第3話 冒険

 いったい私はなにを見ていたのだろうか……。


 部屋を出た私は、ふさわしくない立ち振る舞いだとわかっていながらも、ローグさまの寝室のドアを背もたれにして胸を押さえる。


「フリードさん、大丈夫ですか?」


 そんな私をリーアが心配そうに眺めるので、私は「大丈夫だ」と手で制す。


 が、内心全く大丈夫ではなかった。


 ポケットから瓶詰めされた丸薬を一錠取り出すと、それを口に放り込んで飲み込む。


 それにしてもさっきのローグさまは異様だった。


 領主の御曹司であるローグさまが領地について色々とお尋ねになることは、本来当たり前ではあるのだけれど、少なくとも私にとっては想定外の質問だったからだ。


「それにしても今日のローグさまは少し様子がおかしいですね?」


 どうやらローグさまの異変に気づいたのはリーアも同じだったようで、彼女は不思議そうに首を傾げる。


「リーア、ローグさまに対しておかしいという表現はやめなさい」

「え? あ、ごめんなさい……。ですがその……今日のローグさまはいつもと違って聡明というかなんというか……」

「その言い方では普段は聡明ではないような言い方ではないか」

「はわわっ……。そういうことではなくて……なんというかその……」


 と、リーアは目をきょろきょろさせて慌てふためいた。


 なんというか彼女にはアルデア家の使用人であることの自覚が足りない。


 彼女はローグさまの専属メイドなのだ。


 専属メイドならば専属メイドとしてふさわしい身の振り方を覚えて欲しい。


 が、今は彼女に説教をしている場合ではない。


「困ったことになった……」


 ローグさまは街に出たいとおっしゃられた。


 だが、当然ながらアルデア家の次期跡取りであるローグさまが街へ出ることはそう容易いことではない。


 ローグさまは簡単におっしゃられたが、ローグさまが街に出るとなると、それ相応の護衛が必要になる。


 仮にもローグさまの身に何かが起こったら、一大事なのだ。


 私一人の命で責任をとれるような話ではない。


 普通に考えれば当主様にご報告をして、当主様直々にローグさまを説得して貰うのが一番だ。


 だが……。


「…………」


 恐ろしいことに私は悩んでいた。


 悩むことなんて何もないはずなのに私は悩んでいた。


 それどころか、ローグさまがアルデア領の税制を尋ねてられたことにも、人頭税に激怒なさったことにも喜びを感じていた。


 もしかしたら、何かが変わるかもしれない……。


 そのように思わずにはいられなかった。


 それは、私がそれほどまでにアルデア家の人間に期待をしていなかったからかもしれない。


 私が父親からこの仕事を受け継いだのは、まだ15歳だった40年程前。


 この40年間、私はアルデア家のために身を粉にして働いてきたし、アルデア家の筆頭執事であることに誇りも感じて生きてきた。


 だけど、私はアルデア家の人間に期待なんてしていなかった。


 少なくとも当主様は伯爵という地位に甘んじて生きていたし、領民のことなど自分が優雅に生活するための金づるとしか思っていなかった節がある。


 いくら私が領民の生活が苦しいと申し上げても、当主様は「そんなことは知らん」と一蹴なされたし、それどころか「他にとれる税はないのか?」と非情なこともおっしゃられていた。


