6月2週 「わっかんないわ……」
以前話した際に春波と水瀬が交流を持っていることを知っている筈で、それならば嫉妬なりの感情を自分に抱いていてもおかしくない。
それなのに川南は春波に終始友好的な態度であり、それがずっと心に引っかかっている事だった。
「……今ここでその話すんの?」
「つい、嫌なら答えなくていい」
「いやまあ、それだけオレに対して向き合ってくれてるってことだし答えると、もうそこまでの感情は無いんだ」
蒸し暑い体育館の開放された扉の前でそう口にする川南は、清々しそうな表情を浮かべていた。
「オレから見た水瀬さんはさ、真っ直ぐで眩しかったんだyい。 フラれた時も、まあこんなペラペラな八方美人を好きになるわけ無いかって思っちゃってさ」
その言葉は完璧超人なんて呼ばれている少年から出ている思えない程弱々しかった。
「そんなオレのせいで水瀬さんに迷惑をかけてる、って気づいたらもうそれどころじゃなくなっちゃって。 オレのせいなのにオレが出張ったらもっと悪い事になりそうで動けなかったから天宮達を頼ろうとしたら深海くんが来たんだ」
春波も川南の事をどこか違う世界の人間だと思っていたが、今話しているその姿をみるとそんな考えは頭の中から消え去っていた
「深海くんが水瀬さんの為に動いてるって思ったら、安心したんだ。 ちゃんと味方がいるんだなって」
「……僕は水瀬の為に動いてるなんて言ってない筈だけど」
「その言い訳は無理があると思うよ。 今日もそうだけど君は自分じゃない誰かの為にまっすぐ行動を起こせる人だ。 その姿が僕には眩しい」
「……違う」
「君がどう思おうとオレから見た深海くんはそうなんだよ。 たとえ君にもこれは否定させないし、三城くんも、おそらく水瀬さんも同じような事を感じているんじゃないかな」
有無を言わさぬ力強さに何も言えなくなる。
なんで。 違う。 そんな、そんな大層な人間じゃないんだ。
「話が逸れたけど、結局はオレはもう不快とかそう言う感情は無いよ。 むしろ推し二人が幸せになってくれたら嬉しいかな。 ずっと聞きたかったんだけどさ、深海くんは水瀬さんの事好き?」
よくわからない言葉をぶつけられ混乱しかけた矢先の問いかけに、心臓に鋭い物を突きつけられたような冷たさを感じる。
やめてくれ。 自分を見なきゃいけなくなるような言葉は。 これを見てしまったら今のままでいられないかもしれない。
嫌な汗が顔を伝うのを感じながらも今出せる感情を整理する
「……解らない。 ……解らない、けど」
「けど?」
こんなのは認めてるようなものだ。 わかっているが、今はこれを言うのが精一杯だった。
「川南が滝の事を水瀬さん、って呼ぶ事のは、僕は、嫌だよ」
まるで空気が止まったかのような沈黙が少しの間場を満たしたが、裂くような笑い声が響いた。
「……あっはははははは! そっか、そうか、うわすごい、深海くん可愛いな!!」
「男の嫉妬なんて醜いもんだろ、それに可愛いなんて言葉も褒め言葉じゃない!」
「いやごめん、でも思ってた答えよりも良いものを貰った気持ちだよ」
「わっかんないわ……」
「でも、それなら今はそうでもないのかな? さっき深海くんも名前で呼んでたもんな」
「はっ?」
「無自覚だった? 人前で言わないようにしてるんなら気をつけたほうが良いよ」
「なっなっ、マジで?」
そもそも誰かと話す機会自体が少なかった事が災いしたのか、全く自覚無く川南との会話で水瀬と言っていたらしい事に頭を抱える。
川南は面白くて仕方ない様子で励ますために春波の体を軽く叩いていた。
「今の状況解決したらまたちゃんと話しを聞かせてくれよな!」
「うるさい。 話すことなんて無い」
「まあまあそう言わずに……お、三城くんがコートに戻ってるね」
顔を上げると確かに練習試合に八雲が再び参加している。
ローテーションは一巡しており、先程と同じ相手がサーブを打ち出す。 変わらず強力なジャンプサーブがコートに刺さろうとした時、東間が低い姿勢から手を滑り込ませボールを上げるも、再びコート外へと向かう乱れた返球になる。
先程の再現の様に再び八雲にボールが高く上げられる。
タイミングを合わせ、助走をし高く上へと跳ぶ。 気のせいか、先程よりも高く跳んでいるように見える。
しかし相手もタイミングを合わせて、今度は3人の壁が現れる。
それを見て、体を弓なりに引き、打ち下ろす。
放たれたボールはブロックの上から勢い良く相手コート……外へと落ちた。
アウトだと思い川南は少し残念そうな様子を見せる。
「まあ、すぐには改善するものでもない……?」
だが、春波は八雲の表情を見続けていた。 それは、終始イキイキとして、打ったあとから今も嬉しそうな顔が崩れない。
審判が何かしらのサインを出すと得点が動き、見ると八雲達、つまりはこちらの学校側に得点が入っていた。
「ボールタッチありだったのか……ラッキーだったな」
「外したけど、ブロックの時に相手が触ってたってこと?」
「ああ、最後に触ったチームが落としたって事だからそう……」
コートの八雲が2人の方を向く。 すると、満面の笑みで力強くVサインを向け、再び相手へと向き直った。
「……もしかして狙ってやった? そんな判断とコントロールをさっきの今で?」
「よく解んないけど、楽しそうにやれてるし良かったんじゃないか」
「……深海くん、君は怪物を生み出したかもしれないぞ」
「えっ」
その後もイキイキと、失敗しながらも多彩なアタックを試す八雲を春波はどこか嬉しそうに、川南はどこか恐ろしそう顔で見ていた。
◇
突発的な部活見学に切りをつけ小雨が降る中春波はいつもの帰り道を歩いている。 メッセージを受信した音が耳に入ると、立ち止まり傘をさしたままスマホを取り出す。
今の春波に細かく連絡を入れてくるのは数えるほどで、確認するとやはり水瀬の名前が画面には映し出されていた。
「紫陽花……」
『家の近くに咲いてるやつ! 今年も綺麗! 』
そんな文面と共に写真が添えられており、紫陽花とピースの指が映ったそれを春波は暖かく感じている。
ふと視界の端にある色に気づき顔を上げると、普段歩いている歩道の横に紫陽花が列を成し咲いている事に気がついた。
毎日歩いている色褪せた風景だったはずの場所に映ったそれにスマホを向け写真に収めると、硬さの抜けた文面と共に水瀬へと返す。
紫陽花へと近づき藍や紫のそれを眺めながら、今日の事を思い出す。
認めたくなかった。 目を逸していたかった。 だが、頭の中では解っていた。
どうしようもない気持ちを誤魔化すために幼稚な事をしている。
申し訳無さと、それでもと思ってしまうのを止められない。 けれど今の時間がただ続いていく事もない。
川南にはその場しのぎで解らないなどと口にしたが、本当はとっくに解っている。
僕は、水瀬を
瞬間、ガードレールの向こうを車が通り、水たまりの水が春波へと勢いよく襲いかかり思考が真っ白になった。
「……最悪だ」
マンションまではまだ少し距離があるためここまでの考えを無理やり胸の底へ押し込むと帰り道を再び足早に走り出す。
とりあえず制服は予備があったはずだから、今日はもう帰ったらすぐ風呂場だなと今までと関係ない考えで頭を埋め濡れた制服の重みを感じながらも帰りを急いだ。
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