6月1週 「だから、入ってこなくていい」

 心を惑わせるメッセージを受け取り、頭を悩ませながらも方針を決め、翌日の昼の時間。



 目の前でオムライスを頬張る水瀬を眺めながらも、さてどうやって切り出したものかと口を開けずにいた。



「……ジロジロとどうしたの? 食欲ない?」


「ああいや、ごめん。 不愉快だったよな」


「別にアンタなら気にしないけど……」



 帰ってきた言葉にさらに心を惑わされそうになりそうになるも、今はそこを気にしている場合では無いと自身をごまかす。



「そういえば真優良の事だけど、私から話せる事があまりないかな、って思っちゃったからとりあえず今は話せる範囲で良い?」


「っああ、良いよ別に。 本人が望んでないことをわざわざ無理して言わなくても大丈夫」



 興味がない、と口癖のように出そうになったが思いとどまり口をつむぐ。



「中学時代からの私の友達で、昔の出来事から男子が苦手。 ひとまずはそれだけわかっててくれれば」


「昨日の調子だと女子校の方が良かったんじゃないか、なんでわざわざうちみたいな共学に」


「うーん、そこはちょっと伏せさせて。 確証が無いからあまり自信持って言えないの」



 複雑そうな表情でそう語る水瀬。 真優良の現状の改善をしなければいけない、と言った部分が大きそうではあった。



「そんなだから、できる限り男子には近寄らないし、私にひっついていようとするの。 安心したいからなんでしょうけど、ずっとそのままってわけにはいかないから」



 そう言った水瀬はおもむろに右手を伸ばし、机の上の春波の左手へとそっと手を重ねた。



「たったこれだけの事も出来ないなんてね」


「ちょ、滝……!?」



 急に手に触れられ動揺が隠せない春波をよそに、水瀬は気になるところがあるのか重ねた手を掴み、春波の手のひらを上に向けまじまじと見つめた。



「ちゃんと見たことなかったから確信を持てなかったけど、やっぱり。 アンタ、手が荒れ過ぎじゃない?」


「そ、そうか……?」



 実際春波の手はひび割れが進行している状態で、出血まではいかないもののこのまま放置していたらそれも時間の問題だった。



「その様子だとケアもなにもしてないでしょ。 ちゃんと気にしときなさいよ」


「別に、誰にも迷惑かけてないんだし良いだろ」


「私が気にするの! 私の分の弁当箱も洗ってもらってる以上私のせいでもあるんだから。 それにこのまま放置してたらもっと酷いことになるよ」



 全く、と口にしながらもひび割れた春波の手を撫でる水瀬。 その目はどこか優しい様な、愛おしそうな目で。



 一方で春波はその何故こんな状況になっているのかわからず、水瀬のその細いしなやかな指の感触に戸惑いを感じると同時に、その心地よさに胸が速打つのを感じていた。



 その状態が数分続いたのち、なんとか我慢をしていた春波が俯きながら根を上げる形で声を漏らした。



「あの、滝さん、そろそろ離してくれると………………」



 言われ、水瀬が顔を上げ春波を見ると顔を真赤にしながら口元を抑え、顔を逸らした姿があった。



「え? ……っぇぁ、ごめんなひゃい……」



 自分が何をしているのかようやく自覚した水瀬は赤面しながらゆっくりと寂しげな様子で手を離す。



 お互い何も口に出来ない、目線を送るのも恥ずかしい空気に満たされる。 こんな中で切り出さなきゃいけないのか、と昨日からの想定外の自体に辟易としつつも、春波は意を決する。



「あの、滝、明日の放課後時間取れるか?」



 瞬間、目を見開き春波を見る水瀬。 複数の意味を持った何故、と言いたげな表情が春波へと刺さる。



「あー……昨日の帰り際、月影さんからメッセージが送られてきて。 それで明日が誕生日だって知って、なんか、無視するのも不義理かな、と」



 スマホの画面を見せながら大人しく起きたことを一通り素直に打ち明ける春波。



 その様子に肩の力が抜けた水瀬は呆れた様子だ。



「真優良ったらもう、どういうつもりで……学校じゃ、このお昼の時間じゃ駄目な事?」


「考えたけど、いくら学校に冷蔵庫のアテがあるとはいえちょっとなって思ったから。 言っちゃえば生クリーム使った消え物だから、そこまで気負わなくてもいい」


「何、深海くんお菓子まで作れるの?」


「いや、そっちは全然。 そんな僕でも作れる程度のものって事だよ」


「とりあえずは言葉通りに受け取っとくけど……それで、どこに行けばいい?」


「出来れば、僕の住んでる所に来てほしいんだけど」


「………………………………え?」



 言われた言葉の意味を飲み込みきれなかったのか、間の抜けた声を出す水瀬の様子を見た春波は、事前に考えていた提案を一通り出す。



「別に上がっていけってわけじゃなくて、僕が住んでるマンションの入口で待っててくれたら助かるって話。 保冷バッグとかの準備もしてるから仕上げだけしてマンション前で渡して終わりだから」



 水瀬は一息で言われたその提案を一旦飲み込み、思案する。



 放置されている荒れた手。 自分で食事を用意しなければいけない状況。 僕の住んでいる所、なんてどこか遠回しな遠慮が見える言葉。



 目の前にいる彼の事を、なにも知らないままではいけない、いや、知りたい気持ちが水瀬の中に生まれていた。 今までの情報とすり合わせ、そうして水瀬の中で生まれた疑問を、なるべく踏み込みすぎないようにと言葉を選び、おそるおそる口に出した。



「深海くん、そこに1人で住んでるの……?」


「……そうだよ。 男の一人暮らしの家に女子が上がるのは良くないだろ。 だから、入ってこなくていい」



 その言葉は、きっと水瀬を気遣ったものに違いないだろう。



 しかし、入ってこなくていい、という言葉に水瀬は胸を締め付けられる感覚を覚えていた。



 まるで自分の事を拒否されたような。 そう直接言われたわけでも無いのに、おそるおそると踏み込んだ一歩分、後ろに下がられたような。



 いや、それは私が勝手にネガティブになっているだけだ、と首を小さく横に振り、返事を返す。



「解った、一緒に行く? 別々の方がいい?」


「どっちでも……まあ、そっちは月影さんとの事もあるだろうし、別々でいいんじゃないか。 僕はさっさと帰って備えとくよ」


「解った。 じゃあ、マンションの場所だけ送っておいてね」


「はいよ。 あと、明日の弁当リクエストあったら言ってくれたらそれ作ってくるけど」


「え、良いの!? じゃあねぇ……」




 誕生日を知ったから何かしなきゃって行動する癖に、踏み込んだらその分離れられているように思えてしまって。



 それはきっと、出会った頃に言っていた事が胸に刺さっているからかもしれないけれど。



 モヤがかかった様な気持ちで、水瀬はその場をやり過ごす。



 その奥の自分の気持ちはまだ見えなかった。

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