私は誰?
今のアリスは、例えるならバッタにでも乗れそうな感じ。まあ、絶対に勘弁願いたい所だが。しかしアリス、意外にも落ち着いていた。この国の食べ物は食べたら大きくなるか小さくなるかのどちらかだから、きっとまたそのような食べ物がどこかにあるはずだと。
「このキノコもそのうちのどっちかだったりして。」
草むらをかき分けて現れたキノコも、もしかすると・・・。
「いやキノコでっか。」
(※キノコは大きくなく、アリスが小さいだけである?)
急に暗闇に覆われたと思いきやただの影。頭を上げると、大きな笠が・・・。形状は歯応え抜群のキノコ、エリンギにそっくりだ。少し離れてみてみると、赤色に白い斑点模様。そこはかとなく形は違うもののベニテングダケに非常に良く似たヤバめのキノコの方のそれだった。詳しくない者が簡単に手にとって食べていいものではない、そのひとつがキノコ。
「雨が降ったら雨宿りできそう。なんてね。」
食べるなんて馬鹿な真似はやめて、歩き疲れたアリスはキノコに背を預けひとやすみ。馬鹿なことを言って少し気を紛らわせたりして。その時、影が引きずる音と一緒に動いた。キノコの上には、なんと。
一言で言い表すなら、水タバコを器用に支えてくわえている水色をした巨大な芋虫がこちらを覗き込んでいた。
いやいやそんなありえない生き物がいるのか?
これが本当にいるんだから、目の前に。
「ヒュッ。」
風を切る音が息として漏れる。その恐怖は膝あたりに氷水をぶっかけられたように気味の悪い寒気として内側から凍てつく感覚として襲ってくる。巨大な虫なんて、虫が好きでもない限りあまりいいものではないのだろう。ましてやアリス。
「ぎぃやああああああッッッ!!!!!!」
虫が大の苦手であった。
「虫虫虫!でっかい虫!!悪夢かアホか馬鹿なの!?」
腹の底から絞り出した汚い絶叫がこだまする。そしてアリスは逃げ出した。芋虫はそんな速さで追ってはこない。彼女は恐怖から逃げている。しかしかな、ここで逃げて終わりでは済まないのがまさに不条理。
「ま゛あ゛あああぁぁぁッ!!!」
草むらの幕を開けたら先程の芋虫の顔面至近距離。もうこの際「どうやって移動したの?」とかはいい。近くにいたら離れる為に逃げる。
「ひいやああああああ!!!」
アリスが今走る理由はひとつだけ。
「うるさい!」
確かにやかましいアリスを叱り付ける声。聞いたことある声は白ウサギ。思わず急ブレーキを足にかけ立ち止まると、白ウサギがこちらへやってきた。アリスが涙目で訴える。
「仕方ないじゃん私虫が死ぬほど嫌いなんだもん!」
「じゃあいっそ死んでくれ。静かでいい。」
この白ウサギ。割と・・・かなり、毒を吐くウサギである。
「虫も死ぬのも嫌に決まってるでしょうが!」
その通り。死ぬほど嫌いなのだから死ぬのも嫌に決まっている。
「アリス、虫のくだりで尺使いすぎ。」
尺とか言われたくなかった。
「私は貴方の物言いが随分癪に障るけど。」
そこは無視されてしまった。
「この世界の虫はとても大きくて、言葉も喋るのね。」
「大きいのは僕たちがあまりにも小さいからそう見えるんだろうけど。」
「あれ?なんであなたまで小さいの?」
いつのまにか会話を続けていると、目と鼻の先のキノコの上に芋虫が這い上がってきた。嫌いだから仕方なく、咄嗟に白ウサギの背後に隠れて怯えた顔で様子を伺う。あれ?白ウサギ、今はアリスと同じく縮んでいるはずが人間の子供程度の大きさぐらいはあるぞ?
