5月3週 「もっと気を楽にして良いんだぞ」

「……こんちわ」


「おう、来たな」



 恐る恐る空き教室に顔を出した水瀬は、春波を見るやホッと安堵のため息を漏らす。



「良かった、ちゃんといた。 ……今日ちゃんといるか、もしかしたら騙されてるかもしれないってちょっと考えてたから」


「騙してどうするんだ。 そもそも昼はいつもここにいるって言っただろ」


「騙された私を見て笑うとか……何も持ってきてないからいなかったらすごい困るって考えたら不安になっちゃって」



 言うなり、前より少し大きめの手提げから弁当を取り出す春波。



「それは性格悪すぎだろ……はい、今日の弁当。 何が良くて何が駄目かわからなかったからとりあえずこれで」



 蓋を開けるとラップに包まれ整然と並べられた白と彩りが顔を出す。



「わ、サンドイッチだ」


「中身はともかく前食べてたから。 駄目そうな具は選ばなきゃよっぽど大丈夫だと思う。 あとこれ」



 言いながら紙コップにスープジャーからコンソメスープを注ぎ使い捨てのスプーンと共に渡す。



「はい、これと好きなの選んで持って行きな」



 すると水瀬が動きを止め、少し考える様子をみせた後窓際の自身が用意した席を指差し切り出す。



「ねえ、これ全部あっちに持っていっていい?」


「……いや僕の分も込みだから持っていかれると困るんだけどどれだけ食いしん坊……」


「じゃない! そうじゃなくて、アンタも来るの」


「……なに?」


「だから、一緒に食べようって言ってるのよ。 貰うだけ貰ってはいそれだけ、なんて寂しすぎるでしょ」



 予想外の提案に春波の思考が止まる。



 食事自体はまた別々に取ると思っていたし、水瀬と関わると自分が決めた筈の線引が曖昧になっているのも自覚していたためこれ以上は、と考える。



 だが、そんな自分の思考とは関係なく春波の体は動いていた。



「……ここ、カーテン無いから直射日光が当たらない場所に移動してくれ。 これからどんどん暑くなるし」


「じゃあ教室の真ん中くらいにしましょ。 ほらそっちも机と椅子持ってきて」



 お互い机を動かして真ん中で着けると、持ってきた弁当を真ん中に置き向き合って席につく。



 いざ向き合うとその整った顔立ちをまっすぐ見る事になり気恥ずかしさから目を逸らしたくなるが、それを悟られないよう、なんともないかのよう振る舞う。



「いただきます!」


「い、いただきます」



 春波は緊張した面持ちで、水瀬は意気揚々と、それぞれ対照的にサンドイッチへと手をのばす。



 水瀬がラップを開け、手にしたタマゴサンドを口に入れ、味わっているのを目の前でまるで追い詰められたかのような面持ちで春波は見ていた。



「美味しぃ……」



 噛み締めるように言葉を漏らすのを見て、短く大きいため息を吐いた春波。



 水瀬はそんな春波の様子を見て不思議そうな顔を向けている。



「……そいつは良かった。 正直、サンドイッチって既製品と大差出ないかなって作ってから思ったからこれでガッカリさせたらって不安だったんだ」


「そんなこと全然無いじゃん。 自分で味見してないの?」


「してるけどさ」



 自分で作ったのだからそれはそうだ。 朝ご飯兼用だったし。



 そう思いながら一口食べる。 すると、自分が食べたときと少し感じ方が違うように感じた。



 しかし、その感覚を振りほどき口からはいつも通りの言葉を出す。



「まあ、普通だな」


「スープもこれ手作りでしょ? これだけ手間かかってるように見えて普通ってことはないでしょ」


「基本的には弁当だけのために作るわけじゃないし、サボれる所はサボってるけど、これくらいはいつもだよ」


「……もしかして、弁当だけじゃなくて家での食事も全部自分で作ってる?」


「まあな。 あ、そういえば携帯帰ってきたからはいこれ」


「……はい、じゃあ登録するから。 なにか不都合とかある時は連絡して」



 納得していないのを態度で見せながらも話に乗ってきた水瀬に、話を逸らすのが下手だな、と自分でも思ってしまう。



 だが、それ以上の追求はしない所を見ると水瀬も下手にこちらの事を探ろうとしないというスタンスが見え、少し安心する。



「まあ、僕としては聞きそびれてる好みとか駄目なものをちゃんと聞いておきたいね。 知らないといつ地雷踏んで怒りをくらうか気が気でない」


「食べれないって物はないかなー。 基本的にはなんでも大丈夫」


「了解。 じゃあそんなに気にしないでおく。 まあ弁当らしくないものはそうそう無いと思うけど」


「カレーは持ってきたのに?」


「夕飯の残りの普通のカレー持ってきただけだから」


