第29話 魔王の力
クロイデン王国、カザリアの埠頭に浮かぶ数隻の戦艦。
そのうちの一隻の船尾に立つ水色の髪の少女。
ミレイネ・リクトリア・クロイデンは15年という月日を過ごしたカザリアの港町を眺めていた。
代わり映えのしない退屈な街。
この街に15年間も閉じ込められていたミレイネは、幼い頃は幾度となくこの街を抜け出して自由の身になりたいと思った。
だけど、不思議なものだ。
もう二度とこの土地に足を踏み入れることができないと思うと、彼女を縛り付けたこの退屈な街ですら恋しく感じてしまうのだから。
カザリアの港にはいつもと変わらない日常が広がっていた。
埠頭では商船に荷物を運び入れる者や、逆に船から下ろした荷物を台車を使ってどこかへと運ぶ者。
さらには埠頭のベンチに腰を下ろして、海鳥にパンの切れ端を与える老婆。
本当にいつもと変わらない光景だった。
少なくともこの埠頭には今日、遠くの島へと嫁いでいく王女を見送ろうとする人は誰もいなかった。
「まあ、別にいいんだけど……」
別に祝福されたいだなんて思っていない。
彼女自身、民より集めた血税で自由気ままに生きてきたという自覚もある。
だからこそ、彼女がどこに嫁ごうが、それは領民にとってはどうでもいいことだし、妬みの対象にすらなっているかもしれないと思っていた。
それでも彼女は寂しさを感じざるを得なかった。
それは領民たちがお見送りに来なかったことではない。
そもそも彼女が今日、カザリアを立つことを知っている領民はほとんどいないのだ。
彼女が寂しさを感じたのは、クロイデン王国の国王、いや彼女の実の父親であるフランツ・リクトリア・クロイデンがその事実を領民に伏せていたことだった。
昨日、彼女はお世話になった父親に最後の挨拶をしようと、国王の部屋へと出向いた。
が、彼女は護衛によって門前払いを食らった。
国王は政務で忙しく面会は叶わないのだという。
思えばグレド大陸の侵攻に反対した日から彼女は父親と一度も顔を合わせていなかった。
要件は全てクロネを挟んで行われていたし、意図的に父親は自分を遠ざけていた。
そもそもこの婚姻だって露骨な厄介払いだった。
きっと父親はこのクロイデン王国からミレイネ・リクトリア・クロイデンという存在を消し去ろうとしているのだろう。
そんな父親の意図がわかるがゆえにミレイネは寂しかった。
だけど、ミレイネは自分の意志を変えるつもりはない。
グレド大陸の侵攻は間違えている。
罪なき魔族を殺害し、彼らの宝物を奪い取ることをミレイネはどう頑張っても正当化することができなかった。
――マナイレ、私の考えは父親に見捨てられるほど酷い考えなのかしら……。
なんて考えながらカザリアの街、そしてその奥にそびえ立つクロイデン城を眺めながめていると「ミレイネさま」と背後で声がした。
振り返ると、そこにはスーツ姿の背筋の良い男が立っていた。
クロネだ。
クロネはミレイネの元へと歩み寄ってくると、彼女に一礼をする。
「ミレイネさま、まもなく船が出航いたします。甲板は危険にございますので貴賓室へご移動を」
「わかったわ」
そんなクロネの言葉に笑みを浮かべる。
「ねえクロネ」
「いかがいたしましたか?」
「本当にいいの?」
「いいとは?」
「私についてくることに決まっているじゃない。相手方のことを考えると言い方は悪いけど都落ちよ?」
「私が選んだことですので」
実はミレイネの嫁入りにはクロネもついてくる。
そもそも王族が嫁入りをするときには数名の世話役がついてくるのが一般的である。
ミレイネの場合も嫁入りが決まったときは、彼女の世話役も数名が嫁ぎ先についてくることになっていた。
が、嫁入りの日が近づくにつれて、一人、また一人と何かと理由をつけてクロイデン城を後にした。
当然と言えば当然だ。
彼女がこれから嫁ぎにいくのはクロイデン王国から遠く離れた小島にある小国だ。
クロイデン王国と比べれば当然ながら生活レベルは落ちるだろうし、そもそも小国の主の評判は最悪だ。
国王の女癖の悪さは折り紙付きで、複数の女奴隷を愛妾として所持しており、女官の中でも気に入った者がいれば、すぐに手籠めにするのだという。
もちろんこれは噂の域を出ないが、火のないところに煙は立たない。
ミレイネ自身、数年前にクロイデン城にやってきた国王と晩餐会で挨拶を交わしたことがあるが、まだ10歳ほどだった彼女は国王から全身をなめ回すように眺められ不快感を抱いたことがある。
ミレイネ自身女性ということもあり、クロネを除き世話役のほとんどが女性だ。