「お前、誰だ?」
芋虫は嗄れた老人の声で話しかけた。アリスは返答に困った。いつもなら答えるのに躊躇いなんてなかったのに。今の自分をどう「答えて」いいのかわからないときた。
「私は・・・えぇと、誰だと思います?」
「質問を質問で返す者がおるか!」
ぴしゃりと叱り付けられた。ならば正直に答えてやろう、と半ばムキになった。
「私の名前は×××。こいつを追いかけて穴に落ちて、ここに来る途中に今の姿になっていたの!それだけならまだいいわ、いや、よくないけどこの姿になった途端みんなが私をアリスって呼ぶわ。私ってなんなの?私だって私って言いたいわよ!」
隣にしらばっくれる白ウサギはさておき、今まで溜まっていた鬱憤を吐き出すように長々と捲し立てた。芋虫は水キセルを一度蒸した後。
「君はここに来て、自分が変わってしまったということだね?」
たずねたからアリスは不服そうに頷いた。
「それは姿形だけかね?」
「どういうこと?」
体が小さくなった事はアリスにとってもとてつもない変化なのに、彼の問いの意味が妙に心に突っ掛かる。
「何か忘れて思い出せない事があるのではないかね?」
「そんなのいっぱいありすぎて困りますわ。」
あくまで私生活においてのアリス、もとい女の忘れっぽさをなんとも嫌な笑顔で自嘲してみせた。が、芋虫が聞きたかったのはこれではなかった。アリスはうっかり地雷を踏んでしまったのかもしれない。
「前の自分を思い出してみろ。そうすれば、君は戻れるかもしれない。」
それが出来たらとっくにしているわ、とふつふつとやり場のない苛立ちをぐっと息と共に飲み込んで仕方なくアリスになる前の自分を思い返してみる。
「しかし、思い出したところでなに・・・。」
アリスは思い出す。アリスになる前の私を。
毎日生きる尸のようだった。生きるために頑張っているのに、生きている実感がまるでなくただひたすら色々なものを削り取られていくような感覚だけが意識を鮮明とさせた。
朝起きて、不安と疲れからくる吐き気と頭痛、動悸を連れて慌ただしく乗った地下鉄に荷物みたいにぎゅうぎゅう詰まれ、職場に着いたら鬱屈か、地獄。疲労困憊の自分はまた詰め込まれ、ギリギリの体力で家に着き、そこからその状態で何ができる?
「・・・・・・。」
何も映さない虚な瞳で遠くを眺める、明らかに様子のおかしいアリスを芋虫の咳ばらいで呼び醒ました。
「わしが間違えておった。思い出せない、のではなく。思い出したくないの大変大きな間違いであった。」
黙っていた白ウサギが口を挟む。
「思い出せないのは重大な事ですよ。」
二人の会話など心底どうでもよかった。
「そうだな・・・。例えば。」
またもや芋虫が何か言い始めた。心持少し声が軽やかにも聞こえた。
「お前さん、なにか詩を知っているかな。」
「詩・・・?」
突拍子もない問いに面食らう。だって、詩は私生活に馴染みがなかったものだし。
「そうだな、例えば・・・「ウィリアム父さん、年だよ。」という詩をそらんじてみよ。」
「ウィリアムだって!」
白ウサギがなぜ反応したかは置いといて、残念。アリスはその詩を知らなかった。
「ごめんなさい。覚えてないどころか、私その詩を知らないわ。」
しばし沈黙が流れ、今度はアリスが話を切り出した。
「「誰が駒鳥殺したの」なら、子供の頃なぜか必死になって覚えたの。それなら知ってるけど。」
「ならそれを暗唱したまえ。」
とはいったものの、子供の頃に覚えた知識のほとんどは大人になって使う必要のなくなったもの、ましてや詩、なんて。アリスは真剣な面持ちで唱えた。そして「どうかこの芋虫も覚えていませんように」と願って。
「誰が殺した 私を殺した。
それは俺だと 上司が言った。
俺の指示で 過剰なタスクで
俺が殺した ×××を殺した。
誰が見つけた 死骸を見つけた。
それは私と お隣が言った。
鍵の空いた ドア開いて。
私が見つけた 死骸を見つけた。
誰が取ったか その金を取ったか。
それは僕だと 同期が言った。
正しく言えば 奢らせただけ。
僕が取った その金取った。
誰が作るか 死装束を作るか。
そんなの誰も 作れるわけがない。
ひとまず業者 相談しよう。
費用は誰が 出すか話そう。
誰が掘るの。 墓穴を掘るの
それはまさに 今が墓穴よ・・・。」
「こんな酷い詩聞いた事ない!」
文句を垂れたのは芋虫だった。白ウサギは口を大きく開けはたからみればものすごい間抜けツラでアリスをガン見。
「あらそう?まあ、おかげさまで思い出せた事もいっぱいありましたわ。」
アリスは鼻で笑ってやった。彼がこの詩を知らなければ、たとえどんなでたらめにねじ曲げた詩であってもそれがその詩になるのだから。仮に知っていたとしたら、感想に説得力がある。
「なんならもうひとつ詩を唱えてもいいわよ?」
あんまり期待せずに待機する虫とウサギ。アリスはこれ以上にない清々しい表情で詩を唱えた。
「今日はお日様ご機嫌斜め。
そんな天気はどんな天気?
