酒に纏わる。
石衣くもん
さよなら始発電車
始発電車を待っている時、私はいつも強烈な負の感情に襲われる。薄暗い空の下、皆寝ている時間に活動している寂しさや物悲しさ。
勿論、始発を待つなんて、終電を逃がしたか、あるいは飛び乗った終電で居眠りして目的の駅を通りすぎたかの二択なので、情けなさもある。
そんな状況になる時はいつだって良くない酒の飲み方をしてしまった時だ。
私は、酒とは大変矛盾した関係を結んでいる。無意識に幸せを感じている時は、一滴たりとも飲まないし、飲みたいとも思わない。けれど、意識的に幸せを欲している、私が幸福飢餓状態と勝手に呼んでいる心境の時は、浴びるように酒を飲んでしまうのだ。
初めは、今日は無茶な飲み方はしないと心に決めて、ペースを抑えて飲む。次に二杯目はまだ理性が残っているので、何かつまみながら飲む。三杯目からはもうエンジンがかかってる為、ジュースや水を飲むようにハイペースで飲んでしまう。
そして、お望み通り記憶を飛ばして、望まぬ散財に、無礼講という名のもと行った無礼な振る舞いの黒歴史を生み出す。あとは吐く、とにかく吐く。最後の理性を総動員して、お手洗いで。
胃は空っぽになった後も胃液を吐き出そうとして、帰る頃には心身ともにボロボロになっているのだ。そこで、やっと私は救われた気持ちになるのだった。
ああ、酒を飲む前の私は今よりうんと幸せだったんだって。二日酔いに痛む頭は随分と幸せになっているのだ。
破滅願望なんて大そうな願いはないが、定期的にこういう時期が来てしまう。悲しくて、寂しくて、こんな自分は一層潰してやろう、なんて。
幸せになりたいと嘆くくせ、自分にとって何が幸せで、そして、何が不幸せなのかはわからなかった。ただひたすらに、幸せになりたいとだけ願い、その一方で自ら不幸せになりにいくように酒を飲んだ。
酒は私の幸せと不幸せの象徴だった。
「馬鹿だなあ。お前はなんでも自分の中に溜め込み過ぎなんだよ」
諭すように、時には叱るように、私が始発に乗って帰ってきた後、彼は私の失態の原因をそう言及した。いい加減、爆発させるのではなく、適度に吐き出す方法を見つけろとも。
私だってそうしたい。けれど、気付いた時にはいつも手遅れで、私はアルコールに塗れてしまうのだった。
一度だけ、彼が始発を待つ私を迎えに来てくれたことがあった。彼に連れられて帰って、一緒のベッドに入った。それから、何度も口付けた時に彼が言ったのだ。
「こっちまで酔いそうになるな」
その時、私は始発を待つ時なんか比べ物にならないくらいの寂しさを味わった。いや、寂しさというよりも悲しさだろうか。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
何度も謝る私に、彼は何と思っただろう。心配をかけて? 実は酔った勢いで浮気して? どちらも、はずれだ。正解は、「私の不幸を押し付けてしまって」だった 。
この日以来、私は彼に始発を待つ時は何も言わないことを心に決めた。あんなことをするのも、あんな思いをするのも、勝手ながらもうごめんだった。
酒は飲んでも呑まれるな。昔の人は本当にいい得て妙なことを言うものだ。その日の私は呑まれるどころか酒に溺れきっていた。
原因は、彼だった。好きなはずなのに、どうにももう、上手くやっていけそうになかった。彼と上手く付き合う為には、私は我慢をし続けないといけない。そのことに、限界が来てしまった。
「馬鹿だなあ」
自分でもそう思うのに、私は彼のことも溜め込み続けてしまったのだった。嫌だと思った行為、悲しいと傷ついた言葉、どれも彼に伝えることができなかった。そうして、限界を迎えて、一人で終わりにしようとしているのだ。なんて、傲慢で愚かな女なのだろう。
始発を待っていると、胃の中身と一緒に、枯れる程流した筈の涙が、再びこみ上げてきた。こんな時間だと、当然眠っているあなたに、私が帰って、寝て、起きて、そして別れを告げよう。
あなたは、なんと言うかしら。
ゆっくりと近付いてくる始発電車を瞬きもできずに見詰めていた。あなたとの別れを乗せた始発電車が、私を迎えに来た。
こみ上げてきた涙が、零れることはなかった。
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