第19話 7年前 伍

「緊急警報! 緊急警報! 速やかに隔壁を降ろせ!」


 観察室にはアラーム音が高らかに鳴り響き、勤めていた職員たちは慌ただしく走り回る。

 その中で、宇賀谷だけは目を輝かせながら不敵な微笑みを浮かべる少女を眺めていた。


「うふ、ふふふふ。これが、これがそうなのね。人間と妖怪の融合。本来無形の存在である妖怪の核として人間を利用することによる存在補強。今まで見ていた肉体強化など単なる副産物――」


 宇賀谷は少女から目をそらさないままブツブツと独り言を続ける。


「室長! 早く逃げないと! 室――」


 ナニカに取りつかれたように独り言を続ける宇賀谷の肩を揺さぶっていた男はチラリと窓を見て言葉を失う。


 実験室の天井付近に付けられている観察窓、床からは5m近くに存在するそこには凶笑を浮かべる少女の姿があった。


 サクリと、音もなく強化ガラスが粉々に切り裂かれる。

 床から跳躍したナニカは、手にしたガラクタで対物ライフルの直撃にも耐えらえれるそれを一瞬にしてゴミにしたのだ。


「あ……あ――」


 パクパクと何かを言おうとしていた男は、視線を合わされることもなくあっさりとその首を切り落とされた。


「うふふふ。素晴らしい! 素晴らしいわ! これが私が作ったものなのね! 

 理解したわ、ええ理解した。仕組みは完全に理解したわ。ああ! こうしちゃいられない! 次よ! 次はもっと完成度を高め――」


 ガタリと席を立ち次の実験の準備を始めようとしていた女の首はポロリと胴体から零れ落ちた。


「かかか。命の危機を前にしても己の我欲を通さんとするその性根は嫌いではないがの。まぁこれも定めと言うやつじゃ。娘に嫌われておったなれを恨むんじゃな」


 ナニカは上機嫌でそう言うと、ぬるりと周囲を見渡した。

 手にした残骸からぽたりと血が落ちる。



 ★



 殺戮は一瞬で終わった。

 観察室にいた残り10名は2秒とかからずその首を切り落とされた。


「さて、これからどうするかのう?」


 ナニカは宇賀谷が身に着けていた白衣をひょいと拾い上げると血に染まったそれをふわりと身に纏った。


「ここは何処で何時なのか……」


 ナニカの目に入るのは血まみれの観察室。

 そこには様々な資料が置かれてあるが、生憎とパソコンの存在自体を理解していないナニカにはそれを調べることは出来なかった。


「まぁ良いか。表に出て適当にぶらついておけばいいじゃろう」


 そう言ったナニカが血に濡れたガラクタを手に部屋を出ようとした時だった。


「うふ。うふふふふふ。ようやく目覚めたのねりんご」


 先ほどまでこの部屋に存在する生物はナニカだけだったはずだ、ナニカの感覚は常人の、否、人外の生物の中でも最高レベル。

 だが、ナニカの背後には花の様な可憐な笑みを浮かべる少女の姿があった。

 ソレはキラキラと輝くような艶のある黒髪は丁寧に片口で切り揃えられ、その美貌は人間離れした完成度を誇るもの。身に着けているのは要所にフリルがあしらわれた薄水色のワンピース。

 一見すれば唯の人形じみた小柄な美少女。

 

