第32話 戦わずして勝つ方法
アルデア領の北方にあるティルディア領。
その中心部にある内陸の街サクマは王国内の陸路の要である。
街には数多くの宿と酒場が並び、行商人や旅人の多くがこの街で夜を明かすクロイデン王国でも有数の宿場町だ。
が、今宵のサクマはいつもと少し……いや、かなり違っていた。
いつものように楽しげに酒場から酒場へとはしごする行商人や旅人はなりを潜め、代わりに軍服を身につけた男たちが街を闊歩していた。
彼らはアルデア領へと向かうクロイデン王国軍。
その数は一万近くに上る。
これだけの兵士が一度に移動するためには衣食住、あらゆる点で兵站が重要になってくる。
そして、クロイデン王国はそれらの兵士全ての衣食住を賄うための補給部隊を持ち合わせていなかった。
前代未聞なのだ。
長らく大きな紛争を経験せず、表向きは平和が維持されてきたクロイデン王国において、補給部隊は必要なかった。
だから、急にこれだけの部隊を移動させろと言われても、現地調達なしに実行することは不可能だ。
そのため、クロイデン軍は国王の勅許を得て、このサクマの街を軍によって占拠することにした。
行商人や旅人は強制的に街を追い出され、今夜、宿や酒場はクロイデン軍人以外の使用は禁止されている。
そんな普段とは違い、異様な空気を醸し出すサクマの街で一番大きな酒場『グラス』の店内もまた軍服を着た男たちによって占拠されていた。
「おい、ビールはまだかっ!!」
「おい、まだ肉が届いてねえぞっ!! この店は注文を受けてから狩猟に出かけてんのかっ!!」
多くの軍人によっていつも以上に盛況な『グラス』ではテーブルの数が足りず、酒樽の簡易テーブルを追加しても、さらに立ち飲みの客が出るような状況だ。
そんな『グラス』を切り盛りする中年の男グラスは肉を鉄板で焼きながら、クロイデン王国軍を白い目で眺める。
いつもならば、ここまで店内が客であふれればグラスは思わず笑みをこぼしていただろう。
が、今日は違う。
客が店に入ってくれば来るほど、グラスはため息をこぼさずにはいられない。
その理由はここにいる客が全てクロイデン軍だからだ。
彼らはいくら店内で飲み食いをしても、店にはお金を落とさない。
もちろん後日王国から保証金を支払われることにはなっているのだが、王国からの保証金などいつもの売り上げの半分にも満たず、注文が入れば入るほど店は赤字だ。
いや、それだけならば百歩譲って良いとしよう。
何せ、ここにいるのは自分たちの代わりに命を賭して戦う戦士たちだ。
グラスにだって王国への忠誠心はあるし、そのためだったら赤字を被ってもいいと思っている。
が、グラスには耐えきれないことがあった。
それは店内の軍人たちの横柄な態度である。
さっきから王国軍の客たちは平気で店内に痰を吐き、若い女性店員が近くを通ると尻や胸に触れてニヤニヤと汚い笑顔を浮かべていた。
そのせいで若い店員が代わる代わる店の隅で涙を流し、それでも仕事だからと割り切って涙を拭ってまた店内へと繰り出していく。
当然ながらグラスだって彼女たちを守ってやりたい。
いつもだったらそんな客は首根っこを掴んで店の外に放り投げていただろう。
だが、今日の客は王国軍だ。
そんなことをしたら自分はおろか被害にあった女の子だってただじゃ済まない。
だから、彼らはぐっと怒りを堪えながら必死に笑顔で接客を続ける。
「おい、この肉美味すぎねえか……」
「肉が美味いんじゃねえ。この塩と一緒にかかっている粉が美味いんだよ。おい、ねえちゃん、この粉をもっともってこい」
どうやらクロイデン王国にはまだカラヌキ粉が出回っていないようだ。
さっきからクロイデン兵は肉に必要以上のカラヌキ粉をぶっかけて肉に食らいついている。
そのせいであっという間に店のカラヌキ粉がなくなり、2回もカクタ商会に仕入れにいくことになった。
踏んだり蹴ったりな一日だったが、グラスには今日唯一といってもいい嬉しい出来事があった。
それはカクタ商会がカラヌキ粉をタダで譲ってくれたことだった。
