6月2週 「そこに居ないともう意味ないんだから」

 保健室前に着いた水瀬は息を整え、扉をコンコン、と2回ノックする。 中から返事は帰ってこず、恐る恐るドアを開けた。



「失礼します……」



 小さな声で中に入ると、養護教諭も保健委員も姿が見えない。 2つあるベッドのうち片方は空いているが、もう片側はカーテンが閉められている。



 カーテンの少しの隙間から、葛藤はありつつも中を覗きこむ。 そこで寝ている人間が春波で有ることが確認できると、安堵のため息が漏れた。 苦しそうに寝ている春波のすぐ横まで近づき丸椅子に腰掛けた。



「どうせ朝から体調悪かったんでしょ。連絡してくれれば良かったのよ、ばーか」



 水瀬から言葉が溢れる。 それは推測でしか無かったが、だが半ば確信も持っていた。



「解らないかもしれないけれどもうお弁当だけあっても、あの教室を私だけで使えるとしても、もう駄目なんだから」



 昨日、自分が好きな風景を送ったら彼から写真が返ってきて少し舞い上がってしまった次の日にまさか連絡もつかず姿も表さないという事態に水瀬の不安はどんどん積み重なった。



 何かあったんだろうか。 もしくは、なにか連絡を拒まれるほど機嫌を損ねる要素があったのか。 他愛もないつもりのメッセージの中に何かまずいものがあったかもしれない。 根拠の無い不安が頭の中を支配していく。



 そうして待った先には、真優良と三城が弁当だけを持ってくるという想像していないシチュエーションだったので一瞬固まったが、一連の出来事からどうやら嫌われた訳では無い、と安堵が心を満たした。



 友達が居ない、と言っていた彼に頼ることの出来る人間がいる事に驚いたし、おそらく自分の教室に来た結果真優良に負担をかける事になったのも申し訳無さに襲われる。 後でまたしっかりと話さないと、と一旦心の済に追いやり改めて春波を見た。



「春波がそこに居ないともう意味ないんだから。 ……寝てて聞いてないだろうけど」



 苦しそうに寝ている春波が起きる様子はない。 その事に少しの安心ともしかしたら起きているかも、という期待と同時に不安がいりまじる。



 その時、扉が開き誰かが入ってくる音が耳に入ってきて体が跳ねた。 誰が入ってきたにしてもこの状況の言い訳については何も考えていなかったためただただ焦りが募る。 男性と、養護教諭の年を感じさせる声色の会話が聞こえてくる。



「へへへ、先生その節はどうも……」


「その節、とはどれを指しての言葉ですか? 申し訳ありませんが心当たりがありすぎてこれと断定できません」


「……は、はははー……」


「全く、まさかこんな形で君に再会することになるとは思ってもいませんでしたよ」


「それはー、まあ、俺もですね。 もしかしたら将来うちの子たちもここに来るかもしれませんので」


「流石に私はその頃には退職してますよ」


「残っててくれたら俺も安心なんだけどなー。 おら春波病院いくぞー」



 水瀬は会話を聞きながらもう脱出は無理だと頭の中をどう言い訳しようかと巡らせているとカーテンが開けられ、開けてきたその男性と目が合った。



 あ、似てる。



 目の前の男性を見た時、そう頭に浮かんで来た。 纏う雰囲気も顔つきもそこまで共通している訳ではない。 だが普段見ているその目元など少ない部分だが確かに血の繋がりを感じる。 つまり、この人が、



「春波くんの叔父さんですか?」


「……もしかして、君が“みなせちゃん“?」


 自分の事を知っているあたり珠音からある程度話を聞いているらしい。



「はい、滝水瀬といいます」


「ああこれはご丁寧に。 春波の叔父の深海ふかみ 陣汰じんたです。 君には家内が迷惑をかけたみたいで」


「いえ、そんなこと……」



 言いかけた水瀬は驚き目を開く。 何故なら、




「——本当に、申し訳なかった」




 陣汰が水瀬に向け、真っ直ぐと頭を下げながらの謝罪の言葉がかけられたからからだ。



 唐突な、理由の分からないその謝罪にわけもわからず思考が固まる。



「どうしたんですか、そんな謝られることなんて何もなかったですよ……?」



 そう声をかけるも陣汰はその態度を崩そうとしない。 どうしたらいいか分からず戸惑っているとそこまで静観をしていた養護教諭が、下がったままの陣汰の頭に呆れた顔でゲンコツを落とした。



