6月3週 「……ずりぃー。 断れるかこんなん」
約束の当日である日曜日の午前、昼前の時間に水瀬は父親とともに病院へと足を運ぶ。
毎週日曜日の母親へのお見舞いだが、今日はワガママを言って普段は午後から来ている所を午前中に時間をずらして来ていた。 父親が売店に行っていない時に、病室で面会証を下げた水瀬に母親である
「で、その気合の入った格好はなんなのみなせちゃーん?」
「気合入っているように見える? ……変じゃないよね?」
「あ~~~~~~私の娘が世界一可愛い」
「ちょっとお母さん」
伸びた髪を低い位置でゆるく縛った髪を揺らしながら静香はテンション高く、しかし周りに気を使って騒ぎすぎないように水瀬を見る。
「一時期あんなに落ち込んでて心配だったけど最近は楽しそうでお母さん嬉しいわ」
「……隠してたつもりだけどそんなに解りやすかった?」
「親を舐めないの。 ちょっとの変化だって私も、何も言わないかも知れないけどお父さんだってきっと解ってるよ」
その温かな言葉に、自分はもう失うかもしれないと怯えることは無くなったんだなと過ごしてきた時間を思い出す。 そして、その後に思い浮かんできたのはこの後会うことになる少年の顔だった。
「それで、この後は彼氏とデート?」
「にゃっ、かっ、彼氏じゃないよ、まだ……」
「まだ! まだですって!! いい感じなんだぁ~~〜~~!!はぁ〜〜〜〜〜私の娘栄養満点すぎるなぁ〜〜〜〜〜~〜~!!」
「も、もう! からかわないでってば!」
どんどんとテンションが上がる静香に思わず出した言葉が病室中に響いた。 瞬間、自分が場にそぐわない事をしたと気づいた水瀬が口を抑えた。
一時の静寂が場を包む。 カーテンで仕切られた向こう側からは特に大きな反応は無さそうだ。 静香は人差し指を口元に当て、しーと子供をあやすように息を漏らすした。
「水瀬には散々心配かけちゃったからね。 来週には私も退院なんだしこっちは気にせず好きなようにしていいんだよ」
その言葉に、水瀬の心に冷たいものが一粒落ちた。 母が元気になり、家に帰ってくる事は1番望んでいた事だ。
しかしそれにより春波と関わる形が変わってしまうかもしれないと言う事が怖い。
そう、だから 。
「お母さん」
「なーに」
静香は意を決したかのように自分を見る水瀬の言葉に落ち着いた様子を見せる。 水瀬は例え何を言ってももきっと受け入れてくれるだろうと安心感に包まれ口を開いた。
「話しておきたい事があるの」
◇
正午に差し掛かる少し前。 春波は午前中にあらかじめ連絡しておいた、毎月行っている美容院へと顔を出し髪を整えてもらってから目的の駅へと電車に揺られている。
この美容院も叔父に紹介された場所で初めて行ったときから担当してくれている男性の美容師はやはりというか、叔父と旧知の仲らしくこちらの事情を聞いているのか今までは話しかけてくる頻度は少なめだった。
そんな相手に、唐突に男子が髪のセットのお願いをしたからにはある程度イジられるかな、と構えていたが真面目に、整えるためのカットから手慣れた様子でしっかりとセットをしてくれた。 料金を尋ねると今度土産話をしてくれれば、軽く笑いながら受け取らず見送られた。
自分が腐ってる間にも、静かに見守ってくれていたであろう人達がこうしていてくれているという事実に慙愧の念が湧きあがる。 もう遅いかもしれないが今からでも報いなければ、と使命感のようなものも春波に生まれていた。
そうして友人達に選んで貰った、という借り物の勇気に袖を通した春波は待ち合わせ場所の駅で降りる。
春波達が通う高校の最寄駅からおよそ40分ほどかかる、距離の離れた駅を待ち合わせ場所にしていた。 指定してきたのは水瀬であり、今回の目的地に向かう途中の場所でその駅の周辺を調べると何故地元ではなくそこを指定したのかの理由は読みとることが出来た。
待ち合わせ時間より少し早く到着した春波はまだ水瀬がその場にいない事を確かめるとぶらりと歩き始める。 宛の無いようで、しかし行き先は決まっている。 少し歩くと大きな大学病院の入り口に差し掛かった。
