6月2週 「またちゃんと教えてくれよなちゃんと教えてくれよな」

 春波が眠っている間、曖昧なイメージの夢が頭を満たす。




 記憶に残らないような意味の通らない風景。 落下し続けているような、息苦しさがずっと続いているような感覚。 その感覚に春波は嫌悪感を抱き、無理矢理意識を覚醒させた。



 体を起こすと荒くなっていた息を整える。 時計を見ると、目覚ましに設定した時間よりも少し早い。



「だる……」



 寒気と倦怠感を感じながらも起き上がり、いつも通り朝の準備を始める。



 昨日帰宅してからはすぐに濡れた制服を脱ぎシャワーを浴びたのでよほどのことでなければ問題ないと思っていたが、そんな考えとは裏腹に春波の体は異常を訴える。 もしかしたら肉体的な事だけが原因では無いのかもしれないが。



 それでもまだ平気だと自分に言い聞かせると二人分の弁当を用意し、空腹感はなくても朝食をなんとか喉に通すと予備の制服に袖を通す。 そして重く感じる体を動かし学校へと向かった。



  ◇



 先程まで何事も無かったはずの空模様は、急に暗い雲に覆われ打ち付けるような激しい雨が降り出した。



 そこまで無理しているつもりは無かった春波だが、その思いに対して体と頭がついてきていない。



 間中の授業である古典の内容が頭に入って来ないのに、急に降り出した強い雨の音が頭の中を支配している。 時たま起こる光の明滅と地鳴りのような音に胸が締めつけらるような感覚に襲われる。



 今の自分が体調を崩しているのはもう自覚しきっている。 しかしこの苦しさはそれだけが原因ではないというのも感じていた。



 重い体に響き渡る雨と雷の音。 このままでは何かを失ってしまいそうな恐怖を感じる。



 まともに内容が頭に入る事なく間中の授業が終わる。 このままでは良くないと顔を洗うために水道へ向かうために立ちあがろうとした瞬間。



 眩しい光とほぼ同時に引き裂くような破裂音が体に伝わると、春波の意識が遠のいていった。



 ◇



「今のは近かったな……」



 すぐ近くで落ちたように感じる雷の音に俄かに教室内がざわつく中、八雲は顔を上げる。 停電はしていない様で一先ず目の前の自分たちに影響があるということは無さそうだった。



 目線を落とすと教室内のざわめきが先ほどと性質の違うものになっており、その喧騒の中心に机に手をかけながらも力無く床にへたり込んでいる春波の姿が目に入り、少しの間頭の回転が鈍くなった。



「は……?」


「え、どうしたの深海……くん? 大丈夫?」


「なんだよ急に、マジで何考えてるかわかんねーな」



 その様子に春波の周囲からどんどんと声が大きくなっていき、その声に八雲の意識もはっきりとすると春波に駆け寄った。



「ちょっとちょっとどうしちゃったんだよ深海くん」


「三城……」



 顔を覗き込むと明らかに血色が良くない。 確かに今朝声をかけた時少し上の空のような気はしていたが、まさかと思い額に手を当てる。



「これ朝から熱あったんじゃないの、なんで学校来てるのさ」


「……大丈夫だから、ほっとけ……」


「周りも見えてないのは良くわかったから、ほら保健室行くよ立てる? 無理ならおんぶするから」


「流石にそこまで子供じゃない……」



 荒い息を吐きながらも八雲に助けられながらなんとか春波は立ち上り、そのまま支えられながら教室を出ると保健室までの道を歩き出す。



 廊下にいた生徒から何事かと目を向けられるもそれも徐々に少なくなるところまで来る。 しかし春波の頭の中は、このままでは不調を押して学校ここまで来た意味が無くなってしまう。 スマホもカバンの中に入れっぱなしで連絡も入れれない。



 おそらくに迷惑をかけてしまうが、今自分を支えながら歩いている少年に申し訳ない気持ちながらもお礼をしてくれる、という昨日の発言を思い出し無理を口にする。



「三城……僕の机にカバンとは別に手提げがあるんだけどそれを昼までに……はぁ、水瀬に渡してくれないか」


「みなせ……ああ、滝ちゃんね。 解った」


「……そんな二つ返事で簡単に。 注目集めるだろうし、それで三城にも迷惑かけるだろうになんにも聞かないのかよ」


「俺としてはなんでも良いって言っただろ。 いつか話したくなったら話してくれたらいいよ」


「……ごめん。 今は無理だけどまた絶対話す……」


「うわー嬉しい! じゃあ、今はちゃんと休もう。 まずはちゃんと元気にならないと」


「ああ……ぁりがとう……」



 小さくなっていく声で出したその言葉はで相手に届いたかは春波には判断できない。 だが、それを聞いた八雲は相手に聞こえないように呟いた。



「深海くんこそ人の事を気にしすぎだと思うな……。 君はどうしたいのか、またちゃんと教えてくれよな」



 八雲は高校に入ってから自分が望んだ訳では無い交友関係と、その中でのコミュニケーションが肌に合わず、傷つき、他人と話すことが無い春波の存在を羨ましく思った。 それがきっかけで声をかけたのは間違いない。 しがらみとは無縁そうに見えて、その孤独のようなものをを求めていたのかもしれない。



 だが声をかけた時、自分じゃない誰かのために本気で怒った春波の姿に、自分の考えの浅はかさを知った。 同時に、自分はこうして誰かとまともに向かい合った事が無かったことにも気づく。 それは、部活動を楽しんでいた中で生まれた自分の傲慢とも言える部分に気づくきっかけにもなった。



 そして昨日。 自分がどう考えていたかを気づかせてくれた春波の事をもっと知りたいと思った。 そのために、



「とりあえずは頼まれた事をちゃんとやらないとね」



 彼が大事にしている事をちゃんと尊重しないと。

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