「……貴様、何奴」


 煌びやかな外見など意味はない。

 背後を取られたことを警戒し、ナニカは慎重にそう尋ねる。

 だが、その少女は少し困ったようなはにかみを浮かべこう言った。


「アナタこそ誰かしら? まぁどうでもいいわ。りんごと変わってくれる?」


 少女がそう言うと、パチリと指を鳴らす。

 それだけだ。

 それだけで少女の体を操っていたナニカはその存在を抹消された。


「く……は……」


 突如体の主導権を返された少女は混乱のままがくりと膝をつく。


「お……おねぇ……ちゃん?」


 少女の目の前に存在する少女。

 だが、それは明らかにおかしい存在だった。


 あの惨劇のクリスマスイブからどれだけの月日が流れたのかは分からない。だが少なくとも1年或いは数年は過ぎているはずだ。

 しかし、目の前に存在する自分の姉の姿は、自分が最後に見た時と同じままの姿だった。

 確かに成長には個人差はある、だが通常ならば成長期の筈の10代半ば、それに関わらず全く同じままの姿という事には違和感しかわかなかった。


「うふふふ。そうよりんご、あなたのおねえちゃんよ」


 花の様な少女は可憐に笑う。それには一切の邪気が込められていない親愛を込めたものだった。


「どう……して?」


 こんなところに、その言葉が口から出てこない。

 それを出してしまうのは最悪の行為だという事が予測ではなく、理解できていたから。

 だが、花の少女はあっさりとこう言った。


「うふふふ。それはもちろんワタシがアナタをここへ送ったからに決まっているじゃない」


 何の邪気もない、親愛のこもった言葉。

 だが、そこから紡がれる言葉が少女には理解できない。


「お……ねぇ……ちゃん?」

「うふふふ。良かったわ、アナタならきっと乗り越えてくれると思っていたわ」

「なに……を……い……って?」

「ワタシの血を分けた妹なのですもの、この程度のハードルは超えてもらえなきゃね」


 この程度――とそれは言った。

 あの惨劇の日から今まで、一瞬たりとも気を休められたことなど無かった。

 屈辱的かつ苦痛に満ちた監視生活だった。

 衣服の一枚すら与えられず、食事も排泄も衆人環視の中。

 一挙手一投足は激痛によって強制され、自由意思など存在しない。

 人権と言う言葉からはるかに遠い被検体としての生活。


 それを、この女は、この程度、と、言った。


 どろりとした感情が湧き上がる。

 だが、そんな少女の気持ちなど全く意に介さずに花の少女はこう続けた。


「よかったわりんご、アレを潰した甲斐があったわ」

「……………………は?」


 先ほどまで湧き上がっていた憎しみが、その一言によって一瞬頭から飛ぶ。


「な……に……を……?」

「アレはアレよ、えーっと何だっけ? お姉ちゃん忘れちゃったけど何時も家にいたアレ」

「あ……れ……?」

「そう、アレ。何かいつも家でうろついていた二つ」


 花の少女はキョトンとした顔でそう言った。

 花の少女が言うアレ、それが意味するものが少女の両親の他にあり得ないことに、少女の理解がようやくと追いついてくる。


「お……まえ……が?」

「ええそうよりんご! ワタシが料理したの!」


 花の少女は親愛を込めてそう高らかに謡う。


「な……ぜ……?」

「なぜ? うふふふ。それは簡単な事よ、ワタシは敵が欲しかったの!」


 花の少女はそう言って輝かしい笑顔を浮かべる。


「ワタシ基本的に何でもできちゃうでしょ? けどそれってとても退屈なの。だから敵の一つでも出てこないかなーって思ったの!」


 花の少女はコロコロと表情を変えつつそう謡う。

 それは咲き誇る満開の花たちのように。


「けどロマンは大事よね。せっかくの敵なら血を分けた妹とか最高じゃない?」

「それ……が……?」


 それが理由なのか、その言葉は様々な感情で麻痺した頭からは最後まで出てこなかった。


「ええそうよ! 血を分けた妹ならワタシのことを永遠に無視できないでしょ? だからお姉ちゃんがんばっちゃった! 飾り付けだって工夫したんだから!」


 花の少女はそう言って親愛のこもった笑みを向けてくる。

 あの日の惨劇、口に出すのもおぞましい両親の死に顔。

 それを生み出したコレはこう言って笑うのだ。それも悪意ではなく親愛で。


「きさ……ま……」


 少女は歯がおれんばかりに食いしばる。

 全ての元凶、それは今目の前に存在するナニカだった。

 両親の無残な最期、自分が負った苦痛と苦難の日々。

 それも全て、このナニカの好き勝手な思いつきで生じたものだった。


「貴様がーーーーーーーッ‼」


 少女は喉が張り裂けんばかりの雄たけびを上げ、全身全霊を込めた渾身の一撃を叩き込む。

 

