6月3週 「こっちでいいだろ」

 二人並んで昼食を済まし、電車を乗り換えながら目的地へと揺られている。



 今日はそもそも明確にどこに行くかは春波は決めていなかった。 自分が普通じゃない距離の詰め方をしている、と思っていた事もありまず学校という範疇の外で一緒に過ごしてみたい、という考えがあった。



 実際にはそれも自分への言い訳でしかない、というのは春波は解りきっていたが。



 約束をした後水瀬から提案があり、終点まで辿り着いた先は。



「水族館なんていつぶりだろ……」


「ね。 私も小さい頃に来た記憶はあるけど」



 県内でも有数の水族館の前で軽くとりとめのない会話を交わす。 列に並びチケットを買い、中に入ると広い空間の中で雑多な人々が思い思いに、慌ただしくも楽しげな場を作っていた。



「流石に人が多いな……水瀬、あまり離れないようにな」


「う、うん」



 すぐ前の春波を見ながら水瀬は緊張気味に返事をする。 正確にはその視線は少し下の方を向いていた。 ここに来てから、いや正確にはここまで移動している間から水瀬の意識はずっとそちらに向いていた。



 このタイミングでなら、自然と手を繋げるかもしれない。



 今までも彼の手に触れたことはある。 一度目はそれほど意識せず、二度目は彼に寄り添えるようにとその手を取った。 春波がどんな心持ちで今日誘ってくれたのか。 自信がないままここまで来たが、それでも私から近づきたい。 何の気もないように、今までのように自然と手をとって仕舞えばいい。



 少し手を伸ばせば届くのだ。 それだけなのに、意識しただけでどうしてこんなに緊張してしまうのか。 水瀬は意を決して手を伸ばし……直前で迷ったのか春波の服の裾を左手でキュッと掴んだ。



 少し引っ張られたような違和感に春波が振り向き、焦る水瀬と目が合った。



「うぁ、あの、離れないようにって言うから、掴んでようかなって……」



 春波はそれを聞くとスッと視線を前に戻す。 水瀬からは相手の表情が伺いきれず不安が心の底から湧いてくる。



「新品の服が伸びるから離しなさいって」


「……ごめんなさい」


「離れないようにするって言うなら、」



 春波は、裾から離れた水瀬の手をそっと握った。



「こっちでいいだろ。 嫌じゃなければ、だけど」



 春波から手をとってくれた事実と、変わらず前を向いたままの春波の、その赤くなっている耳に気づいたとき水瀬の鼓動が速くなった。 喜びとともに、応えるように握り返すと春波の横へと距離を詰める。



「ううん、これで、これが良い。 ちゃんと離れない様に掴んでおいてね?」


「今こっちを見ないでくれると助かる……まあ、こんなガサガサな手で悪いけどさ」


「んー、でも前より全然良くなってるよ。 珠音さんに感謝しないと」


「……急に洗剤買って来て取り替えてったの、何かと思ったら水瀬が言ったのか」



 努めて冷静でいようとなんでもないような会話をしながら、それぞれ焦りを感じている。



 もう今既に、顔も繋いだ手からも火が出るかのような思いを抱えてまともに回れるのだろうか、と同じ事を考えながら。



 ◇



 そんな二人の想像とは裏腹に。



「え、人いるの解って目の前を泳いでる?」


「すごーい、可愛い……!」



 入ってすぐのアピールするかのように泳ぐイルカの水槽に気を引かれ。



「ここまで集まってると壮観……」


「綺麗だねぇ……」



 幻想的とも言えるマイワシの群れの動きに立ち止まり。



「………………タカアシガニって美味しいのかな」


「食いしん坊が出たな……」


「じゃあ春波は気にならないって言うの?」


「そう言われると、そりゃ気になるけどさぁ」


 深海コーナーでそんなよくあるような気安いやり取りをして。



「た、楽しい……!」


「すごい、春波今まで見たことない顔してる」



 思いっきり満喫していたのだった。 途中からスマホで写真を取るようになった春波は、今はウミガメの水槽で楽しげにシャッターチャンスを待っている。 写真を撮るためにあんなに悩んで繋げた手をあっさり離された時は恨み節も出るというものだが、撮り終わると水瀬に向かい照れくさそうに手を出してくるその仕草だけで水瀬は全て許せてしまいそうだった。



 そんな春波の横顔を水瀬は愛おしげに見ながら以前珠音が言っていた事を思い出す。 明るくて、素直で、よく笑う。 見たことのない顔、と言ったが今日見ることの出来た彼の姿はその姿に多少近いものだったのではないか。



