6月2週 「ん、それは何より」

 それぞれの時間が過ぎ、未だスッキリとしない空模様の金曜日。



 体はすっかり軽くなり、無事に学校へと出てきた春波。 教室に入った際にわかに中にいたクラスメイトからの視線が集まるのを感じる。



 そういえばそもそも教室内で意識を飛ばして倒れかけた、という状況だったはずなのでそれもしょうがないか、と気にせず自分の席にたどり着く。



 そうして席に着くやいなや八雲がそそくさと声をかけてきた。



「深海くんおはよう! 昨日よりも顔色は良いかな?」


「おはよう三城。 そんな変わらないだろ」


「いやいや、今までよりもよりいっそう眩しく見えるね」


「適当な事を……」



 そう返しながらももしかしたら実際そうかもしれない、と朧げに思う。 今までは自分の感情を押さえつけ周りの人への対応も冷たくしていた。 しかし、水瀬の前でみっともなく感情を吐き出し、現状を受け入れた結果もう以前のような態度でいようとも考えていなかった。



 そんな中、不意に右隣から声をかけられた。



「……あの、大丈夫だったの」


「えっ?」



 声の方を向くと、気だるげな声をかけた当人であろう少女が2人の方を少し不安げな表情で見ていた。



「いや、目の前で倒れられてすごいビビらされたからさ」


「ああ、それについてはびっくりさせて申し訳ない。 もうすっかり大丈夫だから、えぇーっと……」



 驚いた表情を浮かべた少女をよそにそこで春波の言葉が詰まった。 気まずそうに、上を向きながら必死で何かを思い出そうと手を泳がせている。



「もしかして、私の名前が解らないって言わないよね」


「あー……」


「ごめんなさいその通りです……」


「……正直さぁ、今もまともな返答が返ってきただけでもびっくりなんだけどさ。 今まで誰とも話そうともしないし、声かけられても超塩対応だったし。 それでも流石に隣の席の人間の名前くらいは把握してると思ってたんだけど」


「しょうがないよ佐山ちゃん、深海くん俺のこともまともに知らなかったんだし」


「三城も前と同じグループで絡んでたら今声かけなかったよ。 声のデカい奴らから離れて前よりマシになったかなとは思うけど」


「……耳が痛い」


「僕も……」



 自分たちの至らなかった部分をグサグサ刺されダメージを受ける春波たち。 そんな2人の様子を見て佐山と呼ばれた少女ははクスリと笑みを浮かべた。



「深海、ホント変わったね。 そんな普通のリアクションできるなんて知らなかったわ」


「それに関しては僕の未熟さのせいだからね。 特に言い訳は無いよ」


「未熟って自分で使う? ……まあ元気になったようで何より。 佐山さやま 灯理あかりね」


「佐山さん、いらない心配させて悪いね。 わざわざありがとう」



 心配してさせた申し訳なさと共にありがたさを感じた春波の表情が綻ぶ。 それは今まで見せていた春波とは全く違う温かさ、隙のあるような微笑みだった。



「ゔ……」



 それを見た灯理あかりから低調ながらも声にならない声がもれる。 その頬は少し紅潮しているように見えた。



「……ん?」


「な、なんでもないようならそれでいいよほらもうSHR始まるよ三城も席戻りなホラさっさと戻る」


「あれ、もうそんな時間」



 誤魔化すように捲し立てられその場が流れる。



「……んん〜〜〜〜?」



 灯理あかりのその様子をしっかりと見ていた八雲は半分確信めいた疑問を、一先ず自分の中にしまい込むことを決めた。



  ◇



 八雲のノートも助けになり午前中の授業を問題なくこなした春波は2日ぶりに空き教室へと顔を出した。 基本的にはいつも春波の方が先に来ており、この日もそれが覆ることは無かった事にホッと息が漏れる。



 メッセージでのやり取りはしているし時間もある程度置けた。 しかし、そわそわとした気持ちを落ち着けることはできなかった。



 気持ちとしては会いたいという気持ちと、会ってしまったらどうなるんだという気持ちの両方を持っている状態では心の準備をする時間があることの方がありがたいようだ。 その心の準備が終わることはなさそうではあるのだが。



「……なるようになれだ」



 ポツリと漏らすと弁当の準備を始める。 生徒の声も聞こえて来ない空き教室で行ってきた事を同じように繰り返す。



 準備を終え一息、腰を落ち着ける。 スマホを取り出すと少し遅くなるというメッセージが水瀬から来ていることに気づく。 移動教室のタイミングはなんとなくだが把握しているが今日はそんなことはないよな、と思い少し心配の気持ちが湧き上がる。



