第参章 往古来今

第15話 7年前 壱

 全てが終わった後にのこのこと顔を出した松山に、りんごは後処理の全てを放り投げ、いちごを送るために江崎の事務所へと足を運ぶ。

 無言で歩く2人の少女。

 その中でいちごがポツリと口を開いた。


「……わたし、今まで喧嘩はおろか口論すらしたことはありません」


 先ほどの激情を消化したいちごはゆっくりと語りだす。


「りんごさんと違って、戦う力もない、学もないとりえもない、ただの平凡な小娘です。

 でも、戦うと決めた。この決意は譲れない」


 その言葉は少女の内に燃える、青く静かな炎の輝き。


「だから手数を増やしたいんです。りんごさんは……どうしたんですか?」


 他人とコミュニケーションを取ることが不慣れな少女はおずおずとそう尋ねる。

 その問いかけに、隣を歩くりんごは、しばらく沈黙した後に、正面を向いたままこう言った。


「被検体……って言葉聞こえてた?」


 それは、朦朧とした意識の中でかすかに耳に届いた言葉だった。

 いちごは、しばしの逡巡の後、小さくこくりと頷いた。


「そっ。あまり自分の過去をペラペラしゃべる趣味はないわ。江崎にでも尋ねなさい」


 事務所前まで送り届けたりんごは、江崎にいちごの身柄を預け、振り返ることなく歩いて行った。





 謝罪、お叱り、心配、安堵と一通りのやり取りをかわした後、いちごは江崎へりんごの過去について意を決して尋ねてみた。

 最後だけだが、りんごとのやり取りを聞いていた江崎は、しばし考え込んだのちにいつものへらへら顔を引き締め、なるべく感情をこめず平たんな口調で話し始める。

 それは、どこにでもいる一人の平凡な少女が、地獄へと落ち修羅へと変わる物語だった。





 それは今より7年前の話、青山りんご、彼女が10歳の時の話だ。

 その頃の彼女はどこにでもいるただの少女だった。

 成績は可もなく不可もなし、運動は少し苦手で、どちらかと言うととろくさい部類に入るだろう。

 性格は温厚。いつも笑顔を絶やさず、喧嘩どころか口論からすら遠ざかるタイプだった。

 家族構成は両親と2歳上の姉がひとり。

 家族関係は良好で、連休には近場ではあるが国内旅行へと行くような関係だった。

 父親の仕事の関係で父の実家である九州から遠く離れた関東に来たのもあり、祖父母との関係は希薄だったが、それでも夏休みなどは欠かさず里帰りを行っていた。

 どこにでもある平凡な家庭。

 どこにでもいる平凡な少女。

 このまま健やかに成長し、極々平凡な、そして極々当たり前の、そして何より代えがたい普通の幸せを手にする。

 誰もがそう思っていた。


 そう、あの日までは。





 令和■■年12月24日その日はクリスマスイブであり、小学校の終業式でもあった。

 パラパラと雪が舞い降る通学路を青山りんごは友人と共に下校する。

 帰宅は正午少し前。

 そこで少女が見ものは、半開きになった玄関のドアだった。

 今日は特別な日という事で、母はパートを短めに切り上げ昼食を準備してくれる事は聞いてある。

 だが、几帳面な母が玄関を施錠せずに開けっ放しという事は考えにくかった。

 少女は何か不吉な予感を感じつつ、開いた隙間から中を覗き見る。


 何か――嗅ぎなれない匂いがした。


 煌々と照らされた廊下の灯り。

 これまた空きっぱなしになっているリビングのドア、その向こうから広がる赤。


 不吉な予感は早鐘となって心臓を叩きつける。

 喉に唾液がねばりつく。

 おびえるように、せかされるように、何かに背を押されるように。


 少女は一歩ずつそこへ近づき――


 白い壁紙の清潔なリビング。

 そう、朝まではそうだったはず。


 だが、彼女の視界に映ったのは。


 赤――赤、赤、赤。


 そこは一面が赤に染まった部屋だった。


 鉄臭い異臭と嗅いだことの無い腐臭。


 一面赤に染まった部屋、その中心にあるテーブルの上、そこには2つの何かがそろえておかれていた。

 それが何なのか、少女には最初分からなかった。

 理解が及ばなかったのではない。

 毎日顔を合わせているそれとはかけ離れた表情をしているソレだったからだ。


 それは、およそ人間が表現できる最大限の苦悶の表情をした少女の両親の頭部だった。





