第18話 7年前 肆

 今日も(まぁ今日がいつかは分からないが、出された食事の回数からすれば少なくとも1年は経過しているだろう)実験開始の激痛あいずが鳴る。


「う……ぐっ……」


 激しい痛みを歯噛みしてこらえながら立ち上がり、よろよろと標的を見る。

 今回の宿題は長い砲塔が付いた戦車だった。

 少女はマニアという訳じゃない、その戦車の名前が何かは知らないが。まぁそれが判明したところで意味はない。


『はいはーい♪ じゃありんごちゃん行ってみよー!』


 スピーカーから届く能天気な声。

 それに従うのは業腹だったが、ここで逆らっても意味はない。

 その事実に歯ぎしりを鳴らしつつ、少女は目の前の鉄の塊を睨みつける。


「くッ!」


 標的に眼鏡女の顔を張り付ける。


「うっ! ううッ!」


 拳を握りこみ、ひたすらに殴り続ける。

 一撃、また一撃。金属の装甲は確実にその形を変えていく。


「くっ……うう!」


 敵の言われるがままに動く自分、その事にうっすらと涙が零れ落ちる。

 そんな時だった。


『くくく、奴が憎いか小娘』

「⁉」


 どこからか響いてきた声に、少女の体がピクリと止まる。

 聞いた覚えのない声、それの元を探そうと、少女はきょろきょろと周囲を見渡す。


『んー? どうしたのかなーりんごちゃん?』

「あぐッ⁉」


 破壊行為を止めたことを命令違反だと判断した観察室の女は、ファミレスで店員を呼ぶような気軽さで戒めを発動させる。


「づ……づぅ……」


 激痛に体を丸め耐える少女。

 そこに先ほどの声がまた。


『くくく、愉快なおもちゃをつけられておるのう小娘』

「あ……あなた……は?」

『かか。口に出さずともよい。我はなれの内にいる』


 その言葉に違和感を持ちつつも、少女はその声に従った。無駄なおしゃべりは当然ながら懲罰の対象だ。


『……アナタは、なに?』

『かかか。我か、我がなにかなど重要な事ではない。所詮我は名もなき妖。それを探っても意味はない』


 内なる声は、愉快そうにそう答える。


『名もなき……妖?』

『おうともさ、何の因果でこんなことになったかは知らぬが、しばらくなれを通して観察してみたところ、どうやらここは我がいた世界からは遠く離れた世界らしい。まぁ日ノ本の言葉を使っておるから、海を渡ったわけではないという事は判断できた』


 内なる声は、興味深げにそう言った。


『……それで? なんで今出て来たの?』


 少女はそう疑問を呈する。


『ふん。いい加減同じ風景ばかりで飽きて来たのでな。娘よなれがここを出たいというのなら協力してやろう』

『⁉』


 突然の提案に、少女の動きがピタリと止まる。

 茫然自失となる少女へ再度戒めが襲い少女は床に丸まる。


『かかか。まずはそのうっとおしい首輪からかのう。おい娘、とっとと起き上がり、目の前のカラクリを破壊しろ』

『……?』


 その指示が何を意味するのかは分からかなったが、今の少女に出来ることはない。

 こうして丸まっていても、追加の一撃が撃ち込まれるだけ、少女はのろのろと起き上がり、装甲に亀裂が入った戦車へと向かい合う。


『ほら。何をしておる、さっさとやれ、出来るだけ派手にな』


 命令してくるのが二つになった。

 少女は眉根を寄せつつも、破壊行為を再開する。

 装甲を殴り割り、砲塔を蹴り折り、破片を散らばらせながらひたすらに破壊行為を続ける。


『くくく。娘よ、なれは何としてもここを出たいのだな?』

『そんなもの、いちいち確認するまでもない』


 下着ひとつ身につけさせてもらえず、シャワーもトイレも衆人環視の中で行い。激痛で操られ、一挙手一投足を強制される。

 こんな実験動物としての生活に快適を覚えるような人はよっぽどのもの好きだ。


『……くくく。その言葉、確かに受け取ったぞ?』

『⁉』


 ぞくりと、背筋に悪寒が走る。

 その言葉は、今までのどこか愛嬌すら感じさせるものではなく、暗く粘ついた言葉だった。

 そして、その意味は直ぐに分かった。

 魂が一瞬にして黒く塗りつぶされる、抵抗するどころの話ではない。それはまさに瞬時の出来事。

 体の自由は無くなり、指一本、声一つ上げる事さえ出来なくなる。

 唯一出来るのは見る事だけ、ただしどこを見るのかすら思い通りにはならないが。


 そして、自分の筈だった体はひとりでに動き出す。

 破壊行為の結果生まれた宙に舞う鉄塊、鋭利に尖ったソレの一つを素早く手にした自分の体は、全く躊躇することなく、自らの胸へと突き刺した。


『⁉』


 襲ってくるはずの痛みはない。

 それもその筈、自分の体はすでに自分のものではないのだ、今の少女は視点のみ自分のままの観客たにんに過ぎない。


『かか。ぬるいしゅよのう』


 自分の体はそう言って、ニタリと頬をゆがめる。


『娘、良かったな、これで晴れてなれは自由の身じゃ。カラクリと妖術の戒め、二つまとめて切り捨てたぞ?』


 胸からダラダラと血を流しながら、自分の体はニタリとほほ笑む。


 目にもとまらぬ早業だ、戦車の陰に入っていたこともあり、観察室から今の行為は確認できていないだろう。

 だが、破壊音が止まっているのは明らか。

 スピーカーからは催促の声が何度も響く。恐らくはそれと同時に懲罰も発動しているのだろうが、今の少女にはそれを確認することは出来なかった。


『く……あ……あなた……は?』


 自分に起きた変化に少女は猛烈な不安を感じつつ、恐る恐るそう尋ねた。

 それに対し少女の体を乗っ取ったナニカは大きく口をニヤケさせこう言った。


「くく、くははははは! さーて、我が没していくつの時が流れたのかは知らぬが。精々ここでも遊ばせてもらおうか」


 ナニカにとって少女の声はもはや小鳥のさえずり程度の意味しか持たない。その嘲笑の意味は明らかにソレだった。


 少女の腕が消える、常人には、否、人外のものでさえ容易に視認できないほどの速度で振られたそれは、今まで少しずつしか亀裂を入れることが出来なかった戦車の装甲を真っ二つに切り裂いた。


『⁉』


 スピーカーから驚きの声が上がる。

 それは明らかな異変。

 少女の見た目には特に変わったものはない、少しやせ気味の10代前半の少女の物だ。

 変わった点とすれば一点、それは少女が手にした鋭利に尖った装甲の破片。

 だがそれも、刃渡りに換算してみればわずか10㎝程度の物だろう。


「かかか。この体が随分と世話になったのう」


 少女の体をしたナニカは、観察室の窓へと鷹の様な視線を向けたのだった。

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