女の断固たる意志。
だが、それが彼女の目をくらますこととなる。
彼女は見誤っていたのだ、もう一つの敵を。
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