第n話 月


 私は月が嫌いだ。


 自分が主役だと言わんばかりに輝いているが、

 

 煌々と光る満月も

 孤高に佇む三日月も

 夜に隠れた新月も


 それは自分の意思ではなく、

 夜空の舞台でたった一人、悠かな存在を演じ続ける。


 その舞台に終わりはなく、

 光を向けられるがままに、影を映す。


 観客席から舞台を見ると、

 それは誰かを見ているようで、

 それは誰かに似ているようで、

 そんな在り方に私は嫌悪感を抱く。


 だから、私は月が嫌いだ。



* * * * *



 ピピピピ……ピピピピ……


 スマホから流れる電子音で意識がぼんやりと浮上する。


 ピピピピ……ピピピピ……


 この不快な音の発信源を探して、寝転んだまま枕元をがさごそ。しかしなかなか見つからない。


 ピピピピ……ピピピピ……


 ぼーっとした意識のまま、諦めて上体を起こしてスマホを取る。そしてようやく鳴りやむアラーム。

 この電子音には人を不快にさせる魔の力があると思う。体に緊張を呼び覚ますという意味では立派な仕事をしてくれているが、嫌いなものは嫌いだ。この世からアラームなんてものは一つ残らず消滅して欲しい。……嘘です、無くなったら困ります。


 無駄な事を考えている内にはっきりしてきた意識。なんとなく良くない夢を見ていたような気がする。もう一度倒れ込みたい欲求を堪えてベッドから立ち上がった。そしてほわぁと欠伸を一つ。夜更かしのせいで睡眠時間は四時間ちょっと。眠たいけれどこれは自業自得なので仕方ない。


 そのままカーテンを開けると日光の眩しさに目を細める。今日は忌々しいほどに天気が良いみたい。太陽は嫌いだ。暑いし汗もかくし紫外線対策もしなきゃならない。肌の弱い私にとって日光はもはや天敵。これからの季節、どんどん太陽光が強くなっていくと思うとすごく憂鬱になる。あーあ、このまま春が続けばいいのに。


 このままだとに学校に行く気力さえ失われていきそうなのでそこで思考を止める。壁の時計をちらりと見ると時刻は六時五十分。いつもと同じ時間に起きたのにいつもより時間に余裕がない。


 さて、さっさと朝の支度をしましょうか。




 電車に揺られて二十分、高校の最寄り駅に到着。流行りのJPOPを耳に高校までの坂を上る。

 イヤホンを耳につけるのは音楽を聴きたいというよりも、ある種の自己防衛のみたいなもの。こうしていると積極的に会話をする意思がない事を周囲にアピール出来るのです。つまり大抵の場合は話しかけられずに済む。そう、大抵の場合は。

 いきなり誰かに後ろから抱き着かれた。犯人の正体は振り向かなくても分かる。音楽を止め、右のイヤホンを外すと、


「おはよー。音楽聞きながら歩くのは危ないぞー、急に知らない人に抱き着かれるかもしれないからねー」


「おはよ、そんな人は璃咲りさ以外いないでしょ。てか暑い、離れて」


「悠月が冷たいよぉ」


 後ろから抱き着いてきたのは黒田璃咲、たぶん学校で一番仲の良い友達だと思う。短いやり取りからでも伝わると思うけど、彼女のコミュニケーションはとても距離が近い。曰く、「可愛い子がいるならくっつかないと損」との事。実は中身はおっさんなのかな?


「そもそも歩いてる途中に抱き着かれた普通に危ないんだけど」


「それは悠月が可愛かったから仕方ない。おー、今日も髪さらさらだねー」


「全然理由になってないなぁ……。あと髪の毛がさらさらなのはお手入れしてるんだから当然です」


 とりあえず歩きずらいので璃咲を引きはがす。「むぅ」と不満げな声はスルー。左耳のイヤホンも片付けて高校へと歩く。

 可愛い子好きを公言している璃咲ではあるけど、その当人もなかなか可愛い。身長は高いし、目はくりっとしてるし、脚は健康的ですらっとしてるし。帰宅部の私と違って璃咲は陸上部でしっかりと運動しているから、健康的で綺麗なスタイルをしている。自分の容姿には満足しているけど、しなやかで引き締まった体には少しは憧れたりするものですよ。


(……まあ、私は変われないんだけどね)


 綺麗で、物静かで、品行方正で、成績優秀で。

 教師からの信頼が厚くて、同級生から頼りにされていて。

 親から期待されていて、その期待に応える。

 それが「白河悠月」。

 私はきっと変われない。これからもずっと特別であり続ける。


「……ねぇ聞いてる? 絶対聞いてないよね?」


 袋小路に迷い込んだ思考は璃咲の言葉で引き戻された。


「ん? 聞いてた聞いてた」


「いやいや聞いてなかったでしょ、めちゃぼーっとしてたから。……何かあった?」


 こちらの顔色を窺うように尋ねる璃咲。


「んー、強いて言うなら寝不足気味かな。……てか早くしないと一時間目始まっちゃうね」


 そう言って少々強引気味に話を打ち切る。モノローグは他人に聞かせるものじゃない。それに時間がないのも間違いではないし。


 さあ、今日もいつもの私を演じようか。

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