 領民の生活を直接ご覧になられるよう薦めたときには、露骨に不快な顔をされた。


 私は執事である。


 私はただ当主様とご家族の身の回りのお世話をして、快適にお過ごしいただくのが仕事だ。


 そう自分に言い聞かせて、領民たちの声を無視して生きてきた。


 だけど……だけど、ローグさまのお言葉に私のそんな気持ちは揺らいだ。


「ローグさまはとてもお優しい方ですね」


 と、そこでリーアがわずかに頬を緩めてそう口にした。


「どういうことだ?」

「ローグさまは領民のご心配をなさっておられました。私、ちょっとローグさまのことを見直しました」


 と、リーアは相変わらず失礼な物言いでローグさまをそう評した。


 が、注意するのも面倒なので聞き流すことにする。


 そして、そんな彼女の言葉は私と全くの同意見だった。


 少なくとも昨日までのローグさまはお世辞にも聡明な方とは言えなかった。


 何か不都合なことがあればすぐに癇癪を起こされたし、貴族の数少ない義務である魔術の鍛錬にもすぐに根を上げた。


 当主様もローグさまを甘やかされ叱りつけることもなかった。


 失礼な物言いなのは承知の上だが、ローグさまは絵に描いたようなどら息子だというのが私の評価だ。


 だが、今日のローグさまは違っておられた。


 真っ先に領民の生活を案じておられたし、街を自分の目で見たいとすらおっしゃられた。


 そんなローグさまの領民を知りたいというお言葉を裏切って良いのだろうか?


 ここでローグさまの気持ちを裏切って、ローグさまが領民たちの現状を知らぬまま領地をお継ぎになられてしまったら……。


「フリードさん、このことを当主様に――」

「いや、その必要はない」


 そう答えるとリーアは驚いたように目を丸くした。


「ローグさまが街をご覧になられたいとおっしゃっているのだ」


 自分でも信じられないことを口にしたと思う。


 だけど、私は自分の高揚感を押さえつけることができなかった。


 もしかしたら私の40年の執事としての人生で初めての冒険かもしれない。


 だけど、今日のローグさまの瞳は私にこのような無謀な冒険をさせるほどに真剣だった。


 もしかしたら何かが変わるかもしれない。


 そして、私はその変わった世界でアルデア家に仕えたいと思った。


 そんな私の気持ちが伝わったのだろうか、リーアは少し嬉しそうに「では出発の手配をいたします」とどこかへと駆けていった。


※ ※ ※


 それから1時間ほどしたところで出発の準備が整った。


 ダメ元でフリードにおねだりしたのだが、彼は父親に言いつけることなく手配を進めてくれたようだ。


 まあ、こんなことが父親の耳に入れば絶対に止められるだろうからな。


 フリードが物わかりのいい執事で助かった。


 堅苦しい人だと思っていたが、案外柔軟に対応してくれるようだ。


 ということで例の側仕えの野郎どもによって外向けの衣服へと着替えた俺だったが、着替え終え鏡を見たところで我が目を疑った。


「な、なんじゃこりゃ……」


 なんというか俺の着せられた洋服が町民に紛れるにはあまりにもド派手だったからだ。


 真っ黒いスラックスにフリフリの付いたワイシャツ、さらにはシンクのジャケットまで羽織わされ、どこからどう見ても貴族の格好だ。


 と、そこでタイミング良くフリードが寝室に入ってくる。


「ローグさま、屋敷前に馬車が到着しております」

「おい、フリード……この衣装はなんだ……」


 俺は引きつった笑みでフリードを見やった。


「ローグさまにふさわしい衣装を用意させましたが、ご不満でございますか?」

「俺は領民に紛れて街に向かうと言ったはずだが」

「ローグさま。ローグさまはアルデア家の跡継ぎにございます。次期当主様にはそれ相応のふさわしい格好というものがあります」

「いや、だけど、これだと俺の正体がバレバレだぞ」


 そう文句を言うがフリードは表情を変えない。


「ローグさまとバレて何か不都合なことでもございますか?」

「いや、それはさすがにマズいんじゃ……」


 そして、俺の前で跪くと俺と目線を合わせてこう言った。


「当主さまのおかげで領民が健やかに過ごしているのであれば、領民たちはきっとローグさまを歓迎してくださいます。ローグさまもそうおっしゃられましたよね?」


 そう言ってフリードは珍しくわずかに口角を上げる。


 そんな彼の言葉に俺は何も言い返すことができなかった。

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