第5話 コペラ
「という事です」
いちごは膝の上に握りこぶしを固めながら語り終えた。
「……ふむ。廊下に落ちていた謎のリスト……ねぇ」
江崎は顎に手を当て小首をかしげる。
「なんじゃ、それだけか? つまらんのう」
松山はあからさまにがっかりした風にキセルを吹かした。
「まぁまぁ申名の姉さん」
江崎は退屈そうな彼女をなだめてからいちごに振り向いた。
「まぁ、そのリストのことは置いておくとしても、一般保護者達の劣悪な環境は十分にこちらの武器になる」
江崎はそう言っていちごに自分たちがどうやって戦っているのか解説を始めた。相手は完全なブラックボックスに護られている。地道にコツコツと情報を足で拾い――
そうやって一方的に話している時だった。
「×山×吉、×川総合×院、××県××市――」
「……え?」
ポツリと発せられたいちごの呟きに、他の3人の視線が集まる。
それを受けてか、いちごは静かに半眼となり、透明な表情でつらつらと人名を吐き出していった。
「――以上です」
いちごの独白が終わり、3人は鳩が豆鉄砲を食ったようにぽかんとした顔をした。
「……ッ! 江崎! アンタ今のメモした⁉」
「あっああ、途中からだが、音声保存はしてある」
焦りの声を上げるりんごに対し、江崎はアタフタとスマートフォンの録音アプリを掲げた。
「……いちごちゃん、今のは?」
江崎はまるで壊れ物を扱うように、慎重に問いかけた。
「はい、リストにあった全34名のデータです。もっとも落ちていたのは一枚だけなので、これが全てかどうかは判断できませんが……」
いちごはつきものが落ちたようにおどおどとした顔をしてそう答えた。
「……驚いたな」
江崎はそう言って、どかりと椅子に深く腰掛ける。
先ほどの話では、少女がそのリストを確認できたのはほんのわずかな時間に過ぎない。
落としたことに気が付いた正職員が慌てて戻ってきて、彼女を突き飛ばすようにひったくったと言う話だったからだ。
そのリストが何のリストかは分からない。
だが、その正職員の反応から言って、ヤツラにとって致命的なものであるのは明らかだったからだ。
惜しむらくは、その現物が手元にないこと。
あわよくば、データの一部でも……そう思っていた時に彼女の発言である。
「……君は、昔からそうなのかな?」
瞬間記憶能力というものがある。その名の通り、見たものを一瞬で記憶できるという能力だ。
だがそれは諸刃の剣でもある、脳の一部の機能が発達した結果、別の機能が遅れる、そう言ったことがデータとして現れている。
江崎の問いかけに、いちごは少し悲しそうな顔をしてこくりと小さく頷いた。
その有様に、江崎は出来るだけ朗らかな表情を浮かべこう言った。
「いや! お手柄だよいちごちゃん!」
江崎は大げさに立ち上がりながら歓喜の声を上げて柏手を打つ。
そして、静かに目を閉じてこう綴った。
「……そのリストが何のリストか、今はまだ分からない」
江崎はそう言って、少女の声が刻み込まれた自分のスマートフォンへとチラリと視線を向ける。
「だが――ここから先は僕の分野だ」
そこには、不敵な笑みを浮かべる一人のジャーナリストの姿があった。
★
「かかか。結局あの小娘は小僧預かりとなったの」
「当たり前でしょ、私やアナタに他人の世話なんて出来っこないじゃない」
江崎の事務所を後にしたりんごと松山は、朝焼けくもる新宿の街を歩いていた。
「かかか。それは道理じゃ。
しかし……あのリストとやらはなんなのかのう?」
そう言い小首をかしげる松山に、りんごは静かにこう言った。
「まぁ、十中八九――人身売買、その類ね」
それは確信が込められた言葉だった。
その吐き捨てるような言葉に、松山はニヤリと笑ってこう言った。
「かかか。まるで見て来たように言う」
「ええ。存分に見て来たからね」
どろりとした殺気を漏らすりんごに対し、松山は小さな笑いをマフラーの奥に隠し、くしゃくしゃと少女の頭を撫でまわす。
「ちょっ。勝手に人の体さわらないでよ!」
「かかか。勝手に触られるお主が悪い」
りんごの罵声もなんのその、松山はからからと笑い飛ばす。
「くっ……今に見てなさいよ、この狸婆」
「かかか。おう、期待してやるから精々励むことじゃな」
こうして2人の影は朝靄の中へ消えていった。
★
コペラ
その語源はフランス語の『協力』である『coopération』からなる。
その代表、雪代・ブリジット・澄香は日仏ハーフの生まれを持つ。
母譲りの金糸の如きブロンドを腰まで伸ばし、涼やかでシャープな面持ちは意思の強さをうかがわせる。
彼女は、まだ20代の若さにありながらも、その美貌と精力的な活動により、若年女性保護活動においては、国内トップレベルの影響力を持っている。
輝かしい経歴の持ち主の彼女だが、その半生は決して明るいものだけではなかった。
人は遺物を排除するもの。
幼少期より顕著であったその美貌は、周囲から排斥される理由となった。
繰り返される陰湿な虐め。見て見ぬふりをする教師。
学校は彼女にとって安全な場所から程遠い物だった。
だが、それは家の外だけではなかった。
本当に危険なのは家の中だった。
彼女の母の名はレア・オゾン。
彼女は日本へ留学に来たごく普通の女性だった。
彼女はそこで出会った男性と学生結婚を行い、日本に骨を埋める事になった。
だが、幸せな生活はそう長く続かなかった。
澄香を生んだ彼女は産後の肥立ちが悪く、澄香の1歳の誕生日を待つことなくこの世を去った。
レアを失った夫はその死を悲しんだ。
そう、ひどくひどく悲しんだ。
彼は心の底からレアを愛していたのだ。
そう、心の底から。
男は、成長を重ねていく彼女の分け身に故人の面影を見た。
はじめは、娘として愛を注いでいた。
だがそれは徐々に狂いだしていった。
成長を重ね、どんどん美しくなっていく一人の少女。
その姿に、彼は消え去ってしまった愛し人の姿を重ねてしまったのだ。
そして、我が子に向ける慈愛は、次第に妻へと向ける情愛へと変化した。
それが一線を越えたある夜、澄香のベッドには男の姿があったのだった。
学校での虐め、家での性的虐待。
その両方に挟まれた少女は直ぐに限界を迎えた。
ある日少女は決意を固め、自由を求め逃げ出した。
その先にたどり着いたのが、児童養護施設『灯火の星』だった。
そこはとある教会が運営する保護施設だった。
多少は窮屈な所であったが、今までの戦場が如き日常と比べれば、まさに天国と地獄と言った所だった。
そして、彼女はそこで才能を見初められた。
天性の美貌と、虐待を受けて来たと言うナラティブ。
今まで彼女を苦しめて来たものは、裏返って彼女のかけがえのない武器となった。
施設は幹部候補として彼女の教育を行った。
聡明な彼女はそれらをスポンジのように吸収していった。
彼女はその生まれもあいまって、女性保護活動のジャンヌダルクとしてもてはやされたのだった。
光あふれる生活。
喝采される活動。
その一方、彼女の内に消えることなく燃え続けるのは、幼き頃の地獄の日々。
そう、彼女の活動は怒りと憎しみによって作られていた。
自らの一部、手放すことのできない
だがそれは、彼女の身を焼き続ける諸刃の剣でもあったのだ。
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