第16話 7年前 弐

 パキリと言う金属音と共に、少女を拘束していた物が金属片となって診察台の下に落ちる。


「あ……あぅ……」


 いつの間にか猿ぐつわを噛みちぎっていた少女は、ずり落ちるようにして診察台から床に立った。


「ぅ……ぁ……」


 ゲホゲホと血交じりの唾液を床にたらしながらうずくまる少女。

 顔面は蒼白で、拘束を無理やり破壊した影響で身にまとっていた患者服はあちこちが破れていた。


 少女はフラフラとした足取りのまま、砂漠でオアシスを求める遭難者のように出入口となるドアへと向かう。


 冷たい金属製のドアに手が触れる。

 だが、それには取っ手など存在しないただの板である、内側から一人で開けれるような構造ではない。


「……ぁ」


 かすかな声が喉から零れ落ちる。

 血交じりの唾液はとっくの昔に止まっていた。

 それと同じように、混乱と絶望もまた――


「……あ」


 それと変わるようにして顔を出したのは――


「ああああああああああああああ!」


 凄まじい衝撃音が室内に響き渡る。


「ああああああああああああああ!」


 一撃、また一撃。

 少女の小さな拳が目の前の障害物へと叩き込まれる。


「ああああああああああああああ!」


 体中に充満するのは怒り。

 今までの人生、喧嘩はおろか口論すら避けてきた少女はナニカに取りつかれたかのように一心不乱にドアを打ち付ける。


「ッ……はぁ……はぁ……」


 額から流れ落ちる涙が目に沁み、少女はようやく平静さを取り戻す。


「……はぁ……はぁ……?」


 そこで少女に疑問が浮かぶ。

 ドアに傷一つ入っていない。

 それはいい。所詮少女は貧弱な小学生だ。

 こんな見るからに重厚な金属製のドアを殴り壊せるはずがない。


 ――だが?


 少女は己を手を見つめる。

 拳の表面はうっすらと赤みを増しているが――変化はそれだけだった。


「なん……で?」


 自分から拳を振るったことは今回が初めてだが、固いものを素手で殴ればどんなことになるかぐらいは知っている。

 一切の加減なし。全力で分厚い金属のドアを殴り続けたのだ。

 本来ならば、手の骨はマッチ棒のようにぽきぽき折れていてしかるべきだ。

 それなのに、手の表面に血が滲んですらいなかった。


「どう……」


 うすら寒いものを感じ、少女がふらりと後ずさったその時だった。

 天上から声が聞こえて来た。


『はっはっは。うん、素晴らしい出来だ』

「⁉」


 少女は、声の元を探ろうと、視線を上に向ける。

 声は部屋の四隅から聞こえていた。そこにあるのは恐らく集音マイクとスピーカーも備えた監視カメラであろうという事は判断できた。

 だが、出来たのはそれだけだ、天井までは遥か高くとてもではないが自分の手が届く距離ではなかった事を再確認しただけだった。


 少女がそれを睨みつけている間にも、向こうではガヤガヤと会話を行っているのが聞き取れた。


『衝――は――トン、これは――に匹敵――』

『耐――も申し分――、肉体スペック―――そ人類の――言え―』

『首――大丈―――? いざ―――時反―――ら事が―――?』

『それ―――あり――ん。物―、科――、―術、全てに―――、セーフティは――です』


 幼い少女に、漏れ聞こえる内容の全てを理解することはできなかったが、それが不吉なことだという事ははっきりと確信できた。


 そして、少女の過酷な日々が幕を開けた。



 ★



 少女の世界は白い部屋が全てとなった。


「いっぎッ⁉」


 一挙手一投足が監視され、指示される。


「あっがッ⁉」


 少しでもその指示に逆らえば、待っているのは地獄の激痛。

 いついかなる時かは分からないが、自分の体内に何かが仕込まれていることはその痛みが教えてくれた。


「づ……うぅ……」


 脂汗をたらしながら床へ這いつくばる少女へ向かって、スピーカーより聞きなれた声が流れてくる。


『まったくもー。りんごちゃんって強情な子ねー。貴重な成功例なんだからもっと素直になってくれないかしら?

 まぁ、それならそれで良いデータが取れてお姉さん満足だけどね♪』


 きゃぴきゃぴと浮ついた声が耳を穢す。

 その声に少女はギリと歯を食いしばる。


「……してやる」


 内より湧き出る漆黒の憎悪。

 少女は血走った目でその言葉をつぶやく。

 何度も、何度も、何度でも。

 己の魂に、その決意をしみ込ませるように。



 ★



「どうだ博士311の様子は?」

「あら君塚さんじゃないですかー。どうしたんですこんなところに?

 いいんですかー? 講演会の予定つまってるんじゃないんですかー?」


 極度の苦痛と疲労により床に這いつくばる少女を観察室から覗く白衣の女性の元へとやって来たのは、均整の取れた体に仕立ての良いスーツを身にまとった、白髪交じりの頭髪をオールバックに固めた初老の男だった。

 男の名は君塚将門。

 青山りんごをここへと送り込んだ張本人である。


「無駄なおしゃべりは必要ない、アレの調整が遅れているという報告を受けたのだが?」


 君塚は普段マスコミの前に出している穏やかな表情からはかけ離れた冷たい顔で女性に語り掛ける。

 それを受ける女性はニヤニヤとした顔をと足組を崩さずに、ちらりと背後の観察窓へと視線を向けた。

 女性――名は宇賀谷玲子うがや れいこと言う。彼女はロングヘアを後頭部で雑にシニョンにまとめ、そこらのファストファッションで購入したような安っぽいワンピースを身にまとい、顔には野暮ったい丸眼鏡を付けていた。

 そんな地味な見た目とは裏腹に、彼女は30歳に届かぬ年齢ながら有名論文をいくつも発表し、学会でその名を知らぬものは居ないと呼ばれていた才女である。

 彼女はアメリカの有名大学で教鞭をとりつつ研究を行っていた医学博士だ。その専攻は生命工学、その中でも遺伝子工学への造詣が深かった。

 だが、彼女の名を知らしめたのはそんな実績だけではない。

 彼女は禁忌を犯し、アメリカの学会を追放されたのだ。

 犯した禁忌、その名は人体実験。


 彼女は自らの研究成果を確認するため、数多くの禁忌を犯した。

 だが、その闇と比較しても彼女の残した功績は光り輝くものだった。

 幾つかの司法取引の結果、彼女は人知れず逮捕され、人知れずアメリカを追放された。


 今もなお世界中で彼女の残した功績は数多くの人命を救っている。

 それにまつわる利権は全てアメリカの物としてだ。


 少女のことをニヤニヤと眺め続ける宇賀谷に対し、君塚は視線鋭くこう言った。


「君の手ならばアレの自由意思を奪うことなど容易いだろう」


 そう問われた宇賀谷はキョトンとした顔をしてこう言った。


「嫌ですよそんなもったいない。貴重な成功例なんですよ? しっかりと使いつぶさなきゃ」


 その顔には全くの邪気はなく、唯々純粋なる否定の声だった。

 宇賀谷の答えに、君塚はため息を吐きつつこう言った。


「あの方の計画は把握しているのだろうな」

「んー? あーあれね? うん、まぁ勿論ですよ。スポンサーの言葉ですもんねー」


 宇賀谷はケラケラと笑いつつそう答える。


「えっと、何ですっけ? 優秀な次世代の人間をーとかなんとかですっけ?」


 おりゃらけてそう答える宇賀谷に、君塚は苛立ちを込めてこう言った。


「大日本帝国再建計画だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る