湖に沈む怪

第一章 出逢い

第１話 激情の眠れぬ女騎士

１－①

―――遡ること、十八時間前。

女は、首都高速から中央自動車道に乗り継いだ。都会はまだ、眠りの中にある。

車の時計に目をやると、午前四時三十五分。

カセットからは、バラード調の音楽が静かに流れている。

相模湖を左に過ぎる頃に、夜はうっすらと明けようとしていた。

女は、助手席のセカンドバックに右手を伸ばすと、中からサングラスを取り出した。

アスファルトのつなぎ目の音が、規則正しいリズムを奏でている。

白いポルシェ９５９は、ターボ音を上げて松本方面へと進んでいた。

（全く、どういう仕事の入れ方をしているのよ）女は、少し疲れていた。

女の名前は白鳥碧（しらとりあおい）、二十四歳の、今売れっ子のフリーレポーターである。

頭の回転の良さと、その類い稀なる話術に美貌を兼ね備えて、京都観光等の多数のCMにも出ていた。

髪の毛はストレートで長く、容姿は可憐だが、気が強い。

スリムな身体からは、想像が出来ないほどの体力を秘めており、学生時代には陸上の短距離ランナーとして、全国大会まで行った強者（つわもの）でもある。

昨夜も、都内のテレビ局で録画撮りがあり、午前二時を過ぎた頃にやっと終わった。西麻布の自宅マンションへは帰らずに、そのままテレビ局の長椅子で、二時間くらい仮眠を取り、その足で車を飛ばしていた。

（マネージャーも、事務所も、わたしを過労死させるつもりなの）

碧は、煩雑としたダッシュボードの中に手を突っ込むと、煙草の箱を探した。

セカンドバックにあった煙草は、府中を越えた辺りで吸い尽くしてしまった。

（あった！）潰れた煙草の箱がひとつ出てきた。中を見ると最後の一本である。

碧は細長いメンソールの外国煙草をくわえると、マニキュアの塗られた綺麗な指でシガーライターを押し込んだ。そして、煙草の箱を片手で潰すと、後部シートへ投げ捨てた。

三ヵ月間、休みが無い。ここのところ、満足な睡眠時間も取れてはいなかった。

カセットテープを止めると、ＦＭから軽快なラテン系の音楽が流れてきた。

碧は、窓を全開にした。一気に風が飛び込んでくる。長い髪の毛が舞い上がり、頬に巻き付いた。

左手を開いて、窓の外へ突き出す。手のひらに時速百㎞の冷たい風が当たり、腕を後方へ持っていかれる。

七月初旬の早朝の風は、まだ冷たかったが、寒くは無かった。

碧は風に逆らって、開いた手を前へ数回押し上げた。冷たい風が手のひらに当たり、窓の中に余計に流れ込んでくる。冷たい風と、適度な左腕の運動で幾分頭が冴えてきた。

碧は運転中に眠くなると、いつも窓を開けてこの動作を繰り返すことにしている。

【談合坂サービスエリア：二〇〇メートル】―――左上に案内板が見えてきた。

碧は、ウインカーを出すと、左車線に変更した。

サービスエリアに入るわき道が見えてきた。

碧は、ハンドルを左に切り、サービスエリアに入って車を駐（と）めた。

サービスエリアの中は、まだ朝が早いせいか、大型トラックはかなり目に付くが、車の数は少なかった。

碧は車を降りると、トイレへ向かった。

トイレの鏡に向かってサングラスを外した。映った顔には、覇気が無かった。

碧はトイレを済ますと、自動販売機で缶コーヒーと、煙草を買った。

前を見ると二、三人の男たちが、碧を見てニヤニヤしている。仲間たちとバイクでツーリングにでも来ているようだった。

碧は、男たちの前をすり抜けた。サングラスで顔は隠していた。

「ちょっと……」

男たちのうちの一人が、後ろから声を掛けた。碧は無視をした。

「ちょっと、待てって！」

男は駈けてきて、後ろから碧の缶コーヒーを持っている腕を掴んだ。