5月3週 「毎日こんな所にいるとは思ってなかったから」
昼食後、水瀬が勉強をするようになると普段は図書室で借りてきた本を読むなどして過ごしてきた春波だが、テストを前に真面目に勉強する人間からその姿がどう映るかを考えるとテストまでは自分も合わせて勉強する事にした。
叔父から言われているのは成績を落とさないこと、という曖昧な表現だけなので正直普段の勉強だけで十分の筈なのだが。
「んー……?」
「何、どこがわからないの」
「いや、ここの証明が上手くいかなくて」
「見せてみて。 これはね……」
お互い解らないところが出ると目の前にいる相手に聞く、という流れがいつの間にか出来ていた。
春波も成績はいい方ではあるが水瀬はどうやら学年でもトップクラスらしく、聞く頻度は春波からの方が多い状態になっているが。
「ああ、成程。 毎度ありがとさん」
「教えるのが1番身になるっていうしこれくらいは全然。 私も教えてもらってるし」
「しかし見てる感じだとそんなに頑張らなくても大丈夫そうだけどな。 よっぽど点数取れるだろ」
「この前も言ったけど隙を見せたくないからねー。 普段以上に頑張らないといけないの」
「……今のは話を振った僕が悪いな。 楽にしろって言ったのに考えさせるような事言った」
「気にしすぎ。どちらにせよ勉強する事には変わりないんだから。 ここにいる時は十分リラックスさせてもらってるわよ」
「ならいいけどさ……」
ノートに目を落とし再び手を動かし始める。 少し経ったとき、目の前から聞こえてきていたペンを動かす音が止まっている事に気づいた。
春波が顔を上げると、水瀬が観察するようにジッと春波を見て動きを止めていた。
「どうした? なんかついてるか?」
「いや、結構気を遣うなって思って。 最初の時すごい雑に扱われたのはなんだったのよ」
「あれは、まあ、どうせ知らん相手だしどう思われても良かったからな。 そもそも来るなって言ったのにまた来るなんて思わなかったから」
「だって本当に毎日こんな所にいるとは思ってなかったから……わざわざ、しかも1人で」
春波達がいる空き教室は普段授業で使う本館から少し離れた所にある別棟の4階部分にあった。
昔は生徒数も多く部活動だったり移動授業で使用されていた場所だったが、今では別棟は比較的利用しやすい1階部分がたまに部活動で使用されるくらいで2階以上は目的も無く誰かが来るという事はほぼない状態だった。
「僕が見つけた憩いの場だからそりゃいるよ」
「1人でいたいって言ってたしね。 あの時は今より余裕なかったから結構無理に居着いちゃったけど、邪魔してごめんね?」
「今更すぎる……まあ明らかにおかしい空気の中に放り出すのも可哀想だったからな」
「……ねえ、深海くんはどうしてひとり」
水瀬が問いかけようとした瞬間予鈴が響き渡る。
「うわ、もうそんな時間か。 はやく片して戻らないと授業間に合わないぞ」
「え、ああもうタイミングの悪い!」
間の悪いのは自分の方か、などと水瀬は考えつつ急いで荷物をまとめて空き教室を出て別れそれぞれの教室へ向かう。
水瀬は呼び出されて、逃げ込んだ先がたまたま開いていたあの場所だった。
彼はどうして、いつからあそこで1人で昼を過ごしていたんだろうか。
疑問は振り払えないまま、教室までの道を急ぎ歩いていった。
◇
「みなっち、何か良いことあった?」
「へっ?」
帰り道、いつものように水瀬にピッタリとひっつく形で歩く真優良に藪から棒にそう言われ、水瀬の頭に疑問符が頭に浮かぶ。
「だってー、なんか前より、なんていうか、元気そう? だから」
「そ、そう……? 特に何もないけど」
「ふーん……?」
納得していない様子で水瀬を見つめる真優良。
いつも水瀬の傍にいる真優良が言うのであればそうなんだろう。 自分を取り巻く状況が変わったわけでは無いが、そう見えるほど余裕が出来た自覚が無いわけではなかった。
その理由は、やはり今の状況でも落ち着ける場所が出来たからだろうか。
真優良にはどこかでちゃんと話さないと、とは考えるもののなかなか切り出すことが出来ずにいた。
それは、真優良が春波をどう思うか解らないからというのが主な理由であったが、今は無自覚ではあるもののそれ以外の思惑も心の片隅に生まれはじめていた。
「お母さんの調子はどう? 帰ってこれそう?」
「うん、術後の経過も今の所問題ないからもうしばらくしたら退院出来る筈だって」
「おー、じゃあもうちょっとで買い食い外食生活ともおさらばできるねぇ。 お昼にサンドイッチを悲しそうに食べる事も無くなるんだねぇ」
「…………………ソウネ」
今は別々で昼の時間を過ごしている以上、もうその状態からは変わっている、という事は今の水瀬の口から言うことは出来なかった。
「みなっちはお母さんのお弁当大好きだったから早く美味しそうに食べる姿がまたみたいなぁー」
「……うん、はやく帰ってきて欲しいな」
母親が退院すれば少なくともお昼を彼に頼る必要は無くなる。 それは自分自身が望んでいたことだ。
しかし、水瀬はどこか言いようもないモヤモヤが胸の隅に生まれて落ち着く事が出来なかった。
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