6月1週 「私がここに来るのは、」

 春波は焦っていた。



 授業を終え、早々に学校を出てスーパーに寄り、必要な物を買い揃えマンションへと帰宅。 半袖の制服のままエプロンを着け作業を始めると水瀬からスマホに連絡が入ったのでこれを返す。



 不意にインターホンが鳴る。 滝には部屋番号までは教えていないので一体誰が、と思い出るとまさかこのタイミングで叔母が来るとは思いもせず、焦りは加速する。



 貰うものだけ貰い、ついでに少し待ってもらい後ほど渡しに行くつもりだったものをここで渡して早々に帰ってもらおう。 長々と滝を待たせては悪い。



 そう考えながらも手を動かし続けた春波。 しかし、



「春波ー、来たぞー」


「いらっしゃい珠音さん、ちょっと待っ……」


「おじゃまします……すごい、広いじゃない」



 珠音に続いて水瀬が入って来ているのを認識した瞬間、完全に体の動きが止まった。



「……………………………………………なんで?」


「ああ、この子? 春波のお客さんみたいだったから連れてきた」


「連れてきたって、何がどうしてそうなって、えっと、ええ!?」


「……私がここに来るのは、やっぱりダメだった……?」


「は、いやダメとかじゃなくて、男が1人でいる場所に女子1人で入るのは良くないって昨日も言っただろ!」


「なら私が一緒にいるから問題無いな! 春波、外暑かったからとりあえずなんか飲み物くれ」


「それはそうかもしれないけど……………! ああもう…………………!!」



 不慮の事態から立て続けに言葉が飛び交い、混乱しきりでヒートアップした頭が一先ず頂点に達するのを感じる。



 大きくため息をつくと、肩を落とし諦めた様子で口を開いた。



「とりあえず、適当に座って待ってて。 滝も、あんまり気が休まらないかもだけどソファでも机の方でも好きなところに座ってくれ」


「う、うん」



 珠音と水瀬は向き合う形で机に向かって座る。



「ねえ、貴女のお名前は?」


「滝です。 滝 水瀬」


「水瀬ちゃんね。 私は深海 珠音。 春波の叔母やってまーす」




 叔母という言葉にどこか安堵を覚えつつも、水瀬は自分の想像している事が遠からず当たっているのではという確信を強めていく。



「で、何であんな所で待ってたの?」


「えーっ…………とぉ」



 答えづらい質問だった。 自分の誕生日を祝ってもらう為、というのを自分で口に出すのは何故かとても気恥ずかしい。 躊躇っている所に、春波が現れた。



「滝が今日誕生日らしいから、簡単なお菓子渡すために来てもらってたんだよ。 はい麦茶」


「ありがとー春波愛してる! お菓子なんて学校でもいいじゃん、わざわざ呼びつける必要は無かったんじゃないのー?」


「生クリーム使うやつだから今の気温で長時間持ち運ぶのは怖いでしょ。 既製品も考えたけど、それはそれで味気ないし」


「まーた変な所で拘って……。 しかし、春波が誰かに菓子作りなんてねぇ。 自覚してるのかしてないのか」



 尻すぼみに声が小さくなり、最後は殆ど独り言のように呟く珠音。 水瀬は最後まで聞き取れ無かったものの、その思うところがありそうな表情ははっきりと見えていた。



「で、婆ちゃんは何送ってきたの」


「ん」



 ビニール袋を渡されると、春波は中身を確認する。 すると、不可解そうな表情を浮かべ、珠音に問いかけた。



「……なんで時期過ぎてるであろうデコポンを今……?」


「知らない。 とにかく量が多いから食え」


「でこ?」



 聞き慣れない単語なのかきょとんとした様子の水瀬から間の抜けた声が出た。



「ああ、知らないか。 えーっと、みかんの1種、でいいかな。 ……せっかくだからこれも使おうかな」



 袋の中を見ながらそう話す春波を水瀬は見ていた。 いや、正確にはその時普段とは少し違うその格好に気づいた。



 普段見ている制服の上から、恐らく日常的に使用しているであろう紺色のエプロンを着けた春波の姿に、そんなのズルいなんて事を思ってしまう。



 毎日弁当を作ってもらっているし自炊してるというのを聞いている以上はそういった物を身に着けててもおかしくないのだが、普段のぶっきらぼうな口調と今の姿のギャップがそう思わせていた。



「滝、ここまで来たからには持ち帰るよりも今ここで食べちゃってくれると助かるんだけどいいか?」


「えひゃいっ!? はい、大丈夫です!」



 急に現実へと引き戻され、驚きで鳴き声のような声が出て恥ずかしさを感じるものの、なんとか取り繕いながら返事をする。



「お、おう、どうかしたか……? 嫌なら嫌って言ってくれれば」


「嫌じゃない! 大丈夫だから!!」



 そう言い切って春波をキッチンへ追い払い、呼吸を整える。 落ち着いた時、正面に第3者がいる事を思い出し視線を向けると、ニヤついているような楽しそうな表情を向けられていた。



「はぁ。 へぇ。 ほーーーーーーーーーーーん。 春波もやるじゃん、こんな可愛い子を」


「あの、違う、違うんです。 そういうんじゃないんです。今のはギャップにやられてただけというか。 少なくともふか……は、るな君はそういうつもりじゃない筈なので」


「ふぅん……? まあ水瀬ちゃんと春波がどういうやりとりしてるかは今は置いとくとして。 この後時間ある?」


「それは大丈夫ですけど、何か……?」


「春波の事、色々聞かせてほしいなって。 水瀬ちゃんも、聞きたいことあるんじゃない?」


「それは、そうなんですが……」



 水瀬は目線を落とし、次の言葉が発せず机の下で手遊びをしている。



 その様子に、珠音は穏やかな様子で声をかけた。



「良いよ、今考えている事も含めて後でまとめておばさんに話してみて。 どこまで力になれるかは解らないけど、ね?」


「……おばさんというよりかはまだまだお姉さんですよ。 ありがとうございます」


「あら嬉しい事言われちゃった。 じゃあ後で一旦春波追い出すからその時話そうか」


「お、追い出す!?」


「このマンションの契約者はうちの旦那だからねー。 主導権はこちらにあるのだ」



 急に春波へとばっちりが行く事になり申し訳ない気持ちがありつつも、水瀬はこの後訪れる時間に向けて頭の中の整理をはじめていた。

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