6月1週 「いつか相手を傷つけてしまいませんか」
「水瀬ちゃんから見える春波って、どんな人間?」
「えっ……?」
「深く考えずに教えて欲しいな」
「え……っと、1人でいたがってて、ぶっきらぼうで、意地悪な事も言うけど、根は優しいのかな、と。 ……あと友達がいない? いやこれは本人が言ってただけなので確証はないんですけれども」
「ありがとう。 なんとなくは解ったかなぁ。 まあ最終的には直接本人に確認して欲しいけど」
「どういう事ですか?」
「うん、ちゃんと教えるから聞いてほしい。 私が水瀬ちゃんに知ってほしいから」
遠い昔を、もう戻ってこない時間を思い出し水瀬へと告げる。
「私が知ってる春波はね、明るくて、素直で、よく笑って、友達も多くて。 そして、甘え坊さんな、家族の事が大好きな優しい子だったの」
言われたことが飲み込めない。 何を言われたかは解るが、理解するのが難しい。
だって。 それは今私が抱いている物とはまるで違うもので。 しかしその言葉の中にある、水瀬がずっと疑問に抱いていた物をなんとか拾い上げる。
これを聞いてしまっていいのか。しかし水瀬は、自分の意志でその焼け付くような喉から、なんとか音を出した。
「あの、春波くんのご両親、ご家族は今、どちらに……」
「亡くなったの。 もう1年半前になるかな」
ああ、やっぱり。 想像はしていた。 外れていてほしかった。 でも、あからさまな態度を思い出すとそうとしか思えなくて。
「事故でね。 その時ニュースにもなってたと思うけど、急に降り出した激しい雷雨で視界不良になったトラックが春波の両親が乗った車も含めた数台巻き込んだ。 そのまま、ね」
日々流れていくニュース。 確かにそういった報道はある。 それが実感を伴う距離に感じ急に恐怖心が湧き上がってくる。
「さらにタイミングの悪い事にその時春波はインフルで家でぶっ倒れてて。 連絡が繋がらないって乗り込んだ旦那が廊下に倒れてる春波を見た時は本当に血の気が引いたって」
「それは……そんな……」
「残酷な話だと思う。 春波はさんざん苦しんで、やっと回復したらもうお父さんもお母さんもこの世にいない、なんて言われたんだ」
水瀬は今の自分がどれだけ恵まれていたか、嫌でも思い知る。 たとえ今側にいることが難しくても、両親は生きており、会おうと思えばいつでも会える。
春波は、その機会が本人の預かり知らぬうちに永遠に奪われてしまっていたのだ。
「事実を春波に伝えてから、塞ぎ込んじゃってさ。 何を話しても無視か少しの相槌が帰ってくるだけで、生きてるのにまるでそこにいないみたいだった」
「……」
「それでうちで引き取ることになって、こっちに引っ越してきてすぐに、一人暮らしがしたいって言い出した。 何を、と思ったけど頑なに譲らなかったから、条件付きでここに住むことを許可したの」
「さっき言ってたのがそうですね」
「 必ず自炊しろ。 外食するな。 無理な時はうちで飯を食え。 週2回は旦那と飯を食え。毎日外をランニングするか歩け。 月1で美容室に行け。 成績を維持しろ。 金銭目的でバイトはしなくていい。 まだあるけど、主にこんな感じ」
一通り聞いた水瀬は、思ったよりも厳しくないその内容に疑問を持つ。
「内容が緩いと思う? これはね、殆どが春波が生きている事を確かめるためだから」
「……そんなに酷い様子だったんですね」
「うん。 放っておいたらそのままいなくなっちゃうんじゃないかってくらい生気が無くて、虚ろだった。 義兄さんたちの忘れ形見が、目を離したうちにいなくなる事は避けたかった。 このマンションの前の道路跨いだすぐが私の家なんだ。 だから目で見て、ちゃんと生活してるかとか、歩いて生きている姿とかを確認出来るようにしたかったの」
「大切、なんですね」
「当たり前じゃない。 小さい頃から見てて、うちの子たちともよく遊んでくれてて。 見殺しになんて出来るわけがないよ」
昔を思い返したのか、珠音の口元が少し緩む。 それも束の間、またすぐ表情が引き締まると姿勢を直し水瀬をまっすぐ見た。
「春波は、ずっと逃避してるんだ」
「逃避……ですか?」
「頭ではわかってるんだろうけど、大好きだった両親がもういないって事を認識したくないんだと思う。 元々持ってた携帯電話も前の家に置いてきて、新しいのを持とうともしなかった。 新しい学校で友達を作る様子もない。 それは何かを得ること、失う事の辛さから逃げるためなんじゃないかって」
「……スマホ壊れてるなんて嘘だったんじゃないの。 バカ」