曇り空になんなら雨降り。
空が鳴いているみたいだね。
だけどなんで雨降りが
ご機嫌斜めというのだろう。
私たち、嬉しい時にも
涙を流したりするのにね。」
「さっきに比べたら中々いい!」
芋虫はとても短い手(?)で拍手をした。盛大な拍手を送っているはずがぺちぺちと可愛い音がやっと聞こえるぐらい。アリスはどこか自慢げだ。なぜならこの詩は今、そっこうで考えたオリジナルの詩なのだから。これなら相手が詩を知らないのは当然だ。間違いようもない、今考えたのだし。
「これはなんていう詩だね。」
「えーっと、そう・・・雨降りは空の涙?です。」
ところが最後に疑問符がついたことに変に勘付いた芋虫が尋ねた。
「ではアリス、もう一度その詩を言ってみてくれ。一言一句完璧に間違えずに。」
「えっ。」
アリスの顔が引きつる。時間をかけて、様々な場でお披露目するつもりで考えた詩ならまだしもその場しのぎでこしらえた詩なんて羅列した言葉を読み上げるだけで精一杯なのに。
「うろ覚えなのです。」
これまたそっこうで言い訳を考えた。どうなるものかと冷や冷やしたが。
「それならば仕方がない!」
なんとかなったみたいだ。
「さて、招かざるの客の相手をしたところでわしは帰るわ。」
ゆっくり背を向けた芋虫をアリスは慌てて引き留めた。
「ま、待って!」
そう。ただ芋虫に詩を聞かせに来たわけではないのだ。
「あのう。私、体が小さくなってしまって、元の大きさに戻りたいんです。なんかそういうのに詳しい方がここら辺にいるって、聞いたんですが・・・。」
「ああ、それなら。」
白ウサギが指差した先にはまさに芋虫。
「その大きさで何が嫌というのだね。じきに慣れるさ。」
だけどアリスは冷静に。
「あなたは縮んだりしたことありますか?私には私の大きさがあります。私はその大きさに戻りたいだけです。慣れたらいいという問題ではないし、戻らないと、「私が私じゃなくなります」」。
芋虫はしばらく考え込んだ後、水キセルを持った手を右手に、長い尾を左にくねらせた。
「あの赤いキノコをかじれば大きく、この青いキノコをかじれば小さくなる。あとはお互いをかじってうまい具合に調節してくれ。」
なんの意味があるか知らないが芋虫が水キセルをアリスめがけて蒸した。煙を顔の真正面から浴びて、手で払ってもしばらくの間まとわりついた。
「げっほげっほ!!なに!?何すんの!」
先程までは無臭だったのに、ひどくむせる甘ったるい香りだった。そんなこんなしているうちに芋虫は姿を消した。
呆然と立ち尽くすアリスと白ウサギ。
「思い出したくないことまで思い出した。」
魂の抜けたような顔と声でアリスが続けた。
「私の元彼もよくタバコを吸う人だったわ。」
「元彼?」
この世界では馴染みのない言葉らしい。
「元恋人のことよ。」
「あれをみて元恋人を思い出したってこと?」
あれ?なんだか嫌な予感が・・・。
「君の恋人、虫だったの!?」
アリスは真顔だ。刹那の間に物凄い量の思考が巡った。急に黙り込んでキノコを食べる。白ウサギはその沈黙を肯定とみなした。
「だから虫嫌いになったのか・・・。」
これはネタ?それともガチ?と心底疑いながらひたすら口に入れたキノコを咀嚼した。現在食べているのは大きくなる方のキノコだ。そう、相手に小さいくなるキノコを無理やり食わせるより自分が大きくなった方が手っ取り早い。
「ん?なんで大きくなるキノコを食べてるんだい?」
哀れな白ウサギ。これから自業自得の罰をその身で受けるなんて知りもしないで。
「ちょっ、待って待ってなんでなんで・・・はっ!そうか。大きいと移動が楽だもんね。」
だとしても・・・。
「んなわけあるかアホ。」
白ウサギを鷲掴み。丸めた紙屑をゴミ箱めがけてシュートする時みたいに軽々と捨て・・・投げ捨てる。美しい弧を描き、悲鳴と共に白ウサギは何処かへ行ってしまった。アリスもさっさと小さくなるキノコで大雑把な大きさに戻り、次の場所を探した。
遡行の国のアリス 時富まいむ @tktmmime
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