第31話 上陸作戦
とある日のカザリアの埠頭。
いつもと変わらない平和なカザリアの港。
いつものように埠頭では汗水垂らしながら男たちが商船から積み荷を降ろしている。
そして、いつもの老人が海鳥に餌をやっている。
そんな光景を眺めながらクロイデンの若い兵士はぷかぷかとたばこをふかしていた。
彼の名前はリケットという。
父親も祖父もクロイデン軍人であった彼の将来は決まっていた。
軍に志願し、王国の防衛のために命を賭して戦え。
そんなことを幼い頃から父からも、そして祖父からも言われ続けたリケットは18歳の頃に海軍士官学校に受験するも失敗。
結局は一般志願兵としてクロイデン海軍に入隊し、今は沿岸警備隊としてこのカザリアの港の治安維持に努めている……のだが……。
「はぁ……」
正直なところリケットは争いごとがあまり好きではない。
本音を言えば軍になんて入らず、昔から好きだった動物に携わる仕事がしたかった。
もちろんそのことを父親に伝えたこともあったが「ふざけるなっ!!」というなんとも理不尽な一言で一蹴され、結局今の仕事を続けている。
それだけにリケットは仕事に熱が入らない。
今日も今日とて、こうやって埠頭の警備をするフリをしながら、隅っこでたばこを吸って時間が過ぎるのを待つのが彼の日常だ。
「おいおいリケット。てめえ何サボってんだよっ!!」
と、彼の背後から声がした。
それを聞いたリケットは慌ててたばこを捨てて踏み潰す。
――ヤバい。サボってるのがバレたっ!!
慌てふためきながら後ろを振り返ったリケットだったが、そこに立っていた男の顔を見て彼の緊張はすぐに緩和した。
そこに立っていたのは彼よりも三歳年上のサボり仲間クレイグだった。
「ちょ、ちょっと脅かさないでくださいよ……」
「わりいわりい。ほら、一本やるよ」
彼はニヤニヤと笑みを浮かべながらリケットのもとへと歩み寄ってくると、ポケットからシガーケースを取り出して彼に差し出した。
リケットはしばらく恨めしそうにクレイグを眺めていたが「はぁ……」とため息を吐くと、ポケットからマッチを取り出して自分のたばことクレイグのたばこに火を付ける。
そして二人でたばこをふかしながら再び埠頭を眺めやる。
「今日も平和っすね……」
「そりゃ平和だ。これからの数ヶ月間は平和でいてくれなきゃ困る……」
「そうっすね……」
実は今、クロイデン軍の多くはアルデア討伐のためにかり出されている。
リケットの話によると、アルデアの領主が反乱を企てており、それを鎮圧するのだという。
そのためカザリアからの陸海問わず多くの兵士がアルデア領へと出払っており、残っているのは治安維持のための最低限の部隊だけだ。
そして、リケットとクレイグはその治安部隊のためにカザリアで留守番をしている。
「ってか、こんなにカザリアの兵士の数を減らしても大丈夫なんですかねぇ? カザリアには軍艦もほとんど残っていないですし、今、どこかの国が攻めてきたら守り切れませんよ?」
「いや、攻めてくるってどこの国が攻めてくるんだよ」
「え? た、例えば……カレナとか……」
「カレナの海軍なんて遠洋航海もままならない素人集団だぞ。仮に攻めてきたとしても埠頭から大砲を撃ち込めば簡単に沈没させられる」
「じゃ、じゃあグレド大陸とか……」
リケットがそう言った瞬間、クレイグは思わず吹き出してしまった。
「いや、それだけは絶対にない。グレド大陸だぞ? あんな蛮族がどうやって海を越えてここまでやってくるんだよ……」
「で、でも、グレドの魔王の魔術はS級魔術師でも歯が立たないとかなんとか……」
「んなのただのオカルト話だ。それに、そんなに強いならとっくにグレドはクロイデンを侵略しているはずだ。それをしないってことはその力がないってことだよ」
「た、確かに……」
確かに魔王が自分が思っているような恐ろしい存在だったら、とっくにクロイデン王国は魔王の手に落ちているはずだ。
海流だってグレド大陸からクロイデン王国に向かって流れているのだ。
それなのにそれをしないということは、その力がないということなのかもしれない。
リケットはクレイグの言葉に納得してしまった。
