Seeing pink elephants
「自分に纏わる記憶が、皆からも自分からも消えたらいいのに」
ふとした拍子に、私はそう思ってしまうのです。例えば、仕事で失敗をした時や、恋人と喧嘩をした時、その出来事が起きた瞬間は慌てていたり緊張していたりするので、大丈夫なのですが、それが過ぎ去って心が落ち着いた時、ひどく落ち込みます。
この鬱屈とした感情を解消するために、私はお酒を飲みます。お酒は私にとって入り口です。現実逃避をするための、入り口。酔って何もかも、私自身が忘れることで、一時、嫌なことから逃げ出せるのでした。
もう、私にとってお酒はなくてはならないもの。成人するまでは、どうしていただろうか、思いだそうと試みても、もう、思いだせそうにないくらいなのです。
お酒を飲んでいない時の私は、肥大した自意識とともに日々を過ごしています。人よりも傷つきやすく、人よりも寂しがりやで、そして何より自分の高過ぎる矜持に振り回されて、生きづらさを感じているのです。
その所為もあって、大好きな恋人との衝突を避けられずにいます。本当は誰よりも私を優先してほしい、愛して、特別に見てほしいと、渇望している癖に、口に出したことはありません。この口から吐き出される言葉は、都合のいい女のそれ。
デートの約束を仕事が入ったから反古にしたいという申し出には、
「私は仕事と私、どっちが大切なのかなんて聞かないから」
と、返しました。
彼は平謝りして、私は気にも止めていない旨を伝えました。そうして独りぼっちになった夜、溺れるほどお酒を飲むのです。
そうして、苦しくなって、悲しくなって、仕事から帰ってきてクタクタな彼に、泣きながら電話をするのでした。
「また飲んで泣いているの」
電話機から聞こえる恋人の呆れた声に、ますます涙が溢れて、こんなに泣いていては、一番最初の涙と今流れている涙は、まったく別物、別の原因だと、わかっているのです。
そうして、腕はまた酒瓶に伸びます。はやく、はやく酔わなくては。酔って何もかも、忘れてしまわなくては。
瓶に触れた指先は少し震えていました。アルコール中毒の症状の一つなのでしょうか。いえ、まだそこまで至っていないはずです。海外では、アルコール中毒の人は酔うとピンクの象を視ると言われているそうなのです。
私には、まだピンクの象を視るほどの酩酊は訪れていません。
「明日も早いからもう切るよ。お前もほどほどにして早く寝なさい」
待って、待って。このままでは、ピンクの象じゃなくて、悲しい夢を見てしまいます。
お願い、お願いだから、このまま私を一人にしないで。
「私のこと、一番に考えて」
その言葉を発した時には、もう電話は切れていました。残ったのは、彼が私のことを一番に考えてくれることはないという残酷な現実でした。
早く、こんな苦しい現実は早く忘れてしまわなければ。
酒瓶を両手で握り締めてから、中身をコップに注ぎます。祈るように。
今日こそは、ピンクの象が視えるようになるかもしれません。そうすれば、この苦しみ悶えるような悲しみから、解放されると一縷の望みを抱きながら。
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