5月3週 「全くもってその通りだよ」

 朝、春波が登校し玄関から教室へと歩いている。



 その間にも、聞きたくもない話が耳に入ってきては春波の心をざわつかせる。



「滝さんさぁ、なんか色々な話聞こえてくるじゃん? ワンチャン声かけてみよっかな」


「真に受けてんのかよ、なんか色々言われ過ぎててもう何がなんやらって感じなんだが」


「何が本当でも声かけるきっかけになればいいんだって。 本当のことなんてどうでもいいんだよ」


「そんなもんかねぇ……」



 春波の中に泥のような、重い怒りのような感情が溜まっていく。



 自分の欲求を満たすため都合の悪い部分を見ない人間の存在に辟易としつつも、春波の心には苦しみが増えている。



 それはこんな人間の好奇を集めさせらている水瀬に対してか、はたまた自己嫌悪からか。



 自己満足で水瀬を振り回している僕もこいつらと結局は変わらないんじゃないか。



 教室に入り、雑音と化した周りの声を全て無視して自身の席につく。



 2人分の昼食が入った手提げバッグを机にかけ、静かに席に着くとスマホが震える。



 水瀬から昼前は移動教室なので少し遅れます、とのメッセージが入れられており、それを見た瞬間春波は了解と返した後口元が少し緩み息が漏れる。



 来れない時は連絡してくれくらいのつもりだったのにマメなやつだな、なんて思いながら1日の準備を始める。



 そんな春波を教室の殆どが気にしていない中、斜め後ろからただ1人長身の少年だけがそれに気づいていた。



  ◇



 昼、春波に少し遅れて水瀬が空き教室に現れる。


 すでに準備をしていた春波は机に座ってスマホをいじっていた。



「やっほ、遅くなってごめんね」


「わざわざ連絡入れてくれてたしそんな遅くも無いから気にしてない」



 水瀬が少し駆け足で準備が終わっている机へと近づいた。



「おお、おにぎらずってやつだ。 はじめて食べる」


「昨日と形状が似通ってるのは許してくれ」



 おにぎりよりも中身にバリエーションを持たせる事が出来ると選んだが、そもそもとして現状このまま作り続けるには問題があった 。



「あのさ、作ってくるからにはこのお願いをしなきゃいけなかったんだけど」


「なに?」


「弁当箱、あったら預けてくれると助かる」


「あぁ、だから」



 水瀬は眼の前に並べられたている物と昨日に食べたものを思い返し何故それだったのかの納得を得る。 春波としては余っているタッパーに入れてくるという手もあったが見栄えをどうしても気にしてしまい、現状の選択肢がまとめて持ってこれる、手にとって食べられるものに自然となってしまっていた。



「連絡先教えたんだから事前に教えてくれても良かったんじゃない?」


「それはそうなんだけどもさぁ」



 久しぶりに手にしたスマホ、しかも女子個人相手へのメッセージをどう切り出せばいいかなんて経験は春波には無く。 昨日の夜、十分な時間悩んだ末自分への言い訳をし諦め寝に入った事は言い出せるわけもなかった。



 なので今朝のメッセージも実は文面から貰った印象以上の感情を抱いたのだがそれには春波自身も気づいていなかった。



「それと、普通の弁当の時温かいほうが良かったら応えられるから電子レンジ使えるタイプだといいかな」


「それは、何が出てくるか次第なんだけど、え、うちの学校電子レンジ使えるところ無いよね……?」


「ちょっと伝手があってね、ちなみに冷蔵庫もアテがあるから暑くなっても心配しなくていいぞ」


「……アンタ、本当にここで好き勝手してたのね」


「返す言葉もないな」



 心底呆れた顔をしながら着席し、注がれた味噌汁と割り箸を受け取る水瀬。



 好き勝手というのはまさにその通りだな、と思いながらも食事を始める。



「ツナはご飯でもパンでも美味しくて万能だねぇ……」


「せっかくなるべく昨日と被らないようにしてたのに唯一昨日と同じ中身のを選ぶのかよ」


「違うのは後から食べるからいいの。 あ、全部一口づつ貰うからそのつもりでね」


「……はいよ」



 一つを大きく作って来ていたがこういうタイプのを作ってくる時は具ごとに2つづつ作った方が良さそうだな、と考えながらまだ手をつけてない分をラップの上から器用に半分に分けていると水瀬が手を止めて口を開いた。



