第2話
案の定、僕の願いは簡単に砕け散った。それも最悪の状態で思い知らされることになった。
『ぁんっ!』
明らかに男だとわかる嬌声に息が止まった。「まさか」と思いながら玄関を振り返り、そこに孝也のものじゃない男物のスニーカーがあることに気がついた。いつも女の子の靴ばかり気にしていたから、薄暗かったとはいえ見落としてしまったんだ。
キッチンを兼ねている短い廊下をゆっくり歩き、震える手でドアを少しだけ開ける。孝也の上に乗っていたのは、同じ大学で同い年の男だった。
「薄々気づいてたのに、どうして見て見ぬ振りなんてしてたんだろ」
夜空を見ながら、目に浮かぶのはこれまでの二人の姿ばかりだ。
そう、僕みたいにからかわれる「かわいい」じゃなくて、本当にかわいいから「かわいい」と言われる木嶋瑠衣。そんな容姿だからか、孝也と付き合っているんじゃないかという噂がすぐに流れた。
「そりゃあ、お似合いだもんな」
性別なんて関係ないくらいお似合いに見えた。周りも性別なんて気にならないのか普通に羨ましがっていた。そんな二人を見ながら、僕の気持ちはどんどん暗くなっていった。
夜、寒くて真っ暗な部屋の布団の中で、孝也がスマホで見ていた木嶋瑠衣のSNSを見た。楽しそうな日常が伝わってくる文章や写真から、僕とは真逆の人生を送っている人だと思った。真っ暗な中でやたらと明るいスマホの画面が苦しくて、その日は小さく丸まって無理やり目を閉じることしかできなかった。
『だからやめとけって言っただろ』
真矢先輩の声が頭の中でこだまする。最後にそう言われたのは二月のまだ寒い日だった。言われたときに別れていればよかったんだといまならわかる。
「せっかく先輩が『自分を大事にしろ』とまで言ってくれたのにな」
心配そうな顔をしながら「自分を大事にしたほうがいい。いや、大事にしろよ」と言ってくれた真矢先輩の言葉に、「ほんとそうだよな」と苦笑いしながら満開の桜を見上げた。
こんなに真っ暗なのに、街頭に照らされた桜は「わたしを見て」と言っているように見えた。僕もこんなふうに綺麗だったら、もっと自信を持って孝也と向き合えたんだろうか。本当にかわいかったら、もっと素直になれたんだろうか。
そんなことを考えたけど「無理だな」とすぐに思い直した。
「親にだって気持ち悪がられてるのに、自信とか素直とか、無理に決まってる」
同性しか好きになれないのはどうしてだろうと思って母親に尋ねたのは小学生のときだ。そのとき母親はひどく驚いた顔をして、その夜話を聞いた父親は笑わなくなった。それから僕は少しずつ透明人間になっていった。
僕はここにいるのにどこにもいない。僕を見てくれる人も好きになってくれる人もいない。僕は同性を好きになることは恐ろしいことなんだと悟った。
小学校を卒業した僕は近所の中学校に通い、遠くの高校に行くためにたくさん勉強した。志望校の話をしたとき、両親は何も言わなかった。そうして高校に合格すると、何も言わずに書類を書いてお金を出してくれた。
僕は家を出て小さな下宿に住むことになった。これから新しい人生を送るんだと思い、同性しか好きになれないことは絶対に隠そうと固く誓った。
それなのに孝也を好きになってしまった。好きになって付き合って、こうして大学まで追いかけるほど夢中になった。
「でも、もう終わらせないと」
いろいろあったけど、僕にしては十分すぎるほど幸せな時間を過ごしたと思っている。孝也みたいな人と付き合うこともできたし、恋人みたいにキスしたり抱き合うこともできた。もう十分、一生分の幸せをもらった。きっといまが終わらせる最後のチャンスなんだ。
「それに、さすがにもう疲れたや」
孝也は「俺はバイじゃないよ? 男と付き合ったのは初めてだし」と言っていたけど、僕じゃなくてもよかったんだと思う。たまたま男同士に興味があって、そこに僕が現れたから付き合っただけなんだ。目の前に自分を好きだというオーラ全開の僕がいたから、手っ取り早く声をかけたに違いない。
「そうだよなぁ。僕なんかが付き合えただけで奇跡だよなぁ」
何だかおかしくなってきた。いまさらなことなのに、夜桜を見上げながらちょっとだけ笑ってしまう。
高校時代から、孝也の周りには僕みたいな野暮ったい人は一人もいなかった。もちろん大学でも孝也の周りにいるのはオシャレな人たちばかりで、そんな中に僕みたいな奴が混ざること自体おかしかったんだ。
それに、こんな痩せっぽっちの体は抱き心地も悪かっただろう。大学に入って初めてそういうことをシたけど、その後は数えるくらいしかシていない。きっと気持ちよくなかったからだ。
「……僕はどうだったかな」
最中のことを思い出そうとしたけどよくわからない。いつも受け入れることに必死で、気持ちいいかどうかなんて考えたこともなかった。
「もう、どうでもいいか」
孝也が僕を抱くことは二度とない。なんたってアイドルみたいにかわいい木嶋瑠衣がいるんだ。それに、僕のほうも孝也に縋りつけるほどの気力は残っていなかった。
「もう、頑張るのをやめてもいいよな」
「だから自分を大事にしろって言っただろ」
急に声が聞こえてきて飛び跳ねるくらい驚いた。日付が変わろうかという真っ暗な住宅街の小さな川沿いに人がいたなんてと振り返ると、そこには真矢先輩が立っていた。
「先輩」
「夕方、嬉しそうにスマホ見てるおまえを見かけたんだ。孝也から呼び出されたんだとすぐわかった。それなのにあいつ、別の男とマンションに入っていったから、またやりやがったなと思って探しに来た」
「やっぱりここにいたな」と言って手を差し伸べる先輩の姿に、我慢していた涙がぽろっとこぼれてしまった。
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