「まあクロイデンを攻めてくる命知らずなんていないさ。うるせえ上官も留守だし、今のうちに目一杯羽を伸ばそうぜ」
そう言ってクレイグは両手を広げて伸びをした。
……が。
「ん? なんだ……あの船は……」
クレイグは伸びをしたままそう呟いた。
「え? 船……ですか?」
「見えねえのか? あそこだよ」
そう言ってクレイグは水平線を指さす。
そちらへと顔を向けると確かに、遠くに船が数隻浮かんでいるのが見えた。
「商船ですかねぇ……」
「見てみろ」
クレイグがそう言うのでリケットは腰にぶら下げた魔光学レンズ望遠鏡を手に取ると、それを船へと向けて覗き込む。
そして、リケットは笑みを浮かべた。
「あぁ、あれはクロイデンの軍艦ですねぇ……。カザリア級が数隻浮かんでいます」
「はあ? で、でもなんてカザリア級がいるんだよ……ちょっと貸せ」
そう言ってクレイグはリケットから望遠鏡を奪い取って覗き込む。
そして、
「あ、あれって……ミレイネ殿下を乗せた船じゃないのか? 1、2、3、4……ミレイネ殿下を乗せた艦隊と数が一致する。間違いない」
「い、いや、でもどうして……」
「わからん……が、何か船にトラブルがあったのかもしれん。おい、リケット。監視塔でウィルスン信号を送って状況を把握しろ」
「わかりました」
そう答えるとリケットはたばこを捨てて監視塔へと走った。
※ ※ ※
ミレイネ王女を乗せた戦艦の貴賓室。
そのテーブルに腰を下ろして紅茶を啜るミレイネと、その正面で大きな体を必死に座面に抑えながら座る魔王。
魔王は指先で小さなティーカップを摘まみながら、ミレイネオススメの柑橘の皮の入った紅茶を啜っていた。
「王女が急病であるとのウィルスン信号を送りました。急いで埠頭に救護班を連れてくるそうです」
「そ、そうか……。報告ありがとう……」
そう言って愛想笑いを浮かべて水兵からの報告に返事をする魔王だが、彼の顔色は浮かない。
「あ、あんた……さっきから、なんだか顔色が悪いわよ……」
そんな魔王の顔色を心配したミレイネが首を傾げる。
魔王はそんなミレイネに苦笑いを浮かべた。
「いや、なんというかその……クロイデンの方々を騙しているようで気が乗りません……」
「はあ? 今更何言ってんのよ」
「だ、だって、救護班の方々はミレイネ殿下の容態を心配されて今、一生懸命埠頭に向かっておられるのでしょ? そんな方々の善意を踏みにじるようなことをするわけですし……」
――な、なんなの……この魔王は……。
紅茶を啜りながらミレイネは苦笑する。
なんというか実際に目にした魔王は、彼女が聞いていた魔王像と大きく掛け離れていた。
クロイデンの軍艦からの艦砲射撃を、全て弾き飛ばした恐ろしい魔王とは思えないほどの腰の低さである。
そんな心優しい魔王にミレイネは安心すると同時に、不安にもなってくる。
こんな弱腰で、本当に作戦を成功させることができるのだろうか……。
――これは私が背中を押さなきゃダメかもね……。
ミレイネはティーカップを置いて魔王を睨みつける。
「あ、あんた本気で作戦を遂行するつもりはあるわけ?」
「え? そ、それはもちろん」
「だったらもっと堂々と振る舞いなさいよ。あんたは私たちの戦艦を拿捕した魔王で、私はその人質なんでしょ? なんかこれだと逆みたいじゃない」
「いや、人質だなんてめっそうもない。王女にはあくまで人質の役を演じて貰うだけで、あくまで我々にとっては来賓でございます」
「あのねぇ……そういうところよ……」
ミレイネは再びため息を吐くと、バンと両手でテーブルを叩いて身を乗り出した。
そして、魔王の顔に自分の顔を接近させると、鋭い眼光で魔王を睨みつける。
「ちょっとは魔王らしく凶悪な表情を浮かべてみたらどう? そんな中間管理職みたいな表情で上陸してもクロイデン軍になめられるだけよ?」
「いや、でも……」
「いいから、私をぞっとさせるぐらいの怖い顔をしてみて」
「いいのですか?」
「いいいわよ。早くやって」
「で、では……」
そこで魔王はようやく観念したように一度深呼吸をしてから目の前のミレイネを見つめた。
そして、
「ひゃっ!?」
