6月2週 「泣き疲れて寝るとか、子供そのものだな」

 目を開いた春波の視界に入ってきた水瀬の顔に照れくささと、自覚した気持ちから言いようのない気持ちを覚えながらも視線をそらし、今の状況を確認する。 そこは間違いなく自分が今住んでいるマンションの自室だった。



「何でここにいる……」


「お見舞いに来たの。 弁当箱は洗っておいたから」


「どうやってここに入ったんだよ…」


「春波の叔父さんに頼んで入れてもらったの。 あ、叔父さんはリビングに居るから」



 暗に出ていけなんて言うな、という意味を含めて答える。



 昼に陣汰と出会ったときにしたお願いの結果今の状況だ。 ただ何を特别しようという訳では無いが、心配だった。 話をしたかった。 そんな自分のワガママだが、何もしないままでいることは出来なかった。



 一方春波は与えられた情報にただただ混乱している。 いつの間に叔父さんに会ってたのか、弁当箱洗ったけど二人分あった筈では、等聞きたい事はあったが熱を持った頭では考える事もただただだるい。



 春波は右腕で目元を隠し視界を塞いだ。 このままずっと見続けられるのはあらゆる意味で耐えられない。



 水瀬はベッドに腰を掛け横向きで春波の様子を窺っている。



「あのさ、水瀬」


「なに?」


「ごめん」


「……今日は理由も分からず謝られてばっかだなぁ。 またどうしたの」



 春波は夢で過去の事を見たから今の自分の事を見つめ直す事ができ、気持ちの整理が出来たのか。



「もしかしたら解ってると思うけど、僕の親はもう亡くなってていないんだ」



 今までは話そうとしなかった、自分が目を逸らそうとしていた事を話し出す。



「……うん。 そうなのかなと思ってたし、珠音さんからこの前聞いてたの。 勝手に聞いてこちらこそごめんなさい」


「ああ、いいよ。 僕はさ、ずっとその事を受け入れられなかったんだ。 頭では解ってるつもりでずっと事実を……僕の家族がいないという、もう僕が一人ぼっちだって事を真正面から受け入れられなかった」


「……」



 目元を隠しながら話す春波を水瀬は見守っている。 春波の中の抑えていた悲しみがその口から溢れ出してくる。



「だから1人でいたかった。 誰にも関わらなければ悲しむことも無いなんていう、本当に幼稚な理屈で自分を誤魔化してたんだけど……水瀬に出会って、そんな自分を保てなくなった」



 水瀬は口を開かなかったが、すこしもぞりと落ち着かない様子を見せる。



「色々と言ったけど結局は僕は寂しかったんだ。 1人でいるのに耐えきれなくて、水瀬と一緒にいると寂しさが……自分の中の欠けたものが埋まったように感じた。 僕の都合で、自分ために今まで水瀬を振り回してたんだ。 だから、ごめん」



 そして、春波は自分の恋心を見つめ直す。 水瀬には好きにならないから安心しろと言った以上、自分はもう一緒にいてはダメだ。



 しかし、春波が打ち明けた言葉を聞いた水瀬は。



 欠けたもの。 その言葉に水瀬の視界が明確になった。 ああ、そっか。



「こんなヤツにわざわざもう」


「あのね、春波」



 初めてお弁当を分けてもらった時の事。 どうして泣いてしまったのか。



「私のお母さんが入院してるって話はしたでしょ。 実はお母さん手術をしててね。 手術自体はいいんだけど、終わった後どうなるか分からなくてもしかしたら、って話をされてて」



 春波が感じているものよりかは遥かに軽いのかもしれない。



「今まで大好きだったお母さんも、お母さんが作ってくれるご飯も全部失ってしまうと思ったら怖かった。 そんな時に訳の分からない噂が広まってどうしても受け流す余裕が無くて。 ……あの時はありがとうね」


「いや、それは」


「それで、お弁当を分けてくれたじゃない。 ありがたくて、美味しくて。 でも私は美味しかったって伝えた時春波が嬉しそうに口元が緩んだのを見たから、涙が流れたんだなって今わかった」


「……」


「私は、お母さんのご飯を食べて、美味しかったって伝えたときの嬉しそうな顔が、伝えて喜んでくれるのが好きだったんだって。 あの時私が失くすかと思っていた、私の中の欠けたものが埋まったんだって」



 でも、結局私達はお互い同じように、欠けたものを求めあっていたんだ。



「私も春波と同じなの。 私が勝手に満たされるためだったんだから。 だからね、」



 水瀬は春波の目を隠している右手をとり、自身の膝下へと持っていく。 手の熱が伝わってくるのを感じながら隠されていた表情を見ると、 そこには水瀬に伝わってきた通りの怯えを感じさせる瞳があった。



「これからも、許してくれるなら、また一緒にご飯を食べましょう?」


「なんだよそれ……」


「イヤ、かな」


「その聞き方はズルいだろ……嫌じゃないよ」


「えへへ、そっか」



 自分が相手に迷惑をかけてしまったという事を、お互い様だと。 その上でまた一緒にいたいのだと。 その言葉を拒絶できなかった。 水瀬が自分の右手を掴む強さが無意識に強くなっている事を感じる。



 春波の想いを知ったら裏切られたと思うかもしれない。 傷つけるかもしれない。 だがそんな考えを押しつぶすほどに水瀬と一緒にいる時間が大きいものになっている。



「春波はさ、自分が1人だってさっき言ったけどそうじゃないよね」


「……え?」


「だって叔父さんも叔母さんもすごい春波の事を気にかけてるじゃない。 まだちゃんとは知らないけどいとこの子とも仲が良かったんでしょ? 三城くんだって友達がいないって言ってたあなたがわざわざお願いをするほど頼ってもいいと思ってるんだろうし。 それに……」



