第6話 敵襲 壱

「それで、彼女の行方はまだ分からないのでしょうか?」


 モダンデザインのすっきりとしたワークデスクに向かい、滑らかなタッチでキーボードに指を走らせる雪代は、モニターから視線を外すことなく対面の人物へそう問いかけた。


「はっ……はい、申し訳ございません」


 質問を受けたその人物は、シャツの背中をびっしょりと湿らせながら深々と頭を下げる。

 彼女はこのコペラ古参の幹部である。

 そんな彼女であるが、代表である雪代が激高したことは一度たりとも見たことはない。

 雪代と言う女はクレバーな女だ、ヒステリーを起こした程度で物事が解決しないと理解している。いつも冷静沈着で思いやりの溢れた理想の女性。と、誰もがそう言う感想を持っている。

 だが、古参の幹部である彼女は気付いている。雪代と言う女の――まさしく雪の如く白く柔らかな印象の下に隠された、烈火の如き怒りと憎しみを。


「あらあら、あなたを責めているのではありませんわ河口さん」


 雪代はそう言って聖女の如き笑みを浮かべる。

 誰もが見惚れるその笑顔。だが彼女の本性を知っている河口にしてみれば、それは猛獣が浮かべるそれに相違無かった。


 河口が改めて謝罪の言葉を重ねようとしたその時。雪代の視線は河口から脇にそれ、隣に立つ男へと注がれた。


「私が質問しているのはあなたですわ。鳥部さん?」


 その鳥部と呼ばれた男は、陰鬱な雰囲気を持つ男だった。

 身長は180cmを優に超えるだろうが、体の厚みはそれに比べて随分と薄い。おまけにひどく猫背なため見るからに頼りない印象を与えていた。


「いやぁ、すみませんねお嬢さん。青柳のバカがへましちまったのを最後に、娘の足取りはぱったりでして」


 鳥部はのっぺりとそう喋る。その声は未調整の機会音声がお経を読んでいる様にひどく聞き取り辛い物だった。


「そうですわね。問題はそこですわ。

 あなた方は玉汐様よりお借り頂いた有能な人材です。その一人がか弱い少女を追っている最中に音信不通となった……。

 その意味は言われるまでもないと思いますが?」


 雪代は静かにそう語る。

 彼女は玉汐の計画のキーパーソンである、当然彼女がよこす人材がどういう部類の人材か良く知っていた。


「ええ、良く分かっていますよ。

 周囲の監視カメラの映像を回してもらった所、現場には目標の他に例の小娘の姿が確認されました」


 鳥部はごく当たり前にそう語る。

 困窮市民支援法の効果は絶大だ、対象を保護するためと言えばその程度のデータは直ぐに集まる。


「ですが……」

「ですが?」


 言いよどむ鳥部に、雪代はゆっくりと先を促す。


「ええ、確認されたのはそれが最後。

 その後は監視カメラのデータは全て破損していました」

「……全て、ですか?」

「ええ全て、です」


 その報告に、雪代はわずかに眉根を寄せる。

 逃げ出した少女――如月いちごが向かったのは国内でも有数の監視カメラの設置数を誇る新宿歌舞伎町だ、その数えるのも億劫なほどの人口の目を全て閉ざすことなど並大抵のことではない。


「ネットワークへの不正アクセスなどは?」

「いえ、それは確認されていません。

 公共のカメラならば入口は一つですが、あそこには民間のカメラも多数あります。それを同時に潰すとなれば並大抵のものではありません。そんな派手な動きは確認できていない」

「なるほど、それもそうですね」


 鳥部の答えに、雪代はあっさりと首肯する。

 だが、それでは謎は深まるばかりであった。多数を同時に操れる電子的なジャミング以外となれば一つ一つ物理的に潰していくより他はないが、それこそ人目を集めすぎる。


「となると……」

「ええ、ヤツラにも俺たちの様なやからがついている」


 鳥部の彫が深い目に怪しい光が宿る。


「そうですね、その噂はかねがね。ですがようやく尻尾を現した、と言う所でしょうか」


 雪代はそう言って柔らかな笑みを浮かべた。



 ★



「さて、これからどうするか、ね」


 コペラの事務所は新宿の一等地に存在する。

 江崎の事務所が入っているおんぼろビルとは、比べるのもばからしいほどの近代的なオフィスビルだ。りんごはそこから数100m程離れたとあるビルの屋上でそこを見張っていた。


 春の芽吹きが感じられる緩やかな気温。それも日中となればひときわ――と言いたい所だが、生憎ここはビルの屋上だ、吹き抜ける風は陽気を流していく。


 身に着けているのはいつの通りのスカジャンに、背負っているのは愛刀が入った刀袋ひとつ。

 彼女は裸眼でもって遥か彼方の事務所を睨みつけていた。


「ちっ、いちいちブラインド降ろしてんじゃないわよ」


 驚異的な視力の持ち主ではあるが、流石にブラインドの向こうまで覗く事は出来やしない。うっすらとうごめく人影を確認することは出来たが、逆に言えば出来るのはそこまでだ。

 りんごは舌打ちをしつつ、監視を続け――


「で? なんか用? 見ての通り取り込み中なの」


 りんごは背後を振り向くことなくそう言った。


「ふん。気配を探る程度のことはできるという訳か」


 屋上への出入口の影から未調整の機会音声じみた声が響いたかと思いきや、その影が飛び出す絵本のようににょきりと立ち上がりそこから煙と共に一人の男が現れた。


「まーね。お陰様で」


 りんごはつまらなそうにそう言うと、くだらなそうに振り返った。


「で? アンタはアレの関係者って言うことで良いのよね?」


 りんごはそう言って、コペラの事務所を指さした。


「はっ、どこまでもふてぶてしい娘だ。だが、その余裕がいつまで続くか――なッ!」


 男――鳥部はそう言うなり、人間の可動範囲を大きく超えるほど大口を開けた。それと同時に屋上が紅に染まる。

 人間など一瞬にして消し炭となる埒外の火力。

 ぷすぷすと焦げ臭い匂いが屋上に充満し、しかしそれはビル風によって時を待たずして流された。


「ふむ、少しやりすぎ――」

「少し? なんですって?」


 良く聞こえなかったわ、と。りんごはぱんぱんと埃を払いながら平然とそう口にした。


「な……に?」


 鳥部の奥深い目がぎょろりと見開かれる。

 地上から遠く離れたビルの屋上という事で、自分はそれほど手加減はせずに炎を吹いたはずだ、それなのに髪の毛一本たりとて燃やせてはいない。

 その事実をどう処理するか戸惑っていた時だ。


「アンタ、火前坊ね」

「――⁉」


 冷めた目でそう断定した目の前の小娘に、鳥部――火前坊にさらなる動揺が走る。


「その煙にその炎、正解でしょ?

 確か――見よう見まねで焼身自殺した挙句、未練たらたらに舞い戻ってきたこっ恥ずかしい妖怪よね」


 りんごはそう言ってせせら笑う。


「きっ……貴様ッ!」


 正体を見破れた妖の身にまとっていたスーツが煙に解け僧衣へと移り変わる。


「楽に死ねると思うなッ!」


 火前坊はそう言うと、僧杖を振りかぶり襲い掛かった。

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