僕は嘘つき
朏猫(ミカヅキネコ)
第1話
桜の花びらが舞い散る中、僕はハァハァと息を切らしながら歩いていた。本当はまだ走りたかったけど、体力のない僕にはここが限界だ。
途中で止まってしまった低い身長に痩せっぽっちの体は運動に向いていない。筋肉なんてまったくないし、何なら女の子よりひ弱かもしれないくらいだ。二十歳になっても周りの女子大生からは「やだ、ちっちゃくてカワイイ」と言われて笑われる。
そう、かわいくないのに「カワイイ」と言われて
(別に、女の子に好かれたいなんて思わないからいいけどさ)
立ち止まって夜桜を見上げる。
今年は暖冬の影響だとかで早くに桜が咲いた。まだ五分咲きくらいの桜の下、周囲をコンクリートで固められた小さな川沿いのこの道を
(満開になったら、また一緒に見たいな)
そう思ったけど口にする勇気はなかった。そんなことを思うのは僕だけだってわかっていたから言えるはずもない。
「それでも、僕はずっと好きだったんだ」
高校で初めて孝也を見たとき、すごく格好いい先輩だなぁと思ってドキドキした。一つ年上の先輩だった孝也に一目惚れした瞬間だった。
僕は必死に自分の気持ちを隠そうとした。バレたら嫌われる、だから気づかれないようにしないといけない。そう思っていたのに、気がつくと孝也の姿を探していた。格好よくて笑顔も口調も優しくて、そんな姿をひと目見たくて目で追いかけたりもした。
そんなふうだったから気づかれてしまったに違いない。
「俺のこと好きなの?」
放課後、誰もいない校舎裏でそう言われたときは心臓が止まるかと思った。ううん、間違いなく止まったと思う。
バレた、バレてしまった。嫌われる、きっと気持ち悪がられる。どうしよう、どうしよう。パニックになった僕は何も言えず慌てふためいた。
(そうだ、逃げないと。「違います」って言って逃げないと)
そう思って顔を上げた僕に、孝也はなぜか「付き合ってもいいよ」と言った。僕は目を見開いて、やっぱり心臓が止まってしまった。
孝也は初めて僕を受け入れてくれた人だった。同性にしかときめかない僕のことを気持ち悪がったりすることもなく、何でもないことのように手を差し出した。高校の間、人目を気にしながらも孝也と付き合うことができたのは僕にとって衝撃的で幸せな出来事だった。
欲が出た僕は、大好きな孝也を追いかけて同じ大学に進学した。「先輩」と呼んでいたのも、大学に入ってからは「孝也」と呼ぶようになった。僕は下宿から一人暮らしになって、孝也も一人暮らしをしていた。僕たちを取り巻く環境は変わったけど、僕の気持ちは高校のときから変わらないままだった。
「孝也が僕だけと付き合ってるわけじゃないって、わかってたのに」
孝也は高校のときからすごくモテた。それこそ毎日違う女の子とイチャついているのを目にするくらいにはモテていた。
そんな孝也が僕に「付き合ってもいいよ」と言ってくれたのは奇跡だった。言われたときは舞い上がるくらい嬉しかった。
「ううん、僕はずっと舞い上がりっぱなしだったんだ」
だから見て見ぬ振りをした。気づかない振りをして孝也の側にいた。
僕に付き合ってもいいよと言った翌日、街で化粧をした綺麗な年上の女の人と腕を組んで歩いている孝也を見かけた。次の日には三年の女子と教室でキスしているのを見た。付き合っている人が何人もいるという話も聞いた。
ショックだったけど「そりゃそうだよね」と納得もした。だって、あんなに格好よくてモテまくっている孝也が男の僕とだけ付き合うはずがない。僕が綺麗でかわいい男だったらあり得たかもしれないけど、ただの平凡な男子だ。
僕は孝也の特別なんかじゃない。わかっていたのに離れることができなかった。
「だって、僕といるときは好きだよって言ってくれたんだ」
抱きしめてくれたしキスだってしてくれた。体育館の裏でしたキスは、僕のファーストキスだった。
『そんなこと、あいつにとっては日常茶飯事なんだよ』
眼鏡をくいっと上げながら僕を見る
『あいつはやめとけって言っただろ』
――うん。
『しんどくなるのはおまえのほうだぞ』
――わかってる。
『ほんとにわかってんのか?』
いつも僕を気にかけてくれていた真矢先輩の、呆れたような声が頭に浮かんでは消えていく。
真矢先輩は孝也の幼馴染みで、小さい頃からずっと一緒だったらしい。僕が孝也と付き合うようになってから、気がつけば真矢先輩とも親しく話すようになっていた。
そんな真矢先輩も孝也に負けないくらいのイケメンだった。生徒会で副会長をしていて、文武両道だからか先生からも人気があった。そういえば、他校でも人気者だったのに誰かと付き合っているという話は卒業するまで聞かなかった。「身近に悪い例がいるからな」なんて冗談で言っているんだと思っていたけど、もしかして本心だったのかもしれない。
『孝也が女を取っ替え引っ替えするのは病気みたいなもんだ』
そう言って呆れたように孝也を見ていた真矢先輩を思い出す。元気がない僕を見るたびに「あいつはやめとけ」とも言ってくれた。それなのに僕は首を振り「大丈夫です」と答えるばかりだった。
「真矢先輩、あんなに心配してくれてたのになぁ」
同じ大学に進学していた真矢先輩は、いまでも顔を見るたびに声をかけてくれる。それなのに、僕が聞く耳を持たなかったから今日みたいな結果になったに違いない。
「大学に入ってからのほうが噂はひどかったのにさ。いろいろわかってたのに……」
浮かれ気味だった入学式当日、孝也にたくさんのセフレがいるという噂を聞いた。予想していたことだったけど、噂は本当なんだとわかるたびにショックを受けた。
部屋に行ったら女の子とキスしていた、なんてシーンに何度も出くわした。僕を呼び出したことを忘れて女の子とシている最中に部屋に入ったこともある。
それでも僕は孝也の側にいることを選んだ。僕を遠ざけたりしない姿に喜んで、高校のときから変わらない態度に勝手に期待した。最初は目にするたびにショックだったことも、くり返すうちに慣れてしまった。
孝也の側に居続けたかった僕は入学式から二週間後、求められるままにすべてを差し出した。これで孝也の側にいられると何度も思った。
『このまま続けてたら、おまえ壊れるぞ』
去年の年末、久しぶりに食事に誘ってくれた真矢先輩にそう言われた。それでも笑って「平気」と答えたのは、孝也が初めて僕を受け入れてくれた人だからだ。そんな人を失うのは怖い。失うくらいなら不都合な部分に目を瞑ったほうがいい。
それに孝也にとって男の恋人は僕だけだ。だから大丈夫だと思っていた。
「そんなことを思うなんて、僕はとっくに壊れてたんだ」
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