まさか元々持っていないなんて考えてもいなかった。 しかしそうなると、自分の為だけにスマホを工面した事になるのではと気づき、目の前の珠音とまだ会ったことのない春波の叔父に申し訳ない気持ちになった。
「こっちに来て時間が経って、少しづつ喋るようにはなったけど最近また様子が変わったって旦那から聞いてね。 届け物もあったから確かめに来てみたら、あなたがいた」
水瀬は照れくささと気恥ずかしさで満たされる。 だって、それはまるで私のおかげだと言っているような。
「軽口もたたけるようになってるし、他人を気にするようにもなってる。 なにより、ちゃんと生きてるように見える。 本当に嬉しかった」
「でも、多分自分の事まで気にかけれていません。 手だって荒れ放題だし……」
「それホント? あー、基本的に消耗品までは面倒見切れてないから洗剤が肌に合ってないのかも。 前まではそんな事無かった筈だから」
「前、ですか?」
「ああそうだ水瀬ちゃん、さっきの春波が言ってた事教えてほしいんだけど。 話してくれるって言ったやつ」
「あっ……はい、話します。 ちょっと待って下さい、心の準備を」
「え、何、怖い話?」
「いえ、そういうわけでは無いんですが…」
単純に話すのに勇気がいるだけで。 だって今から明らかに普通じゃない事を言うのだから。 深呼吸して心を落ち着ける。
「経緯は一旦省きますが、えと、実はですね、このひと月ほど春波くんにお弁当を用意してもらってるんです」
今日何度目かの驚きの表情で珠音は動きを止めた。 しかし、今回は今までで1番の驚きだったようで、身じろぎすることすら無い。
「あの、ごめんなさいやっぱり知らなかったんですね。 材料費とか受け取ってくれなかったので、良かったら」
「春波の一人暮らしの条件の中にさ、自炊するってのがあるって言ったじゃない」
「は、はい……?」
急に話の舵を取られ、曖昧な返事しかできなくなる。
「春波のご両親は忙しい人たちでね、家に帰るのが遅くなることもしょっちゅうだったの。 そんな様子から、春波は進んで家事をするようになったんだ。 イヤイヤなんかじゃなくて、お父さんお母さんの力になりたい、褒めて欲しい、笑った顔が見たいなんて言って」
「……健気だなぁ」
「ね、本当にびっくりするほど良い子。 義兄さん達も申し訳ない気持ちはあったみたいだけど、それ以上に嬉しそうで。 お弁当作ってくれた、なんて自慢されたこともある」
そこで水瀬はハッとした。 少しづつどういう話なのかの輪郭が見えてくる。
「料理することは春波の生活の一部だったはずだから。 それの地続きで、たとえルーティン的でも、以前の生活と似たことをさせたかったんだ。 だから事情はわからないけど、あの子が誰かのためそういうことをしているのは、とても好ましい。 だから、今はお金とかそう言う事は気にしないで」
「で、でも……!」
「いいの。 一気に話しちゃったね、混乱してるでしょ」
水瀬は確かに混乱していた。 彼に起きたことを教えられて、どうすれば良いのか。 それに結局、元の迷いの答えははっきりしないまま話を全て聞いてしまっている。
「聞かせておいてこう言うのはフェアじゃ無いけど、水瀬ちゃんは自分でどうしたいかを決めて良いんだからね」
「それは、どういう意味ですか……?」
「そのままだよ。 さっきはからかっちゃったけど、別に水瀬ちゃんと春波が恋愛関係になってもならなくても、この先付き合いが無くなるとしてもそれはそれで良いの。 自分達で選択したことであれば」
「選択……」
「そう。 水瀬ちゃんの踏み込んでいいかわからない気持ちと、春波の力になりたいって気持ち。 自分がどうしたいかで決めちゃって良いのよ。 相手の事を思うことはとても大切だけど、まずは自分がどうしたいか、が一番大事」
自分の恐れと相手の気持ちを推し測ろうとしていた事から、水瀬は踏み出せないでいた。 しかし、今挙げられた価値観はとてもシンプルで、だからこそ危うくも聞こえた。
「しかし、それだと、いつか相手を傷つけてしまいませんか……?」
「傷つけるし傷つくよ。 その時はちゃんと話し合うの。 どうありたいか、何が嫌か。 人同士なんだからそれを擦り合わせて進んでいくの」
水瀬は、自分に立て続けに起こった出来事から、相手を追い詰めるようなことはしたくない、と踏み出すのを恐れていた。 だが、それは結局は自分が傷つくことを恐れていただけだったのかもしれない。
「だから、改めて聞かせて?」
「水瀬ちゃんから見た春波ってどういう人間? 彼とどうありたい?」
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