 そこで言葉を止められて、不思議に思った春波は水瀬へと顔を向ける。 カーテンの閉められた部屋では暗さでしっかりとは見えなかったが、こちらに向けられたその表情に、その目に、例え勘違いでも釘付けになる。




「わ、私だっているんだから」




「……そんなに照れるなら言わなきゃ良いのに」


「待ってちょっとしばらくこっち見ないで」



 たとえ暗くてもわかるくらいに赤くなった顔を見られまいと顔を逸らす水瀬に、春波自身もそのまっすぐな好意ともとれるものを受け、茶化す方向での照れ隠しの言葉が出てしまう。



 そのある種無防備な姿を見たからだろうか。 それとも、水瀬が一緒にいてくれると言ってくれたからだろうか。



「水瀬」


「な、なんでしょうか」


「今からみっともないことを言うけど出来れば聞いて欲しい」


「……うん。 私でよければ」



 相手に寄りかかるように。 あの日から誰にも言うことが出来なかった、言ってもどうにもならない自分の気持ちを打ち明ける。



「父さんとまた一緒に買い物に行きたい」


「母さんが絵を描いている姿を横でみていたい」


「2人が僕の作った弁当に美味しいかったって笑ってくれる姿が見たい」


「父さんと母さんにもう会えないなんて————寂しい、つらいよ、なんで、どうして死ななきゃならなかったんだよ!」


「僕は、僕は、ただ、ただ一緒にいたかった……!!」



 理不尽な死をずっと飲み込むことが出来なかった。



 途中から涙を流しながら叫ぶように思いを溢れさせるその姿を、水瀬は噛み締めるように、目を逸らさず受け止めている。 元々不調なこともあってか少し息が上がっているまま、少し落ち着いた様子を見せた。



「ああ、くそ、ダサいな僕は」


「何言ってるの、寂しいも辛いも抱いて当然じゃない。 泣きたい時は思いっきり泣けばいいの」


「恥ずかしいからあんま見ないでくれると助かるんだけど……」


「……いや、よく考えたら私ばっかり泣いてるところ見られてるからもうちょっとしっかり見とこうかな」


「おい……」


「あはは、冗談冗談。 はいタオル」



 そう言って渡されたタオルを左手で受け取るとそのまま顔を隠すように目元を抑える。 そこからしばらくの間、くぐもった泣き声が部屋の中に消えていった。



  ◇



 次に気がついた時には、春波の部屋の中にはもう誰もいなくなっていた。 気づけば再び寝てしまっていたらしくリビングからも人の気配は感じられない。



 カーテンの外もすっかり暗くなっていた。



「泣き疲れて寝るとか、子供そのものだな」



 自虐を込めた言葉が漏れるが、春波の心の中はとても穏やかだった。



 未だ体の倦怠感は治っていないが今まで自身を縛り付けていた悲しみを全て吐き出せたのかどこかすっきりとした顔つきになっている。



 部屋に置かれていた自分のカバンに手を伸ばし中からスマホを取り出す。 画面がつくとメッセージアプリの通知が並んでいた。 アプリを開くと水瀬から空き教室に来ないことを心配するメッセージが数件の後着信着信着信着信……。



 春波自身が思っていた以上に心配されていた事を実感し無理矢理にでも連絡しておけば良かったと申し訳ない気持ちが湧いてくると同時に、嬉しさも確かに感じてしまう。



 他には八雲から無事に弁当を届けたことの報告と、色々聞かせて欲しいと言うメッセージと、真優良から何か良く分からない、恨みがこもっているかのような眉間に皺の寄った顔の猫のスタンプの後にお大事にとだけ来ている。



 わざわざ真優良からもメッセージが来ているあたり思った以上の範囲まで迷惑をかけてしまったらしい。



「腹、減ってるな」



 今朝からご無沙汰だった空腹感を感じる。 薬も飲まなければならないしとベッドから出てキッチンへ向かう。



「……あれ」



 ガスコンロの横に出した覚えの無い蓋をされた小鍋が置いてあるのが目に入った。 寝てる間に叔父さんが何か用意してくれていったのかな、と近づく。



 鍋のそばにはノートを千切ったような紙が置いてあるのに気づく。 そこには、おそらくシャープペンシルで書かれたであろう文字が書かれたメモがあった 。



 ''ちゃんと食べて、しっかり元気になってからまた学校で''



 見覚えのあるその筆跡……この直近でよく見ていた水瀬の字に春波は驚きに表情を浮かべるもすぐに力が抜けははっ、と軽い笑いを漏らした。



 メッセージに残すのではなくわざわざ書き置きを残していったのは何故だろう、と考え水瀬の照れた顔が脳裏に浮かんだ。 おそらく気恥ずかしくてアプリに記録が残らないようにするためだろうか。



「なんだよ、ちゃんと自分で料理出来るんじゃんか」



 そういえばからかったあの時も否定はされていなかったかもしれない。



 蓋を開くと、中にはシンプルな白粥が入っていた。 コンロにのせ、焦げないように弱火にかける。 おたまでゆっくりと丁寧に、大切そうにかき混ぜる。



 湯気が出てきたのを目安に火を止めると、めんどくさくなったのかスプーンを取り鍋をコンロに乗せたまま、



「いただきます」



 手を合わせ、静かに呟いた。 温まったそれを掬い口に入れる。



「美味い」



 それ自体は、特別な味付けもされていないただの白粥だった。 しかし、春波の口から自然と言葉は漏れ、胸の中が暖かい物で満たされていく。



「美味いなぁ……」



 そんな春波の頬を伝う雫が、水瀬の残したメモをぽつり、ぽつりと濡らしていた。

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