碌でなしと意気地なしのチキンレース
「そんなに私、魅力、ありませんかね」
酔った勢いで何度か口にした台詞を、今日も吐いた。椅子の上に置かれた掌に自分の指を絡めながら、勿論、免罪符は「酔った勢い」で。
「まさか、魅惑的過ぎて、眩暈しそうだわ」
へらへらしながらお決まりの返しをする、相手も同じく酔っ払い。突如重ねられた手を、振りほどくでも払いのけるでも、握り返すでもなく、ただただ甘受している。
「でも、一度だってそっちから手、出してくれたことないでしょう。待ってるんだけどなあ、この、意気地なし」
「手厳しいね、この酔っ払いは」
にこやかにそう返されて、変な空気にならなかったことに安堵しつつも、何も変わらない先輩に落胆した。
「ああ、もう、馬鹿! 先輩のろくでなし!」
「そうだね、碌でなしかもね。一番わかってるくせに、何を今更」
唇の端だけ歪めた笑みを向けられ、思わず机に突っ伏した。顔が、熱い。酒ではなく、先輩の所為で。
仮にも先輩に投げ掛けるべき言葉ではなかったと、重々承知している。
しかし、もう、自分には時間がないのだ。
□■□
「付き合って下さい、ですって」
約一ヶ月ぶりの酒宴で開口一番、意中の相手にした近況報告が、自分の卒業式の日に後輩から好意を告げられたことだった。
既に丁重にお断りした話だが、少しは妬み嫉みの感情を抱いて貰えるかも、と期待を込めて相手を見詰めれば、
「へえ、どの子から?」
と、好戦的な目で尋ねられた。
まずまずの反応に気を良くしつつ、後輩の名前を教えた途端、
「ああ! 去年途中から入ってきた大人しい子ね、青春だなあ。若いって良いねー。あの子、君のどこが好きだって言ってた?」
なんて、笑いながら酒を呷った。
安牌だからと、安心したのだろうか。件の頼りなさ気な年下の顔を思い浮かべる。確かに押しの強い子ではないし、穏やかで優しい子だ。
「途中入部なのを気にかけて世話を焼いて下さったのが嬉しかったんです」
と、やや噛みながら言われた告白を断る罪悪感を、あんたは知らないだろう。
「なるほど、そこかあ。まあ君は、面倒見いいもんね、面倒見は。いやあ、若い! 甘酸っぱい!」
茶化すように、人の恋愛談を酒の肴にするなんて、酷い人だ。しかも、謎の「面倒見は」という強調も腹が立つ。
一番気に入らないのは、私が告白を断った理由に、一切触れようとしないことだ。わかってるくせに、意気地のない人。
思惑通りいかなかったことに多少苛つきつつ、そうですね、と素っ気なく返答した。
一年前に大学を卒業した先輩は既に社会人で、一浪して同じ大学の同じ学部、そして同じサークルに所属した自分は、あとひと月足らずで社会人になる。今度は同じ企業ではなく、県外の少し離れた所に決まったのだが。
卒業後も定期的に二人で逢っていたけれど、忙しい社会人の先輩と暇な学生だった自分の予定を合わせることもなかなか難しかった。つまり、二人とも社会人になった暁には、逢うことすら困難になるということだ。
この先輩は、自他ともに認めるほど、自分を特別可愛がってくれていた。そして自分も特別な思いを抱いていた。
ご都合主義のドラマかなんかなら、すれ違いやら当て馬の恋敵やらを乗り越え、二人がくっつくのは時間の問題だったのだろうが、生憎、現実はそう上手くいくものではない。
二人きりで何度も出掛けたし、おふざけで手を繋ぎ、酒の席ではキスまでしたこともある。因みに先輩にキスした翌日、覚えてます? と尋ねたら、何が、と返された。閑話休題。
そこまでしておいて、自分は決定打となる告白をする勇気がなかった。だから遠くの方から数を打った。
しかし、先輩はそれをのらりくらりと躱しつつ、思わせぶりな態度は崩さずに、出逢ってから四年間、関係は平行線を辿った。
「行事って感覚を麻痺させる力があるでしょう、文化祭マジックみたいな」
「じゃあ、後輩ちゃんは君に卒業式マジックの所為で告白したってこと?」
酒は進んでも話題は進まず、開始から一時間経っても同じ話を続けていた。後輩が何故このタイミングで告白してきたのか、という非常に失礼な考察をしながら。
「そうだと思いますよ。後は、ほら卒業式って後腐れないじゃないですか。駄目でもお互い気まずくないでしょう? 逢わないようにすれば良いわけですから」
「いや、そうは言っても、やっぱり勇気は要ると思うけどなー。だって今の関係を保つってことはできなくなるわけじゃない。現状維持の為に告白しないってのも、手の一つなのにさ。それを自分から壊すなんて芸当、なかなかできるもんじゃないね。相当、意気地がないと」
君には、できなかったでしょう、と責められている気になるのは、疚しい下心があるからか。はたまたこの人がわかってやっていることなのか。
どちらにせよ、まったくもって仰る通り。この人の卒業式で、後輩のように勇気が湧いていたならば、少なくとも今こんな風に切羽詰まって呑んでいることはなかったのだから。
■□■
「うんざりした顔、しないで下さい」
相手の顔を見ず、机に突っ伏したまま言えば、頭に伸びてくる掌。髪の流れに沿って優しく動く感触に、意気地なしはどっちだ、と泣きそうになる。
今日、駄目だったら、後腐れなく逢わなくなってしまう。そう思って、卒業式の日も、卒業後何度か逢った日も、何も言えなかった。
後輩に、嫉妬してしまう。自分にもあの子のような勇気があったなら。
ないものねだりをしたって、何も変わらないし、自分の口からは、現状維持を壊す言葉など吐き出せない。
それでも、ここで終わらせたくなくって。怖いけど、ここから先に進まなくては。
ゆっくりと、顔を上げた。先輩の手は依然、自分の髪に触れている。その優しい手つきは、自分だけが得られるものですか。それとも独り善がりな勘違いですか。
先輩は、私が好きですか。
言いたいことと、言えないことと、言って欲しいことと。ぐちゃぐちゃになった言葉をそのまんま、震える唇を開いて吐き出す。
「……例えば、今日が自分の好きな人の卒業式で、その人のことずっとずっと好きで。今日、告白してもしなくてもその人と遠く離れてしまうことになってて、告白して駄目ならきっともう逢えないけど、告白しないままだったら、またいつか逢えるかもしれないし、逢えないかもしれない。そんな時、先輩だったら、どうしますか」
結局、こんな時でも予防線を張る、自分がほとほと嫌になった。でも、今の自分にはこれが精一杯だ。
情けない声で問うた自分に、先輩は
「告白して駄目ならもう逢えないかもしれない。告白しなければまたいつか逢えるかもしれない。だったらさ、告白して上手くいったら、どうなるんだろうね?」
と、狡い声で問い返してきた。
そして、呆ける自分に意地の悪い表情を浮かべ、そのままの声色で、こう続けたのだった。
「こっちの方が、意気地なしなんだから、君が答えてくれるよね」
と。
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