カクタ商会の店主によると、今商会にあるカラヌキ粉はあまり質の良い物ではないらしく、本来廃棄する予定だったのだという。
それでも今日はクロイデン軍が大挙して押し寄せてしまった。
なのでやむなく倉庫のカラヌキ粉を出さないわけにはいかないが、低品質なカラヌキ粉でお金を取るわけにはいかないということらしい。
グラスとしてもさすがにタダで譲って貰うわけにはいかない。
が、金を支払うというグラスにカクタ商会の店主は頑なに代金を受け取ろうとはしなかった。
押し問答の末、カクタ商会は『これからもカクタ商会をご愛顧ください。その気持ちを代金としていただきます』と言うのでグラスは頭を下げてカラヌキ粉を受け取った。
グラスは店を出る際に『これはクロイデン軍のためのカラヌキ粉です。クロイデン軍以外の者は口にしないようお願いします。また、余った分はカクタ商会にご返却ください』と言われたので『当然です』と答えて店に戻った。
おそらくタダで渡したカラヌキ粉を転売するなということだろう。
そのため、グラスは転売は当然のこと、店員の賄いにすらカラヌキ粉の使用を禁じている。
これはグラスとカクタ商会の男と男の約束なのだ。
男として決してこの約束を破るわけにはいかない。
――そういえばカクタ商会って王国中にあるらしいが、いったいどこの領の商会なのだろうか? ま、そんなことはどうでもいっか。
ということでグラスはクロイデン軍の要望に応え、カラヌキ粉を肉にふりかけまくって提供していた。
クロイデン軍はそんなカラヌキ粉まみれの肉を嬉しそうに頬張った。
――そんなにかけても辛いだけだろ……。
と、思わないでもなかったが、グラス自身も初めてこの粉を口にしたときは、同じように肉にかけまくったのでひとのことは言えない。
ということでクロイデン軍から大好評だったカラヌキ粉は。閉店近くになるころには空になっていた。
店内の多くの兵は酔い潰れており、テーブルにもたれかかってぐったりしている。
そんな光景にグラスはどうやって客を店外に追い出すかと、頭を悩ませているとふと一人の兵士が立ち上がって近くの店員に『トイレはどこだっ!!』と血相を変えて尋ねた。
トイレの場所を聞いた兵士はトイレへと駆け込む。
その直後、他の兵士たちも慌てたようにトイレへと駆けていき、気がつくとトイレは兵士たちの列ができていた。
ん?
食器を洗いながらグラスは首を傾げる。
酒場でトイレに列ができること自体は珍しいことではない。
むしろ酔い潰れた客がトイレに籠もって列ができることなど日常茶飯事だ。
が、トイレに列を作る兵士たちの多くがお腹を手で押さえて「ダメだっ!! 我慢できねえっ!!」と悲痛な表情を浮かべている。
中にはトイレの外だというのにズボンのベルトをはずそうとする兵士までいる。
「ちょ、ちょっとお客さん、そんなところで用を足されたら困りますっ!!」
「う、うるせえっ!! トイレが空かねえんだからしょうがねえだろっ!!」
「いや、じゃあせめて外でやってくれっ!!」
と、グラスが言った瞬間、店の外で「きゃーっ!!」と女性の悲鳴が聞こえた。
その声を聞いてグラスは慌てて店の外に飛び出した。
そして彼はとんでもない光景を目の当たりにする。
「えぇ……なんじゃこりゃ……」
道ばたは多くのクロイデン軍であふれており、その多くがティルディア川の方へと尻を押さえながら走って行く。
が、一部の者は我慢できないようで道ばたでズボンを脱ぎはじめていた。
そして、鼻がもげるのではと本気で思うほどの悪臭が辺りには漂っている。
――じ、地獄絵図だ……。
グラスがその光景に絶句していた頃、他の宿場町でも同じようにクロイデン軍集団お漏らし事件が起きていた。
そして、王国が集団お漏らし事件の原因がカラヌキ粉に混ぜられた下剤であると特定するまでに数ヶ月の時間を要することになった。
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