病院の方へ目を向けると、ちょうど中から出てくる水瀬と目が合った。
「……あれ、ごめん待たせちゃった?」
「いや、今さっき着いたばかりだから大丈夫だよ。 僕が勝手にここまで歩いただけ」
「そっか、良かった。 とりあえず駅まで行きましょう」
そう言って春波が今歩いてきた道を二人で歩き出した。水瀬は、なにか言いたい様な、はたまた何かを待っている様な表情で春波を横目で見ながら歩いている。
春波はそんな水瀬の様子に、恥ずかしくとも言わねばならないと口を開いた。
「あー……水瀬、今日の服装、良く似合ってるよ」
今までは制服しか見たこと無かった春波の目には、私服姿の水瀬はより一層魅力的に映った。 ウエストで絞られた淡い水色のワンピースを纏い、普段は降ろした髪をポニーテールで纏めたその姿は、出来るのであれば常に視界に収めておきたい、とまでは言えなかったが。
……今までは気にしてこなかったスタイルの良さを改めて意識してしまい、少ししどろもどろになってしまったのはしょうがない事だろう。
「ホント? お世辞とかじゃなく?」
「水瀬にはそもそもお世辞なんて必要ないくらいいつも可愛いだろ。 というかその色……」
「だっ、ちょっ……ねえ、一昨日もだけど急にどうしちゃったのそんな事今まで言う感じじゃなかったじゃない」
「ん、まあ、今までずっと言いたい事とか、好きな事を我慢してたからさ。 ある程度思ってる事とかを素直に言っていこうかなって。 まあ解りきってることくらいはね」
「……へぇぇ?」
浮かれていた水瀬の口からあからさまな不満の声が漏れた。 こちとら悩みに悩んで、空達に「あざとくいけ、きっとこういうのも好みの範疇の筈」と強く押されてワンピースを、春波が水瀬の様だと言ってくれたのと同じような色合いの物を着てきたのだ。
それを、客観的事実の確認のような褒められ方をしたらたまったものではない。
「春波、そんな言い方じゃなくてちゃんと、あなたがどう思ってるか聞かせなさい」
「……ごめん。 こういった事にはあまり慣れてないから……本当に今まで見た中で一番可愛いと思ってるよ。 ……自惚れじゃなければ、その色をわざわざ選んでくれた事も嬉しい」
「……………………よろしい。 春波だって、その、凄いちゃんとしてるじゃないの」
噛み締めるように春波の言葉を聞き届けた後、自分ばかりこんなふわふわした思いをさせられてはいけないと弱々しくも反撃に出る。
「そりゃあ、水瀬の横を歩くとなったら少しでもちゃんとしとかないと。 今日は上から下まで殆ど人に頼ってるけどさ」
春波が短い前髪を軽く触りながら気恥ずかしそうな様子を見せる。
「なんか、まーた変な方向で気合い入れてない……? こうやって一緒に歩くのも別に初めてってわけじゃないでしょう」
「そうかもしれないけど、それと今日はまた意味合いが違うと言うか」
「そ、そっか。 ……その、似合ってるし、ちゃんと、か、っこいー、よ」
顔を赤くして、しかし相手をしっかり見ながらの言葉に、今度は春波の鼓動が早くなる。
「う……まあ、整えてきた成果は出たということで。 それより昼飯どうするつもりなんだ? 言われた通り食べてないけど」
「誤魔化した……えっとね、そこが良いんだけど」
歩いてき丁度駅前まで戻ってきたタイミングで、水瀬は指差す。 するとそこは、
「ラーメン屋かよ。 その格好で……」
「格好なんて関係ないでしょ。 だっていつも前を車で通るだけでずっと気になってたんだもん……! 一人で入るのは嫌だったし……春波と一緒に食べたいんだけど、ダメ?」
「……ずりぃー。 断れるかこんなん」
ぼそりと呟いた本心は水瀬には聞こえなかったらしく不安そうな表情のまま春波を見ている。
「いいよ、とりあえず並ぼう。 何食うかなぁ」
「えへへ、ありがと。 私はもう決まってるんだ〜」
そう言ってふにゃりとした笑顔を見せる水瀬に、春波は満たされるような気持ちと、この笑顔を自分だけに向けて欲しいと微かながら確かに思っていた。
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