 少女が帰宅してより数時間後、夕刻を過ぎても開きっぱなしになっている玄関を不審に思った近隣住民が様子を見に来てその惨劇が発見される。

 凄惨極まる現場には意識を失い、血の池に浸かった少女の姿があった。


 死者2名、行方不明者1名。

 クリスマスの惨劇はその後テレビを騒がせることとなったが、直ぐに別の話題にトップニュースの座を明け渡した。





 精神に強い負荷がかかりショック状態になった少女はそのまま緊急入院することとなった。

 そこから1年。

 何とか日常生活が可能となった少女は、しかし、感情の全てを抜き落とした人形のように変わり果てていた。





 不幸なことに、少女が入院中に両家の祖父母が鬼籍に入ってしまっていた。

 身寄りをなくした少女は退院後その身柄を児童養護施設へと移される。

 その施設の名は『灯火の里』

 歴史と伝統のある施設であり、代表者である君塚将門きみづか まさかどは児童福祉の専門家として名高い人物であった。


 入所した少女を待っていたのは、入念な健康チェックであった。

 血液検査に始まり、エコー、レントゲンそしてMRIまで。

 偏執的ともいえるそれを感情を失った少女は黙々とこなしていった。


 そして、施設での生活が始まった。

 動く人形とかした少女は言われるがままの生活を無言で過ごす。

 イニシエーション代わりの虐めはあったが、何をやっても少女が無反応なことが分かるとそれは直ぐに飽きられた。

 そう言った平和な生活は直ぐに終わりを迎えた。

 ――検査結果が出たのだ。





 ある日少女は車に乗せられどこかへ連れていかれる。

 高速道路を含めた数時間のドライブの末に到着したのは山中にあるとある施設だった。

 言われるがままに歩を進める少女が案内されたのは真っ白な部屋だった。

 床は10m四方、天井までは5mはある地下室。

 出入口は正面に備え付けられた取っ手のないドアが一つ。

 一方の天井付近には壁面と同程度の長さの嵌め殺し窓が設置されており、そこから室内が監視できるようになっていた。


 そんな室内の真ん中にはポツリと置かれた診察台が一つ。

 少女はされるがままにそこに横たわり、カチリカチリと金属製の拘束をされていく。

 その間も少女は終始無言、ただ天上へと虚無な視線を向けるだけだった。

 

 そして、そんな少女のか細くやせ細った白い腕に一本の注射器が刺し込まれる。


「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」


 感情を、声を忘れた少女が1年ぶりに発したのは、声にならない叫び声だった。

 注射器の中身の液体が注がれるたびに血管を駆け巡る桁違いの激痛。

 腕から始まる激痛は、あっという間に心臓へと帰り、そのまま全身に広がっていく。


「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」


 舌を噛まないようにと猿ぐつわを嚙まされた少女は、口の端から泡と血をにじませながら叫び続ける。

 身体反射として体を動かそうとするも、頑強な金属製の拘束に阻まれ指を動かすのが精一杯。


「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」


 体内から炎で炙られるかの如き激痛。

 だが影響はそれだけではない。

 体の芯へ迫ってくるナニカ。

 魂が汚染されるかの如き猛烈な不快感。

 自分の中に誰かが入ってくるような言いよう難い違和感。


「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」


 体の内外から加えられる攻撃に、彼女は幾度となく気を失い、そして痛みに目が覚めた。

 目・耳・鼻・口・etc。体の穴と言う穴から血が流れ落ちた。

 幾度となく、失神と覚醒を繰り返し――


 ――それでも少女は生き残った。


『成功だ』


 朦朧とした意識、麻痺しかかった耳に、そんな声が聞こえて来た――ような気がした。

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