「あ、コンソメスープも美味しい。コンソメというかオニオンスープか」


「話をぶった切りやがった……シンプルで好きなんだよこれ。 飴色玉ねぎ作るだけ作って冷凍してたらいつでもできるしアレンジも効く」


「……やっぱり手間かかってるじゃない。 どこが普通なのよ」


「ややこしい事してるわけじゃない。 日常の範囲だよ」


「今の私からしたら既製品じゃないってだけで十分非日常だわ……」



 そんなとりとめの無い会話をしながらも手はとめず、気づけば全て空になっていた。



「ごちそうさまでした! 美味しかった!」


「はい、お粗末さまでした」


「……真面目ねー。 若者から出てくる言葉じゃないでしょ」



 出した容器を片付けていると、水瀬が持っていた手提げから勉強道具を取り出した。



 確かにじきに中間テストだが、ここまで勉強道具を持ってきてるとは。 真面目なのはどっちなんだか。



「先週も持ってきてたのか?」


「まあね。 出すタイミングは無かったけど」


「テスト週間に入る前から、まあ頑張るねぇ」


「くだらない事で成績落としたくないし。 いらない隙を見せるのもイヤ」



 午前の授業で配られたであろうプリントと教科書を開き向き合う水瀬。



 隙、と言う言葉に春波は渋い顔をする 。



 一体何に対しての言葉なんだ。



 軽くなるように、逃げ場であればいいと気持ちで受け入れたが、ここでも戦っているような態度を見てしまうとそれだけでは足りないのかと言う気持ちが湧いてくる。



「なあ、」



 聞こうとして言葉が詰まる 。



 友人は作らない、誰かに深入りしないと決めていたのに。



 水瀬を前にするとその線引がまるであやふやになったかのように行動に移そうとする自分がいる。



「なによ、黙っちゃって」



 その言い方はまるで、



「お前、今の噂の出どころが誰か解ってるんじゃないのか」



 瞬間、水瀬の顔に険のある表情が浮かぶ。



 口を抑え失言した、と気づいた時には遅かったが誤魔化すことはせず言葉を待つ。



「お前はやめてって言ったでしょ。 まあ、深海くんにはお世話になってるのに何も言わないのもフェアじゃないか」


「いや、今のは僕が悪かった。 言いたくないなら言わなくてもいい」


「私も確証は無い話だから、深海くんにはまず起こった事実を話す。 それでどう思うかあなたが決めて」



 そしてつらつらと自身にあった事を話し出す。



「生徒会長に告白されて、私が断ったのは本当にあった事」



 春波は人当たりも良く、顔も良く、運動神経抜群で1年時はテスト全てで学年トップだった完璧超人とまで言われる生徒会長の川南の顔を思い出す。



「その後に、彼に好意を持っているであろう子達から、まあ悪く言われたのよ」



 川南はその人気からか友人も好意を持つ人間も多く存在していた。 確認した事は無いがファンクラブまであるとか。



 どこまで本人が望んだ事かは解らないが、その規模は小さいものではない。つまり、



「その類のやつらがある事無い事触れ回ってる可能性が高いって事か」


「証拠が無いから断言は出来ないけどね。 いくらなんでも一気に広がりすぎだからどこかで示し合わせた人たちがいたんでしょうけど」


「当事者じゃない僕が何言っても響かないとは思うけど」



 何を悩んで、どうしろだなんて人に偉そうに言えることはない。



 だけど、



「今ここには滝の敵はいないんだから、勉強するにしてももっと気を楽にして良いんだぞ」



 逃げてきた先では、せめて自分を追い詰めることはやめて欲しい。



「なに……それ。 アンタになんでそんなことまで気にされなきゃいけないのよ」


「弁当と一緒のことだよ。 ここにくる以上目の前でそんな顔されてたらこっちの息まで詰まるっての」



 そう、同じことだ。 笑っていろなんて烏滸がましく要求できないが、せめてその影が見える顔を見たくない。



 それだけ、それだけだ。



「……まあ、そうね。 今の所アンタは敵じゃないみたいだし勉強するにしても一々気にしてたらしょうがないか」


「今の所って……敵に回ったらもうここには入れてやらないから機嫌を損ねないようにしろよ?」


「大丈夫、そうなったらアンタを無理やりここから追い出して私だけでここを使うから」


「おーこわ。 そこの古文の訳間違えてるのによく言うねぇ」


「えっ嘘、どこどこ」



 笑いながら軽口を交わし、昼の限られた時間が過ぎていく。



 1人でいたかった筈なのに。



 どうか、この場所と時間が彼女の助けになれたらと、春波は静かに思いを沈めていった。



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