 何かまためんどうな事になっていないかと考えた矢先にドアを開ける春波の耳に音が聞こえてきた。 無事に来れたらしい、と振り向きざまに声をかけられた。



「…………来た、よ。 ちゃんと元気?」


「おう、遅かったけどなに、か、あっ……」



 振り向いて水瀬の姿が目に入った瞬間、春波の体が固まっていった。



 何故なら、水瀬の髪が先日八雲に聞かれ一つ選んだ髪型……ハーフアップに仕立てられていたからだ。



 いつもは食事の際にシュシュで髪をまとめるくらいしかしているのを見たことが無かった。 普段は見ない姿なことに加え、選ばされたとはいえ自身の趣向にあった姿に目を奪われ動けなくなっていた。



「……」


「……ねぇ、黙るのやめてくれる?」


「ぅあ、ごめん。 えっと、その髪は……?」


「これね、昼になったら空……友達が私の髪いじりたいってやってくれたんだけど……変、かな」



 昨日の八雲が脈絡なく聞いてきたのはこれのせいか? 水瀬の友人から無理矢理押されての事だったようだがそもそも何故そんな事をと頭の中を一瞬で駆け巡るも目の前の、少し不安そうな水瀬の表情にそれらが吹き飛ぶ。



「いや変じゃない。 可愛い。 正直まっすぐに見れないくらい可愛い」


「……………………にっ!?」



 思わず春波の口から正直な気持ちが出る。 恥ずかしさはあるものの素直な気持ちであり自身の好意を認めた今そう口にしても自然な気持ちでいる事ができた。



 一方、鳴き声のような物が漏れている水瀬の方はそれはもう心が乱されまくりだった。



 昨日友人達ときゃいきゃいと相談をし、普段と印象変えるため、とここに来る前に空に髪をいじられた。



 それが功を奏したのか今まで自分の容姿については春波から言及されたことは無かった筈だ。 まさか、まさか急になんの誤魔化しもなく可愛いなんて言われた事に水瀬の心臓が早打った。



 今まで色んな人間から散々言われてきて、辟易としてさえいたはずの言葉なのに、好きな相手に言われるだけでこんなになってしまうなんて。



「う、ぁ、あ、りがと。 遅れちゃったから早く食べましょう」



 自分の赤く染まっているであろう顔も構わずに小走りで座り、弁当に視線を落とす。 だからか春波も同じように顔が赤くなっているのに気づかなかった。



「昨日は叔母さんに飯任せてたから弁当は朝に有り物で適当にやったやつだから」



 そう言った春波が広げていたのはおにぎりにウィンナー、玉子焼きが容器別で2個に味噌汁。



「なんか、シンプルというか素朴な感じ」


「しょうがない、なんの準備もしてなかったんだから。 玉子焼きは出汁巻きと甘いのと作ったから好きな方食べな」


「また変な所で手間かけて……両方半分づつ食べるから、いただきます」


「いただきます」



 水瀬は平常心を取り戻しながら、箸をだし巻き卵に伸ばし口に含む。



「んふふ、美味しい」



 そう口に出し、春波の顔を……その目を見た。



「ん、それは何より」



 そう言葉にする穏やかな表情に、水瀬を見ているその瞳に、今までと違う熱を感じた気がしていた。



(あ、れ?)



 自分が都合よく感じているだけだろうか。 判断が出来ない。 でも、それは



当の春波本人はこちらのそんな様子を気にせずに自身も食べながらうん、美味いなどとなんの気も無さそうに呟いている。



“下心あったほうがまだ理解できるわ“



 昨日の空の言葉がふと頭の中に響き渡る。



(ある、の?)



 平常心を取り戻した筈の心臓が再び早くなっていくのを感じる。 春波の方に目を向けられない。 あ、甘い方の玉子焼きも美味しい。 じゃなくて。



 そうして視線を落としたまま食事をする様子に春波は不安げな様子を見せた。 もしかしたら自分の風邪、と思われるものが感染うつっているのではないか。



「水瀬、調子悪い?」


「ちが、違う、そんなんじゃないの。 全部美味しいよ」



 そうしたまま食事が終わる。 水瀬は自分がいっぱいいっぱいになっていっている自覚があったため普段は時間が許す限りこの場所にいるのだが今日は一先ず空達の元に戻ろうかと考えていた。 このままここにいたら気持ちを抑えられる自信が無い。



 その時、片付けをしている春波の耳に階段を昇る足音が聞こえてきた。 不定期ではあるが見回りの教師が来るときがあり、その時は普段は声を潜めていた。



「今日はもう戻るね、また来週!」



 そんな時、水瀬が急いだ様子で教室を出ようとする。 マズい。 このまま水瀬が出ていくと勝手にここを使っているのがバレてしまう。



「水瀬、ストップ!」


「ひゃっ!?」



 春波は壊れたドアに手をかけようとしていた水瀬の手を掴み、焦りと共に強く引き寄せる。 勢いに任せたその行動により、二人の身体の距離は接触間近まで近づくことになった。



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