第2話 自己紹介

「ふん」


 少女の目の前に立つ彼女は、いちどつまらなそうに鼻を鳴らした後、面倒くさそうに地面に落ちた刀袋に手を伸ばそうとし――


「……あ」


 と呟き動きを止めた。

 ぴたりと背をかがめたまま硬直した彼女に対し、少女はおずおずと声を掛けようとして――


「あーーー! ついっちゃったーーー!」

「ひょいッ⁉」


 奇声を上げる彼女に、少女はビクリと体をすくめる。


「どーすんのよアンタ! 殺しちゃったら情報引き出すもクソもないじゃない!」

「え? ええ? え? わ、わたしのせい……ですか?」


 ギロリと睨みつけられた少女は、おずおずとそう漏らす。


「アンタよ! アンタがとろくさいから悪いのよ!」

「ひっ! ひぃ! すっすみません!」


 ぐいぐいと顔を近づけそう糾弾する彼女に、少女は身を縮ませながら必至なって謝罪の言葉を口にする。


「ごめんで済んだら警察はいらないのよ!

 どーすんのよ!」

「すっすみま――」

「かっかっかっ、自分の不出来を他人に押し付けるのは感心出来ぬのう、りんごよ」

「だっだれ⁉」


 挟みこまれた新たな登場人物の声に、少女は驚きそちらを向いた。

 薄暗い路地の奥、そこからは艶のある栗毛を緩やかに腰まで伸ばし、切れ長の瞳に丸眼鏡をかけ片手には紫煙のくもるキセルを携えて、黄緑色の紋付羽織の下に黒の長着を着、大柄な千鳥格子のマフラーを巻いた妙齢の美女であった。


「ふん……遅いわよ、何してたの」

「かっかっか、ちと道草をな」


 りんごと呼ばれた彼女の不機嫌そうな言葉をその女性はからからと笑い飛ばし、ゆっくりと歩を進め少女の目の前まで進むと、地面に座り込んだ少女へと染み一つない白く透き通った手を差し伸ばした。


「ほら、立てるかなお嬢ちゃん?」


 茶目っ気たっぷりなウインク交じりに差し伸ばされたその手に、少女はおずおずと手を伸ばす。


「あ……ありがとう……ございます」


 少女はお礼の言葉とともに、差し出された手を握り返し、よろけながらも立ち上がった。


「おやおや、大丈夫かの?」

「あっ、はい、いっ、いや、どうで……しょうか」


 たった今目の前で繰り広げられた怪奇現象。

 少女には今日の全ての出来事がまるで夢物語の様にふわふわと現実感なく巡っていた。


「ふーむ。まぁ混乱するのは無理もないが――」


 その美女は眉根を寄せつつ、そう口ごもり――


「アンタ、死ぬわよ」


 その続きをりんごと呼ばれた彼女が、冷たく無感情にそう言い切った。


「……え」


 意識をふわふわと躍らせていた少女は、その冷たい刃にピクリと体を硬直させる。


「なっ……なんで……ですか?」


 少女はカタカタと震えながらその言葉を絞り出す。


「なんで?」


 その疑問に、何を言われているのか分からないと言った風に、りんごと呼ばれた彼女は小首をかしげながらこう言った。


「何をやったか知らないけど、アンタはヤツラに目をつけられたんでしょ?

 逆に聞くけど、なんでそれで今までのように平穏無事に暮らせると思ったの?」


 そう言って不思議なものを見るような彼女の視線に、少女は顔を青くする。


「そっ、そん……な……。

 なんで……なんで、わたし……なんです……か?」

「さてね、運が悪かったと諦めなさい」


 少女の、震える咽から絞り出したその声に、リンゴと呼ばれた彼女はあっさりとそう返した。


「……た」


 ポツリと少女はうつむきながらそう呟きだす。


「……無かった。

 いいことなんて何もなかった」


 呟きは静かに、そして淡々と紡がれていく。


「父はいつもわたしに暴力を振るい、母はそれを黙って見ているだけだった」


 ぐにゃりぐにゃりと、少女の顔には曖昧な笑みが張り付き、その凹凸を涙が伝う。

 

「学校でもいじめられ、全てから逃げ出した先があそこだった」


 ポツリ、ポツリと言葉と共に涙が地面に染みを作っていく。


「そこの暮らしも誇れたものじゃなかった。

 家と対して変わらない環境。

 薄いベニヤ板で区切られただけの大部屋での集団生活。

 皆すさんだ環境で育った子たちだ、当然その気持ちもすさんでいる。

 窃盗や暴言は日常茶飯事、直接的な暴力がないのだけが救いだった。

 施設の管理者もわたしたちを物のように扱っていた」


 地面に水がたまる度に、少女の言葉も加速していく。


「それでも何とかやって来た。

 怒られないようにうつむきながら、嫌なことから目をそらして。

 我慢して、我慢して。

 何も期待しないように。

 何とかして生きるために」


 そして、少女は歯を食いしばる。


「なのに! なんで! なんでわたしが!」


 少女は泣きながらそう叫ぶ。

 その声に、美女は悲し気な瞳を浮かべ――


「知らないわよそんな事」


 りんごと呼ばれた彼女は再度あっさりとそう返した。


「くッ!」


 その言い草に、少女はキッと睨み返す。

 その時だった。


「いや、僕はとても興味があるね」

「⁉」


 またしても現れた新たな声に、少女はとっさに振り返る。

 そこにいたのは、安っぽい紺のスーツに中折れ帽を被った若い男だった。


「だっ、だれ……ですか?」


 少女はキュっと身を縮ませながら問いかける。


「ああそうだね、まずは自己紹介からだ」


 男はそう言いうと、芝居がかった仕草で帽子を脱ぎつつこう言った。


「僕の名前は江崎良介えざき りょうすけフリーのジャーナリストなんてものをやらせてもらってるよ」


 男――江崎はそう名乗ると、たれ目がちな目をさらに緩めた笑みを浮かべる。


「江崎……さん?」

「そう。まぁジャーナリストとはいっても魑魅魍魎うごめく業界じゃ、まだまだ駆け出しだけどね」


 江崎はそう言って胡散臭げなウインクをする。

 その様子をひどく愉快そうにほほ笑んだ美女がこう続けた。


「そう言えばわしも自己紹介はまだじゃったな」


 美女はそう言ってキセルをひと吹きしてからこう言った。


「儂の名は松山申女まつやま しんにょ新宿の雑踏にて占い師をやっとる女じゃよ」


 そう言い妖艶な笑みを浮かべる美女に、少女は占い師ならそういう時代がかった口調もありなのかなと曖昧な笑みを浮かべた。


「そんで、そ奴が――」


 松山はそう言ってちらりと視線を残された彼女へと向ける。

 だが、りんごと呼ばれた彼女は興味さなそうにそっぽを向けていた。

 松山はその様子に苦笑いを浮かべつつこう言った。


「そんで、そこの可愛げのない小娘は青山あおやまりんごじゃ」


 松山にそう紹介されても、りんごはどこ吹く風とばかりに明らかに退屈な表情を隠そうともしなかった。

 少女はその様子に居心地の悪さを感じつつも、ぺこりと軽く頭を下げる。


「それで、君の名前を教えてもらってもいいかい?」


 江崎のその言葉に、少女ははっと気が付いたように姿勢を正し、深々と頭を下げてこう言った。


「わっ、わたし、如月きさらぎいちごです! 助けていただきありがとうございました!」


 ぺこぺこと頭を下げるいちごの姿に、江崎と松山は頬を緩ませ――


「……ふん」


 りんごは興味なさげに鼻を鳴らしたのだった。

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