 ふと思い立ち、水瀬も自身のスマホを取り出すと春波に気づかれないようにカメラを起動しシャッターを押す。 カシャ、となった音に気づいた春波が水瀬の方へと顔を向けた。



「……今何撮ったんだ?」


「え、カメに決まってるじゃない」


「ほー、じゃあその写真ちょっと見せてくれないか?」


「やーだー」



 笑みを浮かべながらじゃれ合うように水槽の前でそんなやりとりをする2人は、周りから自分たちがどう見えているかなどと考えているわけもなかった。



  ◇



 一通り周りきり、出口近くで売店を各々並んでいる商品を眺めている。 春波は、世話になっている叔父達の家にお菓子でもと適当に選び手に取ると、水瀬の姿を探す。



 すると、キーホルダーが並んでいるのをじっと見つめている姿を見つけた。



「何か欲しいのあるのか?」


「んーと……ねえ、よかったらなんだけど」



 水瀬は、並んでいる中の一角を指差しながら真面目な表情で言葉をかけた。



「このシリーズ、それぞれ何か買わない?」


「いいけど……なんで?」


「春波はどういうのが好きなのかなーって。 もう我慢しないんでしょ?」


「……なるほど」



 以前は、生活に必要な物以外、特に自身の趣向が出るようなものは手に取ることをやめていた。 それをやめようと、前を向くきっかけになってくれた水瀬にそう言われて春波に断る理由は無かった。



「じゃあ好きなの選ばせてもらおうかな」


「……よしっ」


「? 何か言った?」


「なにも? 私も選ぶー」



 小さなガッツポーズに気づかれ無かった水瀬は、喜びを胸の中にしまい込む。 言ったことは全て本心からの事だ。 意図せずお揃いとなったものはある。 だが、例え同じ物では無くても。



 を向いていると思える物を持ちたいと。 高まる気持ちのままに水瀬はどんどんと進んで行った。



  ◇



「はい、水瀬の分。 しかし思いっきり満喫してしまった……」


「いい事じゃない?」


「そうなんだけど、そうじゃなくってさぁ……」


「あまり気にしないの、私も楽しかったよ?」



 休み無しで歩き回っていた2人は水族館すぐ近くのショッピングモール横のベンチで一度休もうと移動してきていた。 春波は想像以上にはしゃいでいる自分を反省しながらも心地よい疲労感に包まれている。



 おやつとしてショッピングモールにあったたい焼き屋でそれぞれ選んで物を春波が持って水瀬に渡しながら、拳一つ無いほどの距離で隣へと座る。



「それならまぁ、いいけど。 せっかくこうして一緒にいるんだから僕だけ楽しくなったらダメだろ」


「自分がまず楽しまないと、じゃない? 気にしすぎよ」


「かなぁ……。 あ、思ってたより美味いな」



 春波達が寄った店は所謂普通のたい焼きが無く、小倉バターのような少し捻ったものやオムレツ等のおかず系の物など色々なバリエーションがある所だった。



 春波は、照り焼きハンバーグたい焼きを一口食べぽろりと言葉を漏らす。



「甘くないたい焼きなんてどうかと思いつつ買っちゃったけど全然いけるな。 ただおやつって考えたら甘いほうが良かったかも」


「気になる、一口ちょうだい?」


「解った、ちょっと待っ……」


「あー」



 自身のたい焼きを一口、口にしてないところから分けようとした春波は、水瀬が間の抜けた様な声を出しながら口を開き、期待するような顔で待ち構えているのを見て動きを止めた。



 その仕草に体温が一気に上がるのを感じたが、水瀬の身体もどこか恥ずかしそうに震えているのを解ると、諦めたように自身の手の物をそのまま差し出した。



「……どうぞ」


「ん」



 短い音と共に、勢いに任せ気にせずに噛み付いた。 水瀬の顔がどんどんと赤くなっていくのを見届ける。



「ううううん、お、美味しい、ね?」


「そんな照れるならやるなよ……」


「う、うっさい、ほら、こっちも美味しんだから! はい、あ、あーん……」



 自身の羞恥心を共有するように、水瀬も自分のイチゴカスタードのたい焼きを、自分が口にしたところを向け差し出してくる。 有無を言わさぬ空気に負け、春波は恐る恐る顔を出し、口に含んだ。



「う、美味いんじゃないでしょうか」


「なんでそんな自信なさげなの」


「そりゃだってさぁ」



 いっぱいいっぱいで味なんてしない。 それはお互い様の筈だ。 間接的に唇の熱を共有した2人はまるでショートしたように揃って動きを止めた。



 空気を仕切り直すように春波がわざとらしく咳払いをすると水瀬もゆっくりと再び動き出した。



「しかし、水族館楽しかったな……。 地元にも今住んでる所の近くにも無いからなかなか機会無かったんだけど、また別の所にも行きたくなってくるな」


「私今度はカワウソ見たいな。 県外になっちゃうんだけどこことか」


「ここより遠いけど確かに気になるな。 へぇ、淡水水族館……」



 水瀬がスマホで調べた情報を見せるために体を寄せ、情報を共有しながら明言はしないものの、当然の様にまた同じ相手と一緒に行くのだと信じて疑わない様子で話し続けるのだった。

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