魔王は牙をむき出しにすると、ミレイネの想像の数倍おぞましい表情を彼女に向けた。
――こ、怖い……。
「す、すみません……怖がらせるつもりは……」
「い、いいのよ……ちょっとびっくりしただけ。だけど、良い表情じゃない。船から下りたらずっとその表情でいること。いいわね?」
「善処します」
ということで、魔王とミレイネはそれからしばらく貴賓室で紅茶を楽しみながら時間を過ごすことになった。
そして、艦隊がカザリアの港まで接近したところで、ミレイネはクロネに頼んで両手に枷をつけてもらい魔王とともに下船の準備を始めた。
※ ※ ※
カザリアの港はさっきまでの静けさが嘘のように、慌ただしかった。
埠頭には先ほどから救護兵とクロイデン城から飛び出してきた医者たちがタンカーを持って、タラップの前で待機している。
そんな慌ただしい状況下で、リケットたち沿岸警備隊十数名は小銃を片手にその周りを囲っていた。
リケットたちの任務はクロイデン城まで王女を護衛することだ。
「急病って……なんですかね?」
リケットは小銃を片手にクレイグへと声を掛ける。
「さあな。王女に持病があるなんて話は聞いたことがないし、食あたりかひどい船酔いだろう。船に乗れないようじゃ、いつまで経っても嫁ぎにいけないな」
クレイグは暢気にそう答えた。
と、そこでタラップが船へと付けられ、王女の下船の準備が整ったようだ。
リケットたち沿岸警備隊の面々は船へと視線を上げた。
まもなく王女が船医たちに連れられて下船してくるだろう。
埠頭で待機していた人々はみんなそう思ったに違いない。
が、
「え?」
タラップに姿を現した者を見た埠頭の面々は目を丸くした。
そこに立っていたのはおぞましい表情を浮かべた大柄の魔族の男だった。
魔族の男の前には王女らしき少女が立っており、その手には枷が付けられていた。
――え? ど、どういう状況?
そのあまりにも予想外の光景にリケットが呆然と立ち尽くしていると。
「魔王だああああああっ!!」
誰かがそう叫んだ。
その瞬間に埠頭に緊張感が走り隊長の「銃を構えろ」という号令でリケットたちは魔王の顔に小銃を向けた。
なにが起こっているのか理解ができない?
が、とんでもないことが起きているのは理解できた。
――魔王……あれがグレド大陸の魔王なのか?
そのあまりにもおぞましい表情にリケットは小銃を構えたまま体が震えるのを必死に我慢していた。
「みなさん、初めまして。グレド連邦で魔王をやっておりますハインリッヒ・シュペードと申します。この度は皆様をお騒がせして大変申し訳ありません」
魔王はそう口にすると、さっきまでのおぞましい表情が嘘のように申し訳なそうな表情で埠頭の人々に謝った。
が、その直後、王女がわずかに足を上げると魔王のつま先を踏んづけた……ようにリケットには見えた。
――いや、さすがに王女殿下がそんなことするはずないか……。
リケットは自分の見間違いだということにして再び魔王の顔を見やる。
魔王は再びおぞましい表情を浮かべると右手を前方をへと伸ばした。
そして、魔王が開いた手をゆっくりと閉じるとリケットの身に異変が起きた。
なんというか構えていた重心を掴まれるような感覚に襲われたのだ。
――え? なんだこれは……。
と、困惑も束の間、リケットの掴んでいた小銃の砲身がぐにゃりと90度右側に折れ曲がった。
「え? ええっ!?」
どうやら他の隊員たちの身にも同じことが起きたようで、彼らは半狂乱で折れ曲がった小銃を眺めていた。
「皆の者、よく聞けっ!!」
と、そこで魔王は叫ぶ。
そして、彼はおぞましい表情を浮かべたまま言い放った。
「我は国王との会談を希望するっ!! 王女の命が惜しければ、我に手出しは無用。速やかにクロイデン城へと我らを案内せよっ!!」
そう言って魔王は鋭い牙をむき出しにして俺たちを睨みつけた。
直後、王女は急に怯えたように身を震えさせると、
「み、皆さん、魔王の言う通りにしてください。戦艦のクロイデン兵たちが人質に取られています……」
と、震える声で言った。
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