彼女たちの気持ちを考えれば無理に連れて行こうという気にはなれなかった。
「よいのですか?」
と、そこでクロネが首を傾げた。
「なんの話? もしかして私が嫁ぐこと?」
「ええ、ここのところミレイネさまは部屋で伏しておられたので心配をしておりました」
「別になんとも思わないわよ。それに、よくなかったとして私に何ができるのかしら?」
ミレイネはクロイデン王国の王女だ。
王女とは親に決められた結婚相手に嫁ぐことが王国への最大の貢献だ。
散々血税で悠々自適な生活を送ってきた自分には、結婚相手を選り好みをする権利などない。
それが国のためであれば、喜んで嫁ぐのが王女の仕事なのだ。
「どうにもならないことぐらいあんたも知ってるくせに……」
そう憎まれ口を叩くとクロネは「ローグさまはミレイネさまをお救いになられるとおっしゃっていました」と食い下がってくる。
ローグ・フォン・アルデア。
それはいつか彼女の元にやってきた年下の領主の名前だ。
その男はミレイネがグレド大陸を救うための作戦があると言った。
その作戦の中には彼女自身の婚姻の破棄も含まれていたのだ。
なんでもミレイネの身柄もグレド大陸を救うために必要なピースなのだという。
その作戦を聞いたとき、ミレイネ自身胸が躍ったのを覚えている。
もしかしたらこの男が全てを解決してくれるかもしれないとすら思った。
だが、彼女はローグ・フォン・アルデアほどのロマンチストではない。
夢を語る男を完全に信用することなんてできなかった。
「クロネは信じているの? あの男の話を」
そんなミレイネの言葉にクロネは首を傾げる。
「さあ、どうでしょうか。私にもわかりかねます」
「何言ってんのよ。自分のことでしょ?」
ミレイネは少しおかしくなって笑ってしまう。
「まあどっちでもいいわ。それよりも船が出るんでしょ?」
彼女はそう言うと貴賓室へと向かって歩き始めた。
※ ※ ※
クロイデン王国の王都カザリアの沖合い約10キロ。
魔王ハインリッヒ・シュペード率いる魔王艦隊は目的の船を発見した。
「魔王陛下、あの船でおそらく間違いありません」
「そうか。ご苦労だったな」
艦首に立って、部下からの報告を聞く魔王は前方数百メートルほどのところに浮かぶ数隻の戦艦を眺めながらわずかにニヤリと笑みを浮かべた。
そんな魔王の不敵な笑みに部下たちは恐れおののく。
そのことに気がついた魔王は慌てて「あ、ごめん……」と柔和な笑みを部下たちに向けて謝った。
自分の人相の悪さが魔王の悩みの一つである。
「魔王陛下いかがなさいましょうか?」
「とりあえず船を止めるのが我々の仕事だ」
先ほどから王女を乗せた戦艦は数発威嚇射撃を行い、魔王軍艦隊に海路を開けるように要求してくる。
それでも魔王は戦艦をとおせんぼするように船を並べたままだ。
きっと次はこちらに向かって砲撃をしてくるだろう。
それが魔王の見立てだ。
現に戦艦では乗組員たちが甲板にて慌ただしく主砲を魔王の方に向けているのがよく見える。
それを肉眼で確認しつつも、それでも魔王は通せんぼをやめない。
「撃ってくるでしょうか?」
魔王の隣に立つ乗組員は不安げに魔王を見上げた。
「撃ってくるだろうな……」
「いかがいたしましょう」
「撃って貰おう」
そう言って魔王は右手を戦艦へと掲げると、じっと主砲を見つめた。
それと同時に王女を乗せた戦艦は砲撃を放った。
魔王には見える。
主砲から打ち放たれた大きな鉄球が、自分へと目がけて勢いよく飛んでくるのが見える。
その鉄球を眺めながら魔王はまたニヤリと笑みを浮かべると、ぎゅっと右手を握りしめていく。
すると、ありえないことが起こった。
高速で自分目がけて飛んでくる鉄球は急速にその速度を弱め、ちょうど魔王の船と王女の船の中間地点にたどり着いたところで、動きは完全に停止した。
まるで時間が止まったように空中で停止する鉄球。
その鉄球を乗組員たちは固唾を呑んで見守っていた。
不意に魔王はまたニヤリとわずかに笑みを浮かべると、ぎゅっと握りしめた拳を海面へと向ける。
空中で停止していた鉄球は海面へと目がけて凄まじい速度で落下した。
海面から水柱が勢いよく立ち上がり、水しぶきがわずかに魔王の頬を濡らす。
「さあ、王女をお迎えしよう。船を横付けしてくれ」
魔王は頬に付着したしずくを親指で拭うと、部下へと視線を向けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます