6月3週 「    」

「くぁ……」


「疲れた? 歩き回ったもんな」



 帰路につき、地下鉄で2人並んで立ちながら揺られている中。 眠そうに口を抑えながらあくびをする水瀬を気にかける春波。



「うん、それもあるけど昨日寝るの遅かったから」


「そっか、座れたらいいんだけどな」


「…………」



 他人事みたいに言ってますが、春波のせいなんだけど。



 それとも春波は緊張で寝れないなんてことは無かったんですか。 そうですか。



 そう口には出さず、水瀬は視線で訴えるが春波はそれに気づいた様子もなく電車内を見渡して席を探している。 自分の為に席を探しているんだろうけども、そういう所が。



 向かう時もだが春波は水瀬を隅へと行くように促し、自信が壁になるような立ち位置をとっていた。 それは人の目線から水瀬を守りたいのと、独占欲が少し。



 その気持ちを全部読み取れてるわけではないが、瀬を気遣った行動に気づく度に胸が水瀬は自分の中に思いが募っていくのが解った。



 やがて他線への乗り換えがある駅に着くと、多くの人が電車を降りる。



「空いたから水瀬は座るといいよ、ほら」


「何言ってるの、これだけ空いたなら一緒に座れるでしょ。 隣、ほーら」



 ポンポンと自分の隣を軽く叩き座るよう促され、春波はゆっくりと腰をおろした。 膝同士が接触する程の距離感に今日何度目かもわからないドキドキを感じた。



 座ることが出来、隣から伝わってくる温もりに水瀬の眠気が促される。 折角こうやって時間があるんだから、私が降りる駅に付く前にちゃんとしようと思っていた話をしないと。 今日ずっとしようと思ってなかなか切り出せなかった話を。



 その意志に反して、水瀬の意識はゆっくりと遠くなり、身体が春波の方へと傾いていった。



  ◇



 隣からかかる重みと、その身体の温もりを感じながら春波は今日の事を思い返していた。



 今日会った時、いや、誘う電話をしたあの時から水瀬の事が今まで以上に心の中から離れなかった。 見た目を改めて意識し、可愛いと思ったという事も勿論ある。 だがそれ以上に水瀬といる時間がやはり自分に取って失いたくないものなのだと自覚させられた。



 こうやって自分にかかる重みと温もりをどうしようもなく嬉しく思ってしまう。。



 こんな自分を受け入れてくれたこと。 1人ではないと言ってくれたこと。 そういった事も理由として言えるだろうが、結局は。



 僕は、水瀬に泣いてほしくないんだ。



 好きな所は山の様に浮かんでくる。 だが、春波の中心にあるのは出会った時のあの鮮やかに見えた涙だった。 何も見えなかった自分の中に色が戻ってきたようなあの瞬間。



 最初から今ほど好きだった訳では無いのは間違いない。 だが口ではあんな事を言っていたにも関わらず、もしかしたら。



 一目惚れに近かったのかもしれないだなんて、口にすることは出来なそうになかった



 そうやって考えているうちに、隣から直接伝わってくる熱に当てられて春波の意識も遠くなっていった。



  ◇



 目が覚めると、地下鉄を走っていた電車は接続している地上線へと移っており夕日が電車の中に差し込んでいる。 移り変わる景色が視界を流れているのをぼーっと眺めていたが次の駅に停まった時今自分たちがいる場所を理解した。



「水瀬、もうすぐ着くぞ、起きろ」


「んぁ……? ぅん……」



 水瀬が朧気ながらも意識を覚醒させる。 外の風景から今の自分の居場所を理解したのか一気に目が覚めたようだ。



「え、嘘、もうこんな所?」


「降りる準備だけしときな」


「うん……」



 水瀬は名残惜しそうに俯いている。 やがて水瀬が降りる駅につくと春波も合わせて立ち上がる。 水瀬は開いたドアから降りて振り向いた。



「じゃあ、今日は誘ってくれてありがとう。 ……また、明日ね」


「……僕も楽しかったよ。 またな」



 そう言うと、発車のベルが響いた。 ドアが閉まりはじめる直前。



 心残りがあるような水瀬の、見間違いかもしれない、泣きそうな顔が春波の目に入る。



 瞬間、春波の身体が自然と動き電車から降りていた。



 ドアが閉まり、電車が二人を置きざりにする。



「……え?」


「もう暗くなるから、良かったら送らせてくれ」



 自分でも衝動的な行動から咄嗟に出たその言葉に、泣きそうに思えていた水瀬の顔に喜色が浮かんだように見えた。



「もう降りてるじゃない。 いらないっていったらどうするの」


「それは、まあ、次の電車を待って帰るよ」



 クスクスと水瀬が楽しげな顔で春波を見た。



「じゃあ、お願いしようかな」



 そう返して、二人並んで改札を出る。



 水瀬の案内で、夕暮れの住宅街を並んで歩く。 出来る限り相手の近くにいたいのかふたりの間は殆ど空いていない。 会話も無いまま、ふと手が触れ合うとどちらからともなく手が繋がった。



 日が落ちていく中を相手に合わせるつもりで、今の時間を惜しむように出来る限りゆっくりと歩く。



 ふいに水瀬が握る手を強くし、永遠に続くと錯覚しかねない程の沈黙を破った。



「話したいことがね、あるんだけど」


「……どうした?」



 真剣なその面持ちに、春波の心が波打った。



「今日、解ってると思うんだけど春波と会う前にお母さんのお見舞い行ってたの。 毎週行ってるんだけどね。 それでね、もう来週には退院できるんだ」


「……良かったじゃないか。 無事快復して」



 春波はその言葉が意味することを痛いほど解ってしまった。 水瀬の大事な物が帰ってきて、もう自分がわざわざ水瀬の分まで弁当を用意する……いや、自分は必要が無いのだ。 祝福するべき事が春波の心を締め付ける。



「それでね真優良達もやっぱりお昼は私達と食べようって。 真優良の男性恐怖症も良い方向に向かいそうだから、って誘われてるの。 だけどね」


「水瀬」



 水瀬の言葉を遮るように彼女の名前を呼ぶ。



 解っていたことだ。 今のままがずっと続くことは無いと。 春波は両親を失った痛みを認め前向きになったつもりでいた。 だが、今日誘う時もだが自分の心の内を、どうしたいかは明確に言葉にすることは出来ていなかった。 それはいままで自分が抱えていた弱さを振り切れていない事の証明の様に。



 今のままではまた失ってしまう。 例えどう思われたとしても、相手に伝えないことには進めない。



 だから。



「今から言うことは、嫌だったら断ってくれても構わない。 だってもう、そうする理由なんてないんだから」


「春波……?」



 日が沈み、夜闇が迫る住宅街で立ち止まる。



「もう僕が弁当を作らなくてよくなっても、あの空き教室に来る理由が無くなったとしても。 昼は僕と一緒に過ごしてくれないか」



 握る手にぐっと力がこもる。 いや、手だけではなく身体が緊張で固まる。 だってこんな言葉をかけられて相手がどう思うかなんて考えたくはない。 断られたらもうこれ以上一緒にいることは絶対にできない。



 だけど、失わないためには進まなければならないと春波は自分の怯えを自覚しながら水瀬に伝える。



 少しの間沈黙の時間が流れたが、水瀬の表情がふにゃりと崩れる。 暖かさを抱えた笑顔は春波の怯えを包みこんだ。



「えへへ、おんなじこと考えてくれてたね」


「……え?」



 日が沈みかけた道の街灯が、一斉に点った。 僅かな明かりに照らされたまま2人は立ち止まったまま話し続ける。



「真優良達の提案はね、断ったの。 それにね、実は今日お母さんに春波にお弁当作ってもらってることも全部話しちゃった」


「え? ……えぇ!?」


「だから春波にはお母さんと今度会ってもらうし、ワガママ言うんだけどこれからも毎日じゃなく時々でいいから春波のお弁当が食べたいの」



 春波の心に、悲しみでも痛みでも怯えでもない暖かなものが満たされていくのを感じる。 ああ、目の前の少女は以前自分に言ってくれたように本当に自分をひとりにしない。 一緒にいてくれるんだと。



「だから、春波には引き続き迷惑をかけちゃうんだけど。 良いって言ってくれるんだったら」



 春波の目から一筋、喜びが溢れ流れると。



「これからもよろしくね?」




















「好きです」



 春波には、もう自分の想いを抑えることはできなくなっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る