「さっきの弁当箱の話なんだけどさ」


「おう」


「折角だから今日新しいの買いに行くから学校終わったら買い物付き合って」


「おう」











「はぁ!?」



  ◇




 春波達の学校から一番近い駅の、栄えているとは言い難い、駅の裏手になるロータリーの無い落ち着いた町並みに出る改札の横で落ち着かない様子で春波は立っていた。



 深く考えることなく返事をしてしまったため今ここで水瀬を待っているのだが、携帯をいじっていても何をしても春波の心のざわめきは変わることは無かった。



「お待たせー。 じゃあ行こっか」


「……なぁ、本当に僕も行かなきゃダメか?」


「絶対にダメってことはないけどねー。 今日買ってそのまま渡すのが手っ取り早いかなって思ったから」


「それはまぁ、その通りなんだけども……」



 なのだが、問題はそこでは無かった。



「お前、僕と2人で歩いてるのを見られたらまた変な噂立てられるだろ」


「お前呼びやめてってば! まあ今更噂が一個二個増えたところで変わらないわよ。 一緒にいたからって何もないのが事実なんだから」


「……まあ、ならいいけど」



 どこか釈然としない思いを抱きつつも了承の息を漏らし、歩き出す春波。



 少し駆け足で水瀬が横につき、人一人分まではないものの少し距離を取りながら目的地である商業施設への道を進み出した。



「弁当箱も新調するけど、実はスープジャーが欲しいのがメインなんだよね。 自分で用意するようになっても使いたいし」


「滝って自分で弁当作ってたのか?」


「……自分でっていうのは、アンタに用意してもらわなくなっても、って意味ですー」


「知ってる。 作れてるならそもそもコンビニで飯買って来てないもんな。 揚げ足取りで意地悪言っただけ」


「……性格悪いわねー。 そんな事してると友達無くすわよ」


「つまり僕は失うものがないってことだ。 無敵」



 それを聞いた水瀬は呆れた顔で春波を睨んだが、諦めたように視線を前に戻す。



「友達いたらあんな所で1人でご飯食べてないか」


「全くもってその通りだよ」



 そこで会話が止まり、静かに雑貨屋が入っている商業施設までの道を歩く。



 春波は何を考えているが見えない無表情で、水瀬は何か考えているようなしかめっ面を浮かべながら。



  ◇



「ねえ、どれにしたら良いの?」


「好きなの選べばいいじゃん……」


「アンタのが詳しいだろうから聞いてるの! 失敗したく無いし」



 弁当箱が置いてあるそこまで広くないコーナーの前で2人は立っている。



 雑貨屋がある商業施設についた時、春波はしれっと別行動を取って1人になろうとしたが水瀬に「1人だと誰かに声かけられた時面倒だからちゃんと着いてきて」と釘を刺されて今に至る。



「実際こういう所に並んでるのはよっぽど性能差無いからデザインとか容量で選んじゃっていいよ」


「へー…じゃあ、この子でっ」



 話しを聞いて、ほぼ迷うことなく水色の少し大きいものを手に取った水瀬はまるでおもちゃを手にした子どもの様に楽しげな様子をみせた。



 それとは対象的に春波の表情はどこか複雑そうだ。



 そんな様子を見て、きょとんとした顔で問いかけた。



「何、なんか気に触ることあった……?」


「気づいてないのか……それ僕のと同じやつの色違いなだけだから。 そういうの気にしないならいいけど、さあ」


「……へっ?」



 いわゆるお揃いみたいになる、と気恥ずかしそうな春波から遠回しにそう言われ、まじまじと自分が手にとったそれを見て記憶と照らし合わせた後葛藤をしながら少しづつ俯いていく。



「買う前で良かったな、今ならまだ変えれるし」


「……いや、これがいい。 これが可愛いし、性能も同じのだったら保証されてるようなもんでしょ」


「それはそうだけど」


「それにどーせ2人揃って人前で出すわけじゃないし。 自分で使う時は同じ場所にはいないだろうから気にする人なんていないでしょう」


「……それもそうか」



 他に目が無いからあそこにいるのだからわざわざ意識するのもさせるのも変だったかな、と春波は自省しながらも弁当箱も持ってレジに向かう水瀬の背中を見送る。



「おまたせ、そして改めてよろしくお願いします」


「はい、任されました……いや弁当箱もでかいな、女子が食う量じゃないだろ」


「え、これくらい普通じゃない? 」



 買ったものを手渡しながらあっけらかんとそんなふうに言う水瀬に、これは思っていたよりも量を考えて用意した方が良さそうだな、とこれからの生活について考えを改めることになるのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る