 しかし――


 無駄だった、それは無意味な行為だった。

 一撃で届かなければもう一撃、それでも駄目ならもう一撃。

 何度も何度も手にしたガラクタきばを突き立てようと試みる。


 だが無駄。

 全て無意味。


 花の少女はただ笑顔で立っているだけ。

 だが、少女が振るう全ての攻撃は、花の少女の髪一本を切り落とすどころか、身にまとう薄水色のワンピースにほつれひとつ作れない。


「うっ……ぐ……ぅ……」


 怒りと悔しさは涙と鼻水となって流れ落ちる。

 攻撃の手は止めない、止める理由などありはしない。

 だがそれはけして届かない。

 そんな少女の様子を見て、花の少女は満足げにほほ笑んだ。


「そう、その調子よりんご。もっと怒りを燃やしなさい。もっと悔しさを貯めなさい。もっと無力を嘆きなさい。

 その全てがアナタの力となるわ」


 それは柔らかな慈愛の笑み。

 愛しい妹の成長を願う姉の笑み。


「ふふ。今日はここまでにしておきましょうか。それじゃあねりんご、久しぶりに会えてうれしかったわ」


 花の少女はそういって、目の前の少女を人差し指で軽く押す。

 同時に巻き起こる強烈な衝撃波。

 ソニックブームに巻き込まれた白衣は端切れとなって吹き飛び、それを纏っていた少女は背後へと一直線に吹き飛ばされる。

 何枚もの壁を突き破り、それでも勢いが止まることなく施設の周囲に広がっている森へ飛び、何本もの木々をなぎ倒したところでようやくと勢いが止まる。


「ころ……して……やる……」


 全身傷だらけの満身創痍となった少女は、その言葉を吐きつつ気を失った。



 ★



「そうして倒れているりんごちゃんを見つけたのが一人の妖、そう申女の姉さんだった」


 江崎はそう言って話を終わらせた。

 話を聞いたいちごは言葉を失う。


 辛い思いをしてきたことは雰囲気で感じ取れていた。

 だが彼女が味わった現実は、少女には想像もできないものだった。


 パクパクと言葉を発しようとするいちごに向けて、江崎は少し悲しそうにこう言った。


「冷たい言葉に思えるかもしれないけどね、りんごちゃんの復讐は彼女だけの物、所詮は他人事だ」


 江崎の突き放した言葉に、反論をしようとしたいちごだったが、それを発する前に江崎はこう言う。


「それはいちごちゃんに関しても同じこと。手助けをしてやることは出来るけど、誰も君の立場を変わってやることはできない」


 冷酷で、残酷で、それでもそれは神聖な事実だった。

 その言葉に、いちごは江崎の顔を見てしっかりと頷いた。



 ★



 大きな賑わいを見せる昼の新宿の街をりんごはひとり歩く。

 だが、彼女の周囲に人はいない。

 彼女が振りまく剣呑な空気を無視して近づくようなもの好きは存在しなかったのだ。


(まだ……駄目だ……)


 りんごはギチリと奥歯を鳴らす。

 自分はあの時よりもはるかに強くなった。

 だが、まだ駄目だ。


(あんなザコにてこずるようじゃ、あの女には程遠い)


 果てすら見えない遥かな高みに敵は居る。

 自分が強くなったと思うたびに、敵の強さを思い知る。


(だけど……)


 だけど少女は決して諦めない。

 それが敵の意図どおりなど百も承知。


(あの女は――私が殺す)


 あの日より、一分一秒足りとて消えることない敵の顔を思い浮かべながら、少女はゆっくりと歩を進めたのだった。

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