6月1週 「踏み込んで聞いてしまっても良いのでしょうか」
「はい滝。 改めて、誕生日おめでとう」
「ありがとう。 なるほど、トライフルだ」
「なんだ、知ってたのか。 これくらいなら僕でも出来るからな」
エプロンを脱ぎようやく一息といった様子で2人から離れソファに座る春波と、出された物を前に目を輝かせる水瀬。
そんな2人の様子を珠音は静かに見守っている。
「構成してる物でケーキ作れそうだけどね。 深海くんならそつなく出来るんじゃないの?」
その言葉に、目の前の珠音から笑いが溢れるのが聞こえてきた。 春波はどこか恥ずかしそうな顔をしている。
「昨日も言ったけど菓子なんて全然作らないし、それに、買い被ってるけど僕は不器用なんだ。 ケーキなんて綺麗に出来ないから、きっちりやらなくてもそれっぽくなる物の方がいい」
生クリーム・スポンジ・フルーツで層が作られている上にミントが添えられたそれを、どこか遠い目で春波は見ている。
いただきます、と一言声に出し水瀬はそれを口に含んだ。
生クリームの溶けるような甘味が口の中に広がり、次に柑橘類の爽やかさで満たされる。 しかし、酸味を強く感じるわけではなく、抵抗感もなく口の中を通り過ぎていった。
「……美味しい。 美味しいよ」
「あぁぁ、それは良かった。 毎度のことだけどこの瞬間が一番緊張するわ」
「毎度って、どういう意味?」
不意に珠音からかけられた言葉に、春波は迂闊だったと後悔する。 自分たちの事情は叔父にも話していない以上あまり気を緩めるべきではなかった。
「珠音さん、後で私から話すので」
水瀬からその提案が出てきて、春波はあっけにとられる。 自分が離席している間に2人はどんな話をしていたのか気になってはいるが、一先ずは水瀬に任せることにした。
「ん、解った。 しかしちゃんと美味しそうじゃないの。 私も食べたかったなー」
「ありますよ、伯母さんたちの分」
珠音は驚いた表情を顔に貼り付け、春波を見た。 信じられない、といった様子で体が固まっている。
「…………あるの? 私の分も」
「珠音さんの分というか、スポンジ焼いたらまあ当たり前ですが1人分には多すぎたので珠音さん達4人の分も用意してあります。 後で持っていってください」
「……菓子作りはしないって言いながらスポンジは焼いてるの、ズレてない?」
「いやそれくらいはやらないと。 ……
「……春波、歌音は別にお前の事嫌ってるわけじゃ」
「解ってます。 ……すいません、解ってるつもりです。 ただ、僕のせいで嫌な思いをさせた事は変わらないので。 歌音ちゃんが何か気にしてそうならすいませんがフォローしてくれたら」
「そう言う事は自分でやりな。 出ていってから一回もこっちに顔出してないんだから、ちゃんとうちに来て顔突き合わせて話せ」
「……はい」
その様子を横から見ていた水瀬は、置いてけぼりになっている事に歯痒さを覚えていた。 気になる事は多々あれど、下手に口にしてはいけないという思いから口が閉ざされる。
そんな様子を気取ったのか、珠音は強い口調で命令に近い言葉を出した。
「春波、今日まだ走りに行ってないだろ。 今すぐ行って来い。 それで良いって言うまで戻ってくるな」
「は、はぁ!? 急になに」
「いいから、準備して行ってきな」
反論したくても出来ないらしく、春波は大人しく自室へと入り、運動しやすい格好になりそのままマンションから出ていった。
かなりの力技を目の当たりにした水瀬は、話す場を用意してくれたであろう感謝と皺寄せを食らった春波への申し訳無さが同居していた。
「あの、わざわざ場を作ってくれたのは感謝しますがふか……春波、くんがちょっと可哀想では」
「あー、まあ約束事をやらせてるだけだからあまり気にしないで。 それに、ここで見てもらいたいものもある」
「約束事、ですか」
「そう、一人暮らしする上での条件って言ってもいいかな」
水瀬に緊張が走る。 このままこの話を聞いてはいけない。 目の前の女性は、自分の悩みも含めて話を聞いてくれる、と言ってこの場を設けてくれた。
珠音の言葉を遮るように、水瀬は迷いを言葉する。
「それを、私が踏み込んで聞いてしまっても良いのでしょうか」
「……春波自身の事はどれくらい聞いてる?」
「一人暮らしをしている事くらいです。 それも彼から言ったのでは無くて、こちらが探るような形で知った事で」
真剣な眼差しで水瀬を見る珠音。 一度口に出すと迷いはとめどなく溢れてくる。
「私は、大袈裟かもしれませんが春波くんがいてくれた事で助けられました。 ですが、彼は自分の事は聞かれたくないように見えて」
出会った時からの事を思い返すたびにわからなくなる。
「それなのに、こちらには手を差し伸べてくれて。 今日だって、急に誕生日を教えられたからって無視すれば良いのにこうやって準備してくれて。 でも、私は彼から貰ってばかりで何も返せてない!」
1人でいたいなんて言いながら水瀬が一緒に空き教室にいる事を受け入れている。 自分の為、などと言いながら、献身的とも言えるような行動を取っている。
その天の邪鬼さに、彼自身が何を考えているのか解らない。 解るのは、おそらく本質的にはお人好しで有ることだけだ。
「彼が踏み込まないで欲しいならそうしてあげたい、でも、彼の事を知って力にもなってあげたいんです。 私はどうしたらいいんでしょうか……」
その独白を一通り聞いた珠音は、少し考える様子を見せたが、程なく口を開いた。
「水瀬ちゃんから見える春波って、どんな人間?」
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