「はぁ…君のその自分だけで完結させる悪い癖は治ってないみたいですね」


「いっでぇ……いや先生、説明するにもちょっとここではですね……」


「あ、あの!」



 知り合いらしい2人のやりとりの間を割るように水瀬は声を上げる。 思っていたよりも大きな声が出てしまい横で寝ている春波の様子をちらりと窺うと、起きる様子は無い。



 安堵ともに気を取り直して陣汰へと向き直る。 なぜだかこちらに負い目があるような態度の相手に言うのは気が引けるがそこで止まることは無かった。



「お願いがあるんですが」



  ◇



 熱でうなされる中、春波は過去を自分の中から引き上げるような夢に見ていた。



 あの日、朝から少し体調が悪かったのは事実だ。 熱は微熱でその時点では大したことはない、1人でも大丈夫だと元々両親が予定していた結婚記念日での外出を自分のために邪魔する事はないと押して2人を見送った。



 何もする気が起きず再びベッドに入り、自然と意識が落ちる。



 次に目が覚めた時の気分は最悪だった。 寒気と吐き気が倦怠感が体を包む。 大したことはないだろうと軽く見たツケが回ってきたかのように悪化している事が解る。



 誰もいない家で、重い体を起こす。 はっきりとしない意識の中に、いつから降り出したのか外から強い雨と雷の音が聞こえてくる。



 そういえばこんな日だというのに洗濯物を干していた気がする。 取り込まないと大変な事になってしまう、とベッドから起き上がろうとしたが力が入らず床へと倒れ込んだ。



 うまく体を動かすことが出来ず、焦りと不安が春波の中に募りながらも自分ではどうすることも出来ない。 そのまま意識が遠くなっていき、気づいたら病院のベッドの上。



 そして快復しまともに話せるようになり何故か面倒を見てくれていた叔父に疑問を投げかける。



「父さんと母さんは? 仕事?」



 その時の叔父の顔は忘れられそうもない。 思えば面倒を見てくれている間ずっと苦しそうな顔をしていた気がするが、苦々しいような、何も感じられないような。



 その後に出てきた言葉を聞いてから先は、記憶が曖昧だ。



 自分が寝込んでいる間に、父さん母さんが、死んだ?



 2人が乗った車に、トラックがぶつかって?



 その言葉が意味することは理解できる。 理解できるが、したくない。



 悪い冗談じゃないのか。 実はどこかに隠れていて、ひょっこり顔を出すんじゃないか。



 そんな逃避のような思考を繰り返し内に内に籠もっていき、春波は苦しみを直視しないためにどんどんと人との関わりを断つようになった。 叔父の家に引き取られて、今まで住んでいた場所から離れた事もそれに拍車をかける要因だった。



 解っている。 自分のしていることに意味なんて無い、子供の駄々みたいなものだと。 人と関わらず生きることなんて不可能だ。



 ただ認めることが怖かった。 もう自分の家族がいないことを。



 心に溜まっていく悲しみが波立たないよう、溢れないようにただただ日々を過ごしていたのに。



 そして逃げた先で、彼女に出会った。



 強がりだが、すぐ泣きそうになって、そして子供っぽく、自分が作った物を美味しそうに食べてくれる。



 1人でいたいと言っておきながら、彼女を強く拒絶することをしなかった。



 繋がりを求めるように声をかけていた。



 この気持ちを見ないふりをするなんてもう無理だった。



 僕は、水瀬の事が好きなんだ。



  ◇



 朧気ながらも、自室のベッドで春波は眠りから目覚めた。 まだ倦怠感は残っており、目を開けず横になったままだ。



 叔父が迎えに来てから病院に連れて行かれ、帰ってきて寝かされて今だ。 連絡をする余裕がなかったため、水瀬には悪いことをしたという思いが頭をよぎる。 後でスマホを見るのが怖い。



 弁当は八雲に預けたので無事届いているといいんだけど。 春波は今日迷惑をかけた人たちへと考えを巡らせる。



 今日……いや、正確には昨日から春波は自身の落ち着きがなくなっている自覚はあった。 だが、まさか体調が悪かったとしても瞬間的に意識を失う事になるとは全く思っていなかった。



 どうやら自身が感じていた以上に雷雨の音が自分のトラウマ……のようなものになっているとは。



 あの日の雷雨と重ねてしまい、もしかしたらまた何か大事なものを失ってしまうという恐怖を覚える。



 その恐怖を誤魔化そうと、薬を飲むために何か食べなければと目を開けると。



「……あ。 おはよう、春波」


「……………え?」



 水瀬が、安心した顔で春